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| 南東の入口近くに設置されている ラッセルスクエアの沿革に関する説明板 <筆者撮影> |
海軍のジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐(Captain Joseph Arthur Trevelyan)は、10年前に退役した後、デヴォン州(Devon)ダートムーア(Dartmoor)の周辺部に所在するシタフォード(Sittaford)と言う小さな村に退き、シタフォード荘(Sittaford House)と言う屋敷を建てて、そこに住んでいたが、ある年の10月の終わり頃、不動産エージェント経由、冬の間、シタフォード荘を借りたいと言う依頼があり、先方が提示した家賃の額も非常に良かったため、彼はシタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン(Exhampton)と言う村に所在するヘイゼルムーア荘(Hazelmoor)を借りて、転居した。
そして、南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人(Mrs. Willett)と娘のヴァイオレット・ウィレット(Miss Violet Willett)の2人がシタフォード荘に入居して、約2ヶ月が経過した12月のある金曜日の午後、ウィレット母娘の2人やお茶会に招待されたシタフォード荘の周りに住む4人が行ったテーブルターニング(table-turning / 降霊術会)での霊のお告げ通り、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を気遣ったジョン・バーナビー少佐(Major John Edward Burnaby)が、2時間半後(午後8時前)、吹雪の中、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に到着したところ、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐は、砂が入った緑色の袋で頭部を殴打されて、殺害されていたのである。
ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の遺産の相続人の一人で、彼の妹メアリー・ピアスン(Mary Pearson - 故人)の次男ブライアン・ピアスン(Brian Pearson)は、オーストラリア(Australia)のニューサウスウェールズ(New South Wales)に在住しているとのことだったが、実際には、英国に居て、その上、ヴァイオレット・ウィレットと恋仲であることも判明した。
そして、ブライアン・ピアスンは、ロンドン市内のラッセルスクエア(Russell Square)にある Ormsby Hotel に宿泊していたのだった。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から ブルームズベリー地区の地図を抜粋。 |
ブライアン・ピアスンが滞在していたホテルが所在するラッセルスクエアは、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にある正方形の広場で、ロンドンで2番目に大きい。
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| ラッセルスクエアの南東の入口近くから北方面を見たところ <筆者撮影> |
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| ラッセルスクエアの南東の入口近くから東方面を見たところ <筆者撮影> |
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| ラッセルスクエアの南東の入口近くから南方面を見たところ <筆者撮影> |
現在のラッセルスクエアとブルームズベリースクエア(Bloomsbury Square → 2025年2月24日 / 2月26日付ブログで紹介済)の間に、ベッドフォード公爵(Duke of Bedord)が所有するベッドフォードハウス(Bedford House)が建っていた。
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| ラッセルスクエア内で見かけることができる野鳥に関する説明板 <筆者撮影> |
英国の貴族で、ホイッグ党(Whig)の政治家でもあった第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル(Francis Russell, 5th Duke of Bedford:1765年ー1802年)は、1800年にベッドフォードハウスを取り壊すと、英国の不動産開発業者であるジェイムズ・バートン(James Burton:1761年ー1837年)に依頼して、住宅の建設を進めた。
また、英国の造園師であるハンフリー・レプトン(Humphry Repton:1752年ー1818年)に依頼して、ラッセルスクエアの設計を行った。
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| ラッセルスクエア内の案内図 <筆者撮影> |
ラッセルスクエアは、1801年から1805年までの建設期間を経て、完成。生憎と、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセルは、ラッセルスクエアの完成を見ないまま、1802年に亡くなった。
開発以前は、近隣のサザンプトンロウ(Southampton Row)に因んで、「サザンプトンフィールズ(Southampton Fields)」、あるいは、「ロングフィールズ(Long Fields)」と呼ばれていたが、完成後、ベッドフォード公爵家の姓に因んで、「ラッセルスクエア」と命名された。
その後、英国の彫刻家であるサー・リチャード・ウェストマコット(Sir Richard Westmacott:1775年ー1856年)により、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像が制作され、1809年にラッセルスクエアの南側に設置された。
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| ラッセルスクエアの南側に建つ 第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像の全景 <筆者撮影> |
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| ラッセルスクエアの南側に建つ 第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像のアップ <筆者撮影> |
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| ラッセルスクエアの南側に建つ 第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像の台座 - 「MDCCCIX」は、像が設置された「1809年」を示す。 『M」は「1000年」、「D」は「500年」、「C」は「100年」、 そして、「IX」は「9年」を意味している。 <筆者撮影> |
なお、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像は、ラッセルスクエアには背を向けて、以前、ベッドフォードハウスが建っていた方向を見つめている。













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