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テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)で所蔵 / 展示されている オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーの白黒(モノトーン)のペン画3点 <筆者撮影> |
セントジェイムズプレイス10番地は、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James’s)内にあり、アイルランド出身の詩人 / 作家 / 劇作家で、戯曲「サロメ(Salome → 2026年3月11日 / 3月12日付ブログで紹介済)」の作者のオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)が一時期執筆に使用していた場所だった。
オーブリー・ビアズリーは、休む遑もなく、1895年8月後半、ドイツのケルン、ミュンヘンやベルリンを訪問した後、同年9月後半までフランスのディエップに再び滞在。同年10月にロンドンに戻ると、セントジェイムズプレイス10番地にやっと腰を落ち着けた。
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| ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で所蔵 / 展示されている オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーの肖像画 (by Jacques-Emile Blanche / 1895年 / Oil on canvas) <筆者撮影> |
1896年1月に、オーブリー・ビアズリーは、英国の出版業者であるレナード・チャールズ・スミザーズ(Leonard Charles Smithers:1861年ー1907年)と英国の詩人 / 文芸評論家 / 雑誌編集者であるアーサー・ウィリアム・シモンズ(Arthur William Symons:1865年ー1945年)による招きを受けて、雑誌「サヴォイ(The Savoy)」の創刊に参加。アーサー・シモンズが文芸編集者を、そして、オーブリー・ビアズリーが美術編集者を務める体制で、文学と芸術の融合を目指した雑誌の定期刊行を進めた。
しかし、鉄道駅構内を中心に展開する大手の本屋である W・H・スミス(W. H. Smith)が同誌の店頭販売を拒否する事態が発生した結果、全8巻を発行した後、1896年12月、廃刊に追い込まれてしまった。
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テイト・ブリテン美術館で所蔵 / 展示されている オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーのペン画「The Fat Woman」 (1894年 / Ink on paper) <筆者撮影> |
雑誌「サヴォイ」の美術編集者を務める傍ら、オーブリー・ビアズリーは、1896年2月にパリへ移転。同年3月下旬には、文芸編集者のアーサー・シモンズと一緒に、ブリュッセルへ出かけた際、同地において喀血。これが、後に彼の生命を奪うことになる結核(tuberculosis)の兆候だった。同年4月には、パリへ戻った。
出版人のレナード・スミザーズからの依頼に基づき、オーブリー・ビアズリーは、1896年6月後半から同年8月前半にかけて、古代アテナイの喜劇詩人 / 風刺詩人であるアリストパネス(Aristophanes)の喜劇「女の平和(Lysistrata)」の挿絵を制作したが、その後、結核のため、彼の健康状態は悪化の一途を辿るのであった。





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