英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。
グローブ座(Globe Theatre → 2023年5月8日付ブログで紹介済)の 右側に建っている居酒屋(tavern)の前に、 オセロー(画面右側の人物が)と イアーゴー(画面左側の人物)が佇んでいる。 |
今回紹介するのは、ウィリアム・シェイクスピア作の悲劇「オセロー(Othello)」(1603年ー1604年)である。
全5幕で構成される「オセロー」の副題は、「ヴェニスのムーア人(The Moor of Vemice)」で、四大悲劇の一つとなっている。
また、「オセロー」は、ボードゲームのオセロの名前の由来となっている。
居酒屋の前に居るイアーゴーは、オセローに対して、 「(オセローの)武官であるキャシオーが、(オセローの妻である)デズデモーナと不義密通している。」と、 嘘の情報を讒言している。 画面左側から、イアーゴー、オセロー、キャシオー、そして、デズデモーナ。 |
誇り高いムーア人(イスラム教徒)で、ヴェニスの軍隊の指揮官であるオセロー(Othello)は、デズデモーナ(Desdemona)と愛し合い、彼女の父親で、ヴェニス議会の議員でもあるブラバンショー(Brabantio)の反対を押し切って、彼女と結婚する。
オセローのことを嫌っている旗手のイアーゴー(Iago)は、オセローに気に入られた結果、自分よりも先に武官へと昇進したキャシオー(Cassio)がデズデモーナと不義密通をしていると、オセローに対して、讒言した。イアーゴーは、自分の讒言に真実味を加えるために、オセローがデズデモーナに贈ったハンカチを盗み出して、キャシオーの部屋に置き去ったのである。
イアーゴーの奸計に引っ掛かったオセローは、妻デズデモーナの貞操を疑い、嫉妬に怒り狂うと、イアーゴーに対して、キャシオーを殺すように命じる一方、デズデモーナの命を自らの手で絶ってしまう。
すると、イアーゴーの妻で、デズデモーナの召使いであるエミリア(Emilia)は、「デズデモーナのハンカチを盗んだのは、夫のイアーゴーである」ことを告白したため、怒ったイアーゴーは、妻のエミリアを刺し殺して、逃走を図った。
後に、イアーゴーは捕えられるが、真実を知って、自らの行いを深く後悔したオセローは、デズデモーナに口付けをしながら、自殺をするのであった。
ウィリアム・シェイクスピア作「オセロー」の元ネタは、ツィンツィオの「百物語(Gli Hecatommithi)」第3篇第7話にあり、
(1)
「百物語」:デズデモーナのみ、固有名が与えられているが、オセローに該る人物は「ムーア人」、また、イアーゴーに該る人物は「旗手」と呼ばれている。
「オセロー」:各人、デズデモーナ、オセロー、そして、イアーゴーと言う固有名が与えられている。
(2)
「百物語」:デズデモーナは、オセローによって、事故死に見せかけて殺される。
「オセロー」:デズデモーナは、オセロー自らの手で殺される。
(3)
「百物語」:デズデモーナを殺したことで錯乱したオセローは、イアーゴーを解職するが、後にこの罪を問われて追放されると、デズデモーナの親戚によって殺害される。
「オセロー」:真実を知って、自らの行いを深く後悔したオセローは、デズデモーナに口付けをしながら、自殺をする。
(4)
「百物語」:オセローを奸計に陥入れさせたイアーゴーは、拷問の末に死亡。
「オセロー」:イアーゴーは、真実を告白した妻のエミリアを刺し殺すと、逃亡するものの、後に捕らえられる。
等の違いはあるものの、基本的な筋は同じと言える。
バンケティングハウス入口上の外壁に架けられている ステュアート朝第2代国王であるチャールズ1世 (Charles Ⅰ:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年)のレリーフ - 清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)を経て、 1649年1月30日、バンケティングハウスの前において、 チャールズ1世の公開処刑が行われた。 |
ウィリアム・シェイクスピア作「オセロー」が上演された最も古い記録は、1604年11月1日にロンドンのホワイトホール宮殿(Palace of Whitehall)で行われたものである。
ホワイトホール宮殿は、英国王室の居住地として使用されていたが、1698年の火災で大半が焼失した結果、今でも現存しているのは、バンケティングハウス(Banqueting House → 2015年10月3日付ブログで紹介済)のみ。
バンケティングハウス内(上階)で 晩餐会等が開催される場所の天井から吊り下げられているシャンデリア |
バンケティングハウスは、晩餐会や舞踏会等の目的で使用されているが、通常は、一般の見学者に開放されている。
バンケティングハウスは、イタリア遊学中にイタリア・ルネッサンス建築の影響を大きく受けた英国の建築家イニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones:1573年ー1662年)が設計し、1622年に建築された。また、晩餐会や舞踏会等が開催される部屋の天井画は、フランドルの画家で外交官でもあったピーテル・パウス・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)によって描かれている。
ルーベンスによって描かれた天井画 |
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