テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)に所蔵 / 展示されている ジョージ・フレデリック・ワッツ作「希望(Hope)」 <筆者が撮影> |
ポワロが4番目にコンタクトするのは、セシリア・ウィリアムズ(Cecilia Williams - 事件当時、カロリン・クレイルの異母妹であるアンジェラ・ウォレン(Angela Warren)の家庭教師)で、ポワロがセシリア・ウィリアムズを訪れた際、彼女の部屋の壁に、「オレンジの上に座る目隠しされた少女(blind girl sitting on an orange)」の絵画が架けられていると言う記述が見受けられる。
この絵画「希望(Hope)」(1886年)を描いた英国ヴィクトリア朝時代の画家 / 彫刻家であるジョージ・フレデリック・ワッツ(George Frederic Watts:1817年ー1904年)は、1817年2月23日、ロンドンのマリルボーン地区(Marylebone)に、貧しいピアノ職人の息子として出生。
彼は、幼い頃から美術の才能を示し始め、10歳から英国の彫刻家であるウィリアム・ベーネス(William Behnes:1795年ー1864年)から彫刻を学び、18歳でピカデリー通り(Piccadilly)沿いに建つ王立芸術学校(Royal Academy School - 英国最古の美術学校)に入学した。
1769年に開校した王立美術院(Royal Academy of Arts)の250周年を記念して、 英国のロイヤルメール(Royal Mail)が2019年に発行した記念切手(その1) |
1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、 英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手(その2) |
1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、 英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手(その3) |
1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、 英国のロイヤルメールが2019年にが発行した記念切手(その4) |
1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、 英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手(その5) |
1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、 英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手(その6) |
1843年に、ジョージ・フレデリック・ワッツは、再建中のウェストミンスター宮殿(Palace of Westminster - 現在の国会議事堂)の壁画デザインコンテストに応募して、最初の賞を獲得する。
その後、イタリアを訪れた彼は、英国へ戻って来ると、自分の壁画を描けるような工房がある建物を探したが、残念ながら、見つけることができず、油絵制作の道へと進まざるを得なかった。
ある雨の日にテムズ河(River Thames)の南岸から見た英国国会議事堂 (旧ウェストミンスター宮殿) |
1864年(2月20日)に、ジョージ・フレデリック・ワッツは、英国の舞台女優であるアリス・エレン・テリー(Alice Ellen Terry:1847年ー1928年)と結婚する。結婚後、彼は、若き妻の肖像画を描いている。
エレン・テリーの誕生日は、1847年2月27日で、結婚当時、彼女は、17歳の誕生日の7日前だったため、ジョージ・フレデリック・ワッツとは、30歳近い年の差があった。また、彼女は、演劇一家の生まれで、後に英国演劇を代表する女優の一人となり、「Dame」の称号を受ける。
しかし、結婚後1年も経たないうちに、妻のエレンは、別の男性と駆け落ちをしまった結果、ジョージ・フレデリック・ワッツは、彼女と離婚できるのに、10年以上先の1877年までの期間を要した。
ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている アリス・エレン・テリーの肖像画 (Oil on strawboard mounted on Gatorfoam 472 mm x 352 mm) - ジョージ・フレデリック・ワッツが 1864年の結婚後に描いた若き妻の肖像画である。 |
この時、彼は69歳で、妻のメアリーは36歳だったので、最初の妻であったエレンよりも、更に年の差が開いていたのである。
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