筆者が所有している株式会社 昭文社発行の「マップルマガジン イギリス」から抜粋 |
サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)が英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1914年9月号から1915年5月号まで連載した「恐怖の谷(The Vallery of Fear → 2023年5月12日 / 5月17日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月29日 / 6月5日付ブログで紹介済)」において、サセックス州(Sussex)バールストン(Birlstone)のバールストン館(Birlstone House)に住むジョン・ダグラス(John Douglas)らしき人物が惨殺される。
スコットランドヤードのアレック・マクドナルド警部(Inspector Alec MacDonanld)に依頼されて、ロンドンからサセックス州のバールストン館まで出向いて来たシャーロック・ホームズ達は、死体の発見者の一人である執事のエイムズ(Ames)による証言を聞いた。
エイムズの証言によると、バールストン館の主人であるジョン・ダグラスは、事件があった日(1月6日)の前日(1月5日)、タンブリッジウェルズ(Tunbridge Wells)へ買い物に出かけたが、戻って来ると、日頃の彼にしては珍しく、落ち着きを失って、イライラしているように見えた、とのことだった。
タンブリッジウェルズとは、ロンドンの中心部から南東へ30マイル程(約50㎞)行ったところにあるケント州(Kent)内に所在する町である。
タンブリッジウェルズは、英国の王政復古時期(Stuart Restoration:1660年-1714年)に、温泉保養地として、次第に有名となり、17世紀半ば頃から19世紀にかけて、上流階級の滞在客を多くを惹き付けた。
また、18世紀には、「ザ・パンタイルズ(The Pantiles)」と呼ばれるショッピング街が整備され、現在では、家具、陶磁器や宝石等の骨董品を取り扱うアンティークショップは数多く集まっている。
英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されていた 英国王エドワード7世の切手(1910年) |
タンブリッジウェルズは、英国王室のメンバーや関係者が長年滞在したことを受けて、英国ザクセン-コーブルク & ゴータ朝(House of Saxe-Coburg and Gotha → 現在のウィンザー朝(House of Windsor))の初代国王であるエドワード7世(Edward VII:1841年-1910年 在位期間:1901年ー1910年)から、1909年に「ロイヤル(Royal)」の称号を授与され、正式に「ロイヤルタンブリッジウェルズ(Royal Tunbridge Wells)」と呼ばれるようになった。
ロイヤルタンブリッジウェルズは、英国において、「ロイヤル」の称号を有する3つの町の一つで、他の2つの町は、Royal Leamington Spa と Royal Wootton Bassett である。
なお、「恐怖の谷」の第1部において発生した事件の黒幕として、ホームズの終生のライヴァルで、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)が暗躍する。
1891年4月24日から始まった「最後の事件(The Final Problem → 2022年5月1日 / 5月8日 / 5月11日付ブログで紹介済)」において、同年5月4日、ジェイムズ・モリアーティー教授は、ホームズと一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝壺(Reichenbach Falls)にその姿を消しているので、「恐怖の谷」事件が発生したのは、1891年4月以前である。また、原作では、「恐怖の谷」事件が発生した時期について、「1880年代の終わりに差し掛かる頃(at the end of the 1880s)」と言及されている。
従って、タンブリッジウェルズが「ロイヤル」の称号を授与されるよりも、20年程前と言うことになる。
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