今回紹介するのは、ウィリアム・シェイクスピアによる複数の戯曲に登場する陽気でほら吹きの肥満騎士のサー・ジョン・フォールスタッフ(Sir John Falstaff)である。
サー・ジョン・フォールスタッフの場合、臆病者、大酒飲み、強欲、狡猾で、その上に好色と欠点ばかりであるが、非常な機知に富み、深遠な警句を発する憎めない人物として、ウィリアム・シェイクスピアによって描かれている。
グローブ座(Globe Theatre → 2023年5月8日付ブログで紹介済)の 右側に建っている居酒屋(tavern)の屋根の上に、 陽気でほら吹きの肥満騎士であるサー・ジョン・フォールスタッフが居て、 酒が入った瓶を両手に掲げている。 |
サー・ジョン・フォールスタッフは、
(1)史劇「ヘンリー4世 第1部(The First Part of Henry the Fourth)」(1596年-1597年)
(2)史劇「ヘンリー4世 第2部(The Second Part of Henry the Fourth)」(1598年)
(3)史劇「ヘンリー5世(The Life of Henry the Fifth)」(1599年)
(4)喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち(The Merry Wives of Windsor)」(1602年頃)
に登場する。
サー・ジョン・フォールスタッフは、は、史劇「ヘンリー4世」の2部作において、後にヘンリー5世(Henry V:1387年ー1422年 在位期間:1413年ー1422年)として即位するハル王子(Prince Hal)の放蕩仲間として登場するが、第2部の最後、ランカスター朝第最初のイングランド王であるヘンリー4世(Henry IV:1366年ー1413年 在位期間:1399年ー1413年)の後を継いで、ランカスター朝第2代のイングランド王に即位したヘンリー5世によって、追放されてしまう。
続編の「ヘンリー5世」において、サー・ジョン・フォールスタッフが、ヘンリー5世による追放後、失意の中、亡くなったことが、仲間の口から語られる。
当時より、サー・ジョン・フォールスタッフは人気が高かったため、作者の許可なく、彼を勝手に登場させた戯曲等が上演されたことを憂慮したウィリアム・シェイクスピアが、自分の戯曲内で、サー・ジョン・フォールスタッフを死んだことにすることで、今後、自分以外の第三者によって、彼が無断で使われないようにしたのだと言われている。
「ウィンザーの陽気な女房たち」において、サー・ジョン・フォールスタッフは、勝手な思い込みから、2人の夫人に恋を仕掛ける愉快な好色漢として登場する。
テューダー朝第5代にして、最後のイングランド王であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年-1603年 在位期間:1558年-1603年)が、サー・ジョン・フォールスタッフを大層気に入って、「彼の恋物語が見たい。」と所望したことを受けて、ウィリアム・シェイクスピアが、サー・ジョン・フォールスタッフを主人公にした喜劇「ウィンザーの陽気な女房たち」を執筆したのではないかと唱える説がある。
ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている エリザベス1世の肖像画 (Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel 1273 mm x 997 mm) |
なお、ウィリアム・シェイクスピアが生み出したサー・ジョン・フォールスタッフは、中世イングランドの騎士で、ヘンリー5世の盟友でもあったサー・ジョン・オールドカースル(Sir John Oldcastle:1378年ー1417年)が、モデルだと考えられている。
史劇「ヘンリー4世」の初演時、ウィリアム・シェイクスピアが、サー・ジョン・フォールスタッフに該る登場人物として、サー・ジョン・オールドカースルの名前をそのまま流用したため、子孫から抗議を受けてしまった。
そこで困ったウィリアム・シェイクスピアは、実際に百年戦争において活躍した中世イングランドの軍人で、彼の史劇「ヘンリー6世(Henry VI)」の第1部(1588年頃ー1590年頃)にも登場するサー・ジョン・ファストルフ(Sir John Fastolf:1378年頃ー1459年)の姓を綴り変えて、「フォールスタッフ」と言う架空の姓を使用したのである。
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