英国王ヘンリー8世による修道院解散法に基づき、 廃墟となったベイハム修道院(その1) |
サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)が英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1914年9月号から1915年5月号まで連載した「恐怖の谷(The Vallery of Fear → 2023年5月12日 / 5月17日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月29日 / 6月5日付ブログで紹介済)」において、サセックス州(Sussex)バールストン(Birlstone)のバールストン館(Birlstone House)に住むジョン・ダグラス(John Douglas)らしき人物が惨殺される。
スコットランドヤードのアレック・マクドナルド警部(Inspector Alec MacDonanld)に依頼されて、ロンドンからサセックス州のバールストン館まで出向いて来たシャーロック・ホームズ達は、死体の発見者の一人である執事のエイムズ(Ames)による証言を聞いた。
英国王ヘンリー8世による修道院解散法に基づき、 廃墟となったベイハム修道院(その2) |
エイムズの証言によると、バールストン館の主人であるジョン・ダグラスは、事件があった日(1月6日)の前日(1月5日)、タンブリッジウェルズ(Tunbridge Wells → 2023年6月18日付ブログで紹介済)へ買い物に出かけたが、戻って来ると、日頃の彼にしては珍しく、落ち着きを失って、イライラしているように見えた、とのことだった。
英国王ヘンリー8世による修道院解散法に基づき、 廃墟となったベイハム修道院(その3) |
ジョン・ダグラスは、事件の前日に出かけたタンブリッジウェルズの近くには、ベイハム修道院(Bayham Old Abbey)が所在している。
具体的には、タンブリッジウェルズの東方約8㎞の河畔に建っている。
英国王ヘンリー8世による修道院解散法に基づき、 廃墟となったベイハム修道院(その4) |
ベイハム修道院は、1208年頃、つまり、13世紀初めに、フランス人修道士によって設立された。
英国王ヘンリー8世による修道院解散法に基づき、 廃墟となったベイハム修道院(その5) |
その後、テューダー朝(House of Tudor)第2代のイングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年-1549年)が、宗教改革(イングランド王とローマ教皇の関係の変革)のために、小修道院解散法(Suppression of Religious Houses Act 1535)や大修道院解散法(Suppression of Religious Houses Act 1539)等を発令して、800以上の修道院を解散させ、その財産を王室の所有へと没収したが、その際、1538年に、ベイハム修道院も解散させられる羽目に陥った。
ベイハム修道院の向こうに沈む夕陽 |
ベイハム修道院の解散後、その土地は王室の所有となり、一時期、貴族に対して貸し与えられることもあったが、テューダー朝の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)の統治時に売却された。ベイハム修道院の土地に限らず、王室による没収した修道院の土地売却が、英国内の不動産の流動化に繋がっていく。
ベイハム修道院への入口 |
ベイハム修道院の土地は、複数の所有者を経て、最終的に、1714年、英国の裁判官で、政治家でもあるサー・ジョン・プラット(Sir John Pratt:1657年ー1725年)の所有となる。
その後も、ベイハム修道院の土地は、プラット家による所有のまま続き、1961年にイングリッシュヘリテージ(English Heritage - イングランドの歴史的建造物を保護する目的で、英国政府に設立された組織)に寄贈され、現在は、イングリッシュヘリテージが保護管理を行っている。
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