後にテューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)として即位するエリザベスが、異母姉で、「血まみれのメアリー(Bloody Mary)」と呼ばれたテューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)の崩御(1558年11月17日にセントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace)において崩御)を知らされたハットフィールドハウス(Hatfield House)は、ハートフォードシャー州(Hertfordshire)の町ハットフィールド(Hatfield)に所在する中世のカントリーハウス(貴族の館)である。
17世紀初めに初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルが建設した主館(その1) |
ヘンリー8世は、1533年から1536年にかけて、彼の長女であるメアリー王女(Princess Mary - 後のメアリー1世)を住まわせていたが、侍女であるエリザベス王女(Princess Elizabeth - 後のエリザベス1世)や長男であるエドワード王子(Prince Edward - 後のエドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年))も暮らし始める。
ナショナルポートレートギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている メアリー1世の肖像画の葉書 (Master John / 1544年 / Oil on panel 711 mm x 508 mm) |
1549年、当時のエドワード6世から初代ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリー(John Dudley, 1st Duke of Northumberland:1502年ー1553年)に譲られたが、エリザベス王女が反対したため、英国王室へと戻され、メアリー1世の崩御に伴い、自らが即位する1558年まで、エリザベス王女は、ここで暮らし、即位後も、ここを度々訪れた。
17世紀初めに初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルが建設した主館(その2) |
1607年にジェイムズ1世が、初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシル(Robert Cecil, 1st Earl of Salisbury:1563年ー1612年)との間で、ハットフィールドハウスとロバート・セシル邸を交換した結果、ハットフィールドハウスは、セシル家の所有となる。
初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルは、ヘンリー8世の子供達が暮らした古い館を取り壊した。取り壊しを免れた厩と門楼は、「ビショップ館」と呼ばれ、現在、レストラン等に使用されている。
続いて、彼は、1607年から1612年にかけて、3階建て煉瓦造りのカントリーハウスを新たに建設した。こちらは「主館」と呼ばれ、17世紀のイングランド建築を代表する建物であるが、1835年に西翼が火災で焼失した。
17世紀初めに初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルが建設した主館(その3) |
現在の所有者は、子孫である第7代ソールズベリー侯爵ロバート・マイケル・ジェイムズ・ガスコイン=セシル(Robert Michael James Gascoyne-Cecil, 7th Marquess of Salisbury:1946年ー)であるが、一般公開されている。
ハットフィールドハウスは、(1)初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルが建設した主館、(2)高位聖職者の邸宅だったビショップ館(現在、一部のみが残っている)、そして、(3)7500m2にも及ぶハットフィールド公園から成る。
なお、ハットフィールドハウスは、多くの映画や TV ドラマ等の撮影地として使用されている。
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