2023年11月15日水曜日

チャールズ・ディケンズの世界<ジグソーパズル>(The World of Charles Dickens )- その5

画面中央に建つ男性(黒いシルクハットを被り、黄色いマフラーを首に巻き、
青いコートを羽織り、右手に杖を持った男性)が、
チャールズ・ディケンズの伝記作家であるジョン・フォースターである。


英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2021年に発売されたジグソーパズル「チャールズ・ディケンズの世界(The World of Charles Dickens)」のイラスト内には、ヴィクトリア朝を代表する英国の小説家であるチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)や彼が生きた時代の人物、そして、彼の作品に登場するキャラクター等が散りばめられているので、次回以降、順番に紹介していきたい。


今回紹介するのは、ヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)の伝記作家 / 批評家ジョン・フォースター(John Forster:1812年-1876年)である。


ジョン・フォースターは、1812年4月2日、家畜業者である父ロバート・フォースター(Robert Forster:ー1836年)と母メアリー・フォースター(Mary Forster:1780年ー1852年)の下、4人兄弟の2番目として、ニューカッスル・アポン・タイン(Newcastle upon Tyne)に出生。


ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドンの入口から見た
主要校舎ウィルキンスビル(Wilkins Building)


ジョン・フォースターは、ロイヤルグラマー学校(The Royal Grammar School)において、古典や数学を学ぶ。

1828年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)に入学するが、1ヶ月後にはロンドンへ出て来て、ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London → 2015年8月16日付ブログで紹介済)での講義を受け、インナーテンプル(Inner Temple)と呼ばれる法曹院に入学し、法学を学び始めた。


インナーテンプルへの入口 -
ロンドン市内には、政治活動の中心地であるウェストミンスター(Westminster)と
経済活動の中心地であるシティー・オブ・ロンドン(City of London)が、存在している。
この2つの中心地が接する境界がホルボーン(Holborn)地区であり、
この地区には、「公正中立を保つ」という意味から、司法関係の施設が数多く集中している。
特に、フリートストリート(Fleet Street)とテムズ河(River Thames)沿いの
ヴィクトリアエンバンクメント(Victoria Embankment)に挟まれた場所には、
「テンプル(Temple)」と言う独特の静謐な空間が形成されている。
なお、「テンプル」は、「インナーテンプル」と「ミドルテンプル(Middle Temple)」の
2つから成り立っている。


一方で、ジョン・フォースターは、「The True Sun」、「The Morning Chronicle」や「The Examiner」等に寄稿して、文学や演劇の批評を行った。この批評活動を通して、彼は、チャールズ・ディケンズを初めとする作家との間に、友人関係を築いていった。


ジョン・フォースターは、1855年に精神障害委員会補佐(Secretary to the Lunacy Commission)に任命され、その後、1861年から1872年にかけて、精神障害委員会長(Commissioner in Lunacy)を務めた。なお、精神障害委員会(Lunacy Commission)は、1845年に制定された狂気法(Lunacy Act)によって設立された公的期間で、イングランドとウェールズの精神障害者の福祉を監督する立場にある。


ヴィクトリア&アルバート博物館の
正面玄関を見上げたところ

ジョン・フォースターは、チャールズ・ディケンズの伝記「Life of Charles Dickens」を執筆し始め、1872年に第1巻が出版され、1874年に完成を迎えた。

彼は、チャールズ・ディケンズの小説本や原稿等も収集しており、ヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria and Albert Museum)に寄贈された。

上記の通り、ジョン・フォースターは、主に、チャールズ・ディケンズの伝記作家として知られているのである。


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