2023年8月17日木曜日

シェイクスピアの世界<ジグソーパズル>(The World of Shakespeare )- その23

ロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)の
背後に建つ家の中で、
ウィリアム・シェイクスピアと同時代の人物で、
詩人 / 作家のジョン・ダンが、目を覚ましたところが描かれている。
<筆者が購入したジグソーパズルを撮影>


英国の Laurence King Publishing Group Ltd. より、2020年に発売されたジグソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」には、のイラスト内には、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)や彼が生きた時代の人物、彼の劇が上演されたグローブ座、そして、彼が発表した史劇、悲劇や喜劇に登場するキャラクター等が散りばめられているので、前回に続き、順番に紹介していきたい。


今回紹介するのは、ウィリアム・シェイクスピアと同時代の人物である。


<ジョン・ダン(John Donne:1572年ー1631年)>


ジョン・ダンは、英国の詩人 / 作家で、その後、英国国教会(Church of England)の司祭(cleric)になっている。


ジョン・ダンは、1572年にロンドンのカトリック信者の家に出生。彼の父親の名前もジョン・ダン(John Donne)で、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 2018年8月11日付ブログで紹介済)において、金物屋の管理人としていたが、1576年に亡くなった。そのため、彼の母親であるエリザベス・ヘイウッド(Elizabeth Heywood)が、子供達を育てる必要があった。


シティー・オブ・ロンドン内の
地下鉄バンク駅(Bank Tube Station)の近くに建つイングランド銀行(Bank of England)
<筆者撮影>


ジョン・ダンは、1583年に11歳でオックスフォード大学ハートホール(Hart Hall, Univeristy of Oxford → 現在のオックスフォード大学ハートフォードカレッジ(Hertford College, University of Oxford))に入学し、その3年後、ケンブリッジ大学(University of Cambridge)へ移った。

彼は、ケンブリッジ大学において、3年間学んだが、最終的には、学位を取得できなかった。その理由として、カトリック教徒のジョン・ダンが大学卒業に必要な「至上権商人の宣誓(Oath of Supremacy)」を拒否したためだと言われている。


「至上権商人の宣誓」とは、公職や教会の役職に就く者に対して、英国国教会の最高統治者である国王 / 女王への忠誠を義務付けたもので、忠誠を拒否した場合、反逆罪に問われたのである。

元々、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年-1547年)が、1534年の国王至上法(Act of Supremacy)により制定したが、テューダー朝の第4代イングランド王で、カトリック教徒であるメアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)が、これを廃止。その後、テューダー朝の第5代かつ最後の君主で、イングランドとアイルランドの女王であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)が、1559年の国王至上法により復活させたのである。


ジョン・ダンは、1591年にロンドンのチャンセリー法曹院(Inns of Chancery)の一つであるセイヴィスイン法学院(Thavies Inn legal school)に入り、そして、1592年に別のの法曹院(Inns of Court)であるリンカーンズイン法学院(Lincoln’s Inn legal school → 2017年3月19日付ブログで紹介済)へと移った。


リンカーンズ・イン・フィールズ(Lincoln's Inn Fields → 2016年7月3日付ブログで紹介済)に
面して建つリンカーン法曹院(Lincoln's Inn)の入口の門
<筆者撮影>


1593年に、彼の弟であるヘンリーがカトリックの牧師を匿った罪で逮捕され、腺ペストのため、獄中で死亡したことに伴い、ジョン・ダンは、カトリック信仰に対して、疑問を抱くようになる。


1601年、ジョン・ダンは、アン・モア(Anne More:-1617年)と、彼女の父親には内緒で、結婚。16年間の結婚生活で、彼らには12人の子供が生まれている。


ジョン・ダンは、1602年から1614年にかけて、国会議員(member of Parliament)を務めた後、1615年に英国国教会の司祭になり、1621年にはセントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日付ブログで紹介済)の首席司祭(Dean of St. Paul’s)に任ぜられ、1631年まで、その任にあった。


英国の建築家である
クリストファー・マイケル・レン(Christopher Michael Wren:1632年ー1723年)が完成させた
セントポール大聖堂の大ドーム
<筆者撮影>


こうした経歴が、ジョン・ダンによる初期の恋愛詩 / 風刺詩から晩年の宗教詩 / 宗教講話に反映していると言われており、「形而上詩人(metaphysical poets)」の先駆者と見做されている。

彼の代表作として、「蚤」や「日の出」と言ったソネット(十四行詩 / Sonnet)、「聖なるソネット10番」や「冠」と言った宗教詩がある。


ジョン・ダンは、1631年3月31日、ロンドンで亡くなった。享年59歳だった。


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