2023年8月30日水曜日

ウォーリック州(Warwickshire) ウォーリック城(Warwick Castle)- その2

ウォーリック城の塔の一つ(その1)
<筆者撮影>


イングランド中部のウォーリック州(Warwickshire)内を流れるエイヴォン川(River Avon)を望む崖の上に建っているウォーリック城(Warwick Castle)は、イングランドを征服(ノルマンコンクエスト / Norman Conquest)して、ノルマン朝(Norman Dynasty)を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年 - ウィリアム征服王(William the Conqueror)の名で呼ばれることの方が多い)によって、1068年に築かれた城が、ベースとなっている。

1068年に築かれたウォーリック城は、木製の「モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)」であったが、12世紀に入ると、石製のものに代えられた。


ウォーリック城の塔の一つ(その2)
<筆者撮影>

ウォーリック城は、1153年にアンジュー伯(Count of Anjou  在位期間:1151年ー1189年)のアンリ(Henry)によって接収され、囚人を閉じ込めるために使用された。

なお、アンジュー伯アンリは、後に、プランタジネット朝(House of Plantagenet)の初代イングランド王であるヘンリー2世(Henry II:1133年ー1189年 在位期間:1154年ー1189年)として即位する。


百年戦争(Hundred Years’ War:1337年-1453年)の際に、ウォーリック城は、要塞として強化され、以降、17世紀初頭まで、軍事拠点として使用された。


ウォーリック城は、1604年に、ステュアート朝(House of Stuart)のスコットランド、イングランドとアイルランドの王であるジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)から初代ブルック男爵フルケ・グレヴィル(Fulke Greville, 1st Baron Brooke:1554年ー1628年)へと与えられ、軍事拠点からカントリーハウスへの改装が実施された。その際、城の敷地内に、庭園が造成された。

その後、ウォーリック伯爵(Earl of Warwick)となったグレヴィル家によって、1978年まで所有された。


ウォーリック城の塔の一つ(その3)
<筆者撮影>

ウォーリック城は、1978年に、レジャー会社のタッソーグループ(The Tussauds Group)によって買収され、観光地となった。

2007年に、タッソーグループ自体が、ブラックストーングループ(Blackstone Group)に買収され、更に、ブラックストーングループは、マーリンエンターテインメンツ(Merlin Entertainments)に統合された。

その後、ウォーリック城は、投資会社のプレストベリーグループ(Prestbury Group)へと売却されたが、マーリンエンターテインメンツが35年間のリース契約を締結して、引き続き、観光施設としての運営を行っている。


ウォーリック城は、現在、「指定遺跡(Scheduled Ancient Monument)」かつ「第一級指定建築物(Listed building)」として、英国政府からの保護を受けている。


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