1888年3月20日の夜、ボヘミア国王(King of Bohemia)のカッセル・フェルシュタイン大公ウィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモント・フォン・オルムシュタイン(Wilhelm Gottsreich Sigismond von Ormstein, Grand Duke of Cassel-Felstein)から、5年前、王太子だった彼が秘密裡に交際していたアイリーン・アドラー(Irene Adler)と一緒に撮影した写真を取り戻す依頼を引き受けたシャーロック・ホームズは、馬丁(groom)に変装すると、翌朝の8時過ぎに、アイリーン・アドラーが住むセントジョンズウッド地区(St. John’s Woood → 2014年8月17日付ブログで紹介済)サーペンタインアベニュー(Serpentine Avenue)にあるブライオニーロッジ(Briony Lodge)へと向かった。
馬丁に変装したホームズが、ブライオニーロッジを見張っていると、インナーテンプル(Inner Temple → 2014年8月25日付ブログで紹介済)の弁護士で、アイリーン・アドラーの元を訪れたゴドフリー・ノートン(Godfrey Norton)と言う男性が、30分程して出て来て、馬車を拾うと、エッジウェアロード(Edgware Road → 2016年1月30日付ブログで紹介済)にあるセントモニカ教会(Church of St. Monica → 2014年8月24日付ブログで紹介済)へと走り去った。続いて、アイリーン・アドラーもブライオニーロッジから姿を現わすと、馬車を呼び止めて、行き先として、セントモニカ教会の名前を告げる。ホームズも、お金を奮発して、馬車で2人の後を追ったことになった。
ホームズが、セントモニカ教会に到着すると、教会内には、アイリーン・アドラー、ゴドフリー・ノートンと牧師(clergyman)の3人が居た。ホームズには想定外であったが、馬丁に変装した彼は、アイリーン・アドラーとゴドフリー・ノートンの2人が結婚する立会人をさせられてしまったのである。
結婚したアイリーン・アドラーとゴドフリー・ノートンの2人が新婚旅行に出かけた場合、ボヘミア国王から依頼を受けた問題の写真を取り戻すことは、非常に難しくなる可能性が高かった。
問題の写真がブライオニーロッジ内に保管されているものと推理したホームズは、写真を取り戻す計画を直ぐに実行に移すことに決めて、ジョン・H・ワトスンに対して、助力を頼んだ。この計画を実行することによって、アイリーン・アドラー自身に、写真の隠し場所を教えてもらおうと、ホームズは考えていた。馬丁の変装を解き、牧師に変装し直したホームズは、ワトスンを伴い、午後6時15分にベイカーストリート221B を出ると、ブライオニーロッジへと出発したのである。
ホームズとワトスンの2人が、ブライオニーロッジの前を行ったり来たりしていると、アイリーン・アドラーが馬車で戻って来た。彼女が馬車から降りようとした際、ブライオニーロッジの前でたむろしていて、彼女から小銭をせびろうとした浮浪者(loafing men / loafers)、衛兵(guardsmen)やハサミ研ぎ職人(scissors-grinder)の間で、喧嘩が勃発した。
彼らが喧嘩している現場の真っ只中に居て、巻き込まれそうになったアイリーン・アドラーを、牧師に変装したホームズが助けようとして、負傷を被ることになる。アイリーン・アドラーの指示により、顔から大量の血を流して倒れたホームズは、ブライオニーロッジ内へと運び込まれた。
これらの一部始終を見守っていたワトスンは、ホームズからの事前の指示通り、ホームズからの合図を受けて、発煙筒(rocket)をブライオニーロッジ内へ放り込んだ。そして、彼は、周囲に居た野次馬達と一緒に、「火事だ!」と叫ぶ。
外から聞こえた「火事だ!」と言う叫び声、そして、ブライオニーロッジ内に立ち込めた煙を目撃したアイリーン・アドラーは、咄嗟に問題の写真を取り出そうとして、近くに居た牧師姿のホームズに、その隠し場所を知られてしまった。
ブライオニーロッジ前で勃発した喧嘩、牧師に変装したホームズの負傷、更に、ブライオニーロッジの外で「火事だ!」と叫んだ野次馬達は、ホームズがアイリーン・アドラー宅内へと潜入するためのお芝居であり、全て、ホームズが手配していたのである。
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