シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、最初(1番目)に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年7月号に掲載されたサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」は、「シャーロック・ホームズには、いつでも「あの女性(ひと)」と呼ぶ女性が居る。(To Sherlock Holmes she is always the woman.)」と言う一文から始まる。
結婚し、シャーロック・ホームズと共同生活を送っていたベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の部屋を出て、開業医へと戻っていたジョン・H・ワトスンは、1888年3月20日の夜、往診の帰り道に、ベイカーストリート221Bの前を通りかかり、懐かしさからホームズの部屋を訪ねた。
再会したホームズとワトスンが話をしていると、立派な馬車がベイカーストリート221Bの前に乗り付け、やがて、仮装用のマスクで顔を隠した身長2m近くの大男が、部屋へと通されて来た。
顔に仮装用のマスクを付けた男性は、フォン・クラム伯爵(Count von Kramm)と名乗り、「ボヘミア国王の代理人として、ボヘミア王家の問題について、相談に訪れた。」と話したが、ホームズは、フォン・クラム伯爵の正体が、ボヘミア国王(King of Bohemia)のカッセル・フェルシュタイン大公ウィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモント・フォン・オルムシュタイン(Wilhelm Gottsreich Sigismond von Ormstein, Grand Duke of Cassel-Felstein)本人であることを、即座に見抜く。
ボヘミア国王によると、5年前、王太子だった彼は、アイリーン・アドラー(Irene Adler)と秘密裡に交際していたが、今回、ボヘミア国王は、スカンディナヴィアの王女と結婚することになり、それを知ったアイリーン・アドラーが、「二人で撮影した写真を、スカンディナヴィアの王女宛に送り付ける。」と脅迫してきたのである。アイリーン・アドラーと一緒に撮った写真を、スカンディナヴィアの王女宛に送り付けられた場合、ボヘミア国王とスカンディナヴィアの王女の結婚が破談になることを必至であった。
王太子だったボヘミア国王と秘密裡に交際していたアイリーン・アドラーは、オペラ歌手、より正確に言うと、コントラルト(Contralto - 女性の最低音域 / アルト(Alto)とも言う)歌手で、スカラ座(La Scala)に出演したことがあった。
スカラ座は、イタリアのミラノにある実在の歌劇場で、イタリアオペラ界最高峰の歌劇場と見做されている。
1717年に建設された初代の宮廷劇場であるテアトロ・レッジオ・ドゥカーレ(Teatro Regio Ducale)は、1776年2月25日、謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失したため、現在のスカラ座は、2代目の建物である。
2代目のスカラ座の諸データは、以下の通り。
(1)劇場名:
国立スカラ新劇場(Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala)
(2)建築家:
ジュゼッペ・ピエルマリーニ(Giuseppe Piermarini:1734年ー1808年)
(3)建設開始年:
1776年
(4)竣工年:
1778年
(5)収容可能人数:
約2200人
(6)こけら落とし(Opening performance):
1778年8月3日 - アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri:1750年ー1825年)作「見出されたエウローパ(Europa riconosciuta)」
(7)世界初演(World premieres):
1840年 - ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi:1813年ー1901年)作「一日だけの王様(Un giorno di reno)」
1842年 - ヴェルディ作「ナブッコ(Nabucco)」
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