シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、最初(1番目)に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年7月号に掲載されたサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」は、次の一文から始まる。
「シャーロック・ホームズには、いつでも「あの女性(ひと)」と呼ぶ女性が居る。(To Sherlock Holmes she is always the woman.)」
1888年3月20日の夜、ジョン・H・ワトスンは、ベイカーストリート221B のシャーロック・ホームズの元を訪れた。
ワトスンは、結婚し、ホームズと共同生活を送っていたベイカーストリート221Bの部屋を出て、開業医へと戻っていたが、往診の帰り道に、ベイカーストリート221Bの前を通りかかり、懐かしさからホームズの部屋を訪ねたのであった。
久し振りに再会したホームズは、ワトスンに対して、先程郵便で届いた分厚く、ピンクがかった便箋を投げて寄越した。その手紙には、日付がない上に、名前も住所も書かれていなかったが、ホームズは、ワトスンに、手紙を書いた人物を推論するよう、促した。
そして、ホームズは、ワトスンに、「間も無く、依頼人がやって来る。」と話した。
ホームズの言葉通り、暫くすると、立派な馬車がベイカーストリート221Bの前に乗り付け、やがて、仮装用のマスクで顔を隠した身長2m近くの大男が、部屋へと通されて来た。
顔に仮装用のマスクを付けた男性は、フォン・クラム伯爵(Count von Kramm)と名乗り、「ボヘミア国王の代理人として、ボヘミア王家の問題について、相談に訪れた。」と話したが、ホームズは、フォン・クラム伯爵の正体が、ボヘミア国王(King of Bohemia)のカッセル・フェルシュタイン大公ウィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモント・フォン・オルムシュタイン(Wilhelm Gottsreich Sigismond von Ormstein, Grand Duke of Cassel-Felstein)本人であることを、即座に見抜く。
ホームズに正体を見破られたフォン・クラム伯爵は、自分がボヘミア国王であることを認め、顔から仮装用のマスクを外すと、ホームズに対して、依頼の内容を語り出した。
英国で出版された「ストランドマガジン」 1891年7月号に掲載された挿絵(その4) - 1888年3月20日の夜、ベイカーストリート221B を訪れた ボヘミア国王の代理人であるフォン・クラム伯爵の正体が、 ボヘミア国王本人であることを、ホームズが即座に見抜くと、 彼は仮装用のマスクを顔から剥ぎ取ると、床に投げ捨てた。 挿絵:シドニー・エドワード・パジェット (1860年 - 1908年) |
アイリーン・アドラーはオペラ歌手で、その経歴は、以下の通り。
・1858年、米国のニュージャージー州生まれ。
・コントラルト(Contralto - 女性の最低音域 / アルト(Alto)とも言う)歌手
・ワルシャワ帝国オペラ座(Imperial Opera of Warsaw)のプリマドンナ(Prima donna)
・イタリアのミラノにあるスカラ座(La Scala)に出演したことあり。
・現在は、オペラの舞台から引退して、ロンドンに在住。
今回、ボヘミア国王は、スカンディナヴィアの王女と結婚することになったが、それを知ったアイリーン・アドラーが、「二人で撮影した写真を、スカンディナヴィアの王女宛に送り付ける。」と脅迫してきたのである。アイリーン・アドラーと一緒に撮った写真を、スカンディナヴィアの王女宛に送り付けられた場合、ボヘミア国王とスカンディナヴィアの王女の結婚が破談になることを必至であった。
ボヘミア国王は、二人で撮影した写真を取り戻すべく、人を雇って、アイリーン・アドラーの家捜しさせたり、また、彼女への強盗まがいの真似をさせたりしたが、残念ながら、問題の写真を見つけ出すことは、できなかった。
アイリーン・アドラーがスカンディナヴィアの王女宛に写真を送り付けると通告したボヘミア国王とスカンディナヴィアの王女の婚約発表の日付が迫って来たものの、期待する結果を得られず、非常に困ったボヘミア国王は、自らホームズの元へ依頼にやって来たのである。
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