英国の Seven Dials, Cassel & Co が2000年に出版した ポール・ジョンスン(Paul Johnson)著 「Castles of England, Scotland & Wales」(筆者所有)から抜粋。 |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「死者のあやまち(Dead Man’s Folly → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)」(1956年)のストーリーは、次のようにして始まる。
その際、オランダ人の女性旅行者は、ポワロに対して、’I to England come for two week holiday. I come from Holland. I like England very much. I have been Stratford Avon, Shakespeare Theatre and Warwick Castle. …’ と話した。
オランダ人の女性旅行者が、ストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon → 2023年8月24日 / 8月26日付ブログで紹介済)にあるロイヤル シェイクスピア劇場(Royal Shakespeare Theatre)を観光した後に訪れたウォーリック城(Warwick Castle)は、イングランド中部のウォーリック州(Warwickshire)内にある中世の城で、エイヴォン川(River Avon)を望む崖の上に建っている。
元々、この場所には、アングロサクソン人の砦が建っていたが、イングランドを征服(ノルマンコンクエスト / Norman Conquest)して、ノルマン朝(Norman Dynasty)を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年 - ウィリアム征服王(William the Conqueror)の名で呼ばれることの方が多い)によって、1068年に、ウォーリック城が築かれた。
ウィリアム1世の後を継いで、ノルマン朝第2代イングランド王となったウィリアム2世(William II:1060年頃ー1100年 在位期間:1087年ー1100年)は、配下のヘンリー・ド・ブォーモント(Henry de Beaumont:不明ー1119年)をウォーリック城の城守(constable)に任命する。そして、ヘンリー・ド・ブォーモントは、1088年に初代ウォーリック伯爵(1st Earl of Warwick)に任じられ、以降、ウォーリック城は、その権力の象徴となった。
コーンウォール州(Cornwall)ローンストン内に所在するローンストン城(Launceston Castle) <筆者撮影> - ローンストン城は、「モット・アンド・ベイリー」で築かれた典型的な城である。 |
1068年に築かれたウォーリック城は、木製の「モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)」であったが、12世紀に入ると、石製のものに代えられた。
なお、「モット・アンド・ベイリー」とは、「モット(motte)」と呼ばれる小高い丘の上に建てられた木製、または、石製のキープ(keep)と、矢来(palisade)や防御用の堀(rampart)等で囲まれた中庭(bailey)で構成された要塞施設のことを意味している。
ローンストン城の入口 <筆者撮影> - ローンストン城は、現在、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)によって管理されている。 |
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