2025年1月14日火曜日

初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)- その2

初代レイトン男爵フレデリック・レイトンが描いた
彼の代表作でもある
「燃え立つ6月(Flaming June)」(1895年)の絵葉書
Oil on canvas / 119.1 cm x 119.1 cm
<筆者が王立芸術院で購入>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェーン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)で、ミス・マープルが、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に、尊敬する人物として挙げていた「Mr Frederic Leighton」は、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。


フレデリック・レイトンは、1830年12月3日、医者である父フレデリック・セプティマス・レイトン(Dr. Frederic Septimus Leighton:1799年ー1892年)と母オーガスタ・スーザン・レイトン(Augusta Susan Leighton)の下、ノースヨークシャー州(North Yorkshire)のスカボロー(Scarborough)に出生。


彼の祖父であるサー・ジェイムズ・ボニフェース・レイトン(Sir James Boniface Leighton:1769年ー1843年)は、ロマノフ朝第10代ロシア皇帝であるアレクサンドル1世(Alexander I:1777年ー1825年 在位期間:1801年ー1825年)とロマノフ朝第11代ロシア皇帝であるニコライ1世(Nicholas I:1796年ー1855年 在位期間:1825年ー1855年)の2代にわたり、皇帝付きの医師を務めており、レイトン家の富は、これによって蓄積された。従って、孫であるフレデリック・レイトンは、生涯を通じて、祖父が蓄積した富の恩恵を受けることになる。


フレデリック・レイトンは、まず最初に、ロンドンのユニヴァーシティー・カレッジ・スクール(University College School)において、教育を受ける。


その後、彼は欧州大陸へ留学し、ドイツにおいて、オーストリアの画家であるエドヴァルト・フォン・シュタインレ(Eduard von Steinle:1810年ー1886年)に、そして、フランスのパリにおいて、イタリアの風景画家であるジョヴァンニ・コスタ(Giovannni Costa:1826年ー1903年)の下で学んだ。


24歳になったフレデリック・レイトンは、イタリアのフィレンツェ(Florence)へ行き、欧州初の絵画を教える機関であるアッカでミア・ディ・ベッレ・アルティ(Accademia di Belle Arti - 現在のアカデミア美術館(La Galleria dell’Accademia a Firenze))で学ぶ。


1855年から1859年にかけて、フレデリック・レイトンは、パリに定住し、19世紀のフランスを代表する画家である


*ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres:1780年ー1867年)

*ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot:1796年ー1875年)

*フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugene Delacroix:1798年ー1863年)

*ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet:1814年ー1875年)


と親交を結んだ。


2025年1月13日月曜日

初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)- その1

英国ヴィクトリア朝時代の画家 / 彫刻家であるジョージ・フレデリック・ワッツ
(George Frederic Watts:1817年ー1904年
→ 2023年6月12日 / 6月16日付ブログで紹介済)が描いた
初代レイトン男爵フレデリック・レイトンの肖像画
「Portrait of Frederic, Lord Leighton, PRA」(1888年)の絵葉書
Oil on canvas / 115 cm x 88 cm
<筆者が王立芸術院で購入>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェーン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)の場合、知り合いの弁護士であるペサリック氏(Mr. Petherick)の紹介により、ローズ氏(Mr. Rhodes)が、相談のために、ミス・マープルの元を訪れるところから、物語が始まる。


ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
「ミス・マープル最後の事件簿(Miss Marple's Final Cases)」(1979年)の一場面 -
「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る」が、その題材となっている。


驚くことに、ローズ氏は、ミス・マープルが住むセントメアリーミード村(St. Mary Mead)から20マイル程離れたバーンチェスター村(Barnchester)において発生した殺人事件の容疑者と目されていたのである。事件の被害者は、なんと、彼の妻(Mrs. Rhodes)で、彼ら夫妻が宿泊していたクラウンホテル(Crown Hotel)の寝室において、小剣(stiletto dagger)により刺殺されたのだった。


ローズ夫妻が宿泊していた部屋は、居間と寝室の二間続きとなっており、それぞれの部屋から廊下へ直接出ることができるドアが付いていた。

事件当夜、ローズ氏は居間において仕事(本の執筆)をしており、ローズ夫人は既に寝室で休んでいた。

午後11時頃、ローズ氏が、仕事の書類を片付けて、休むために寝室へと向かったところ、ローズ夫人が殺されているのを発見したのであった。

寝室から廊下へと出るドアについては、内側から施錠されていたため、ローズ夫人を刺殺した犯人が、当該ドアから廊下へ逃げることは不可能だった。一方、居間には、ローズ氏本人がずーっと居て、仕事をしていたため、彼が犯人ではないとすると、彼らが宿泊していた部屋は、所謂、密室状態だったのである。


ローズ氏以外に、唯一怪しいと思われたのは、ローズ夫人の元へ湯たんぽを運んで来たホテルのメイドだった。

メイドは、廊下から居間側のドアを通り、居間に入ると、居間と寝室の間のドアを抜けて、寝室へと向かった。暫くして、彼女は、居間と寝室の間のドアを通り、寝室から居間へと戻り、そして、居間のドアを開けて、廊下へと出て行った。

メイド本人は、長年、クラウンホテルに勤めており、ローズ夫人を殺害した犯人とは、到底考えられなかった。


ローズ氏から相談を受けたミス・マープルは、この密室殺人事件に挑むのであった。


当該作品の冒頭において、ミス・マープルは、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に対して、「as Raymond always says (only quite kindly, because he is the kindest of nephews) I am hopelessly Victorian. I admire Mr Alma-Tadema and Mr Frederic Leighton and I suppose to you they seem hopelessly vieux jeu.」と語っている。


赤レンガの外観が映えるレイトンハウス博物館
(Leighton House Museum → 2016年3月6日付ブログで紹介済)


レイトンハウス博物館の入口左側の外壁に
「レイトン男爵(フレデリック・レイトン)がここに住んでいた」ことを
示すブループラークが掲げられている


ミス・マープルの話の中に出てきた「Mr Frederic Leighton」とは、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。

彼は、1864年に王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会員となった後、1878年には同会長に就任し、以後20年近く会長として君臨した。

また、1896年1月24日に、彼は初代レイトン男爵(1st Baron Leighton)となったが、翌日の1月25日、狭心症の発作を起こして、この世を去ってしまう。僅か1日だけではあったが、英国美術界において、男爵以上の爵位を与えられたのは、現在に至るまで、彼一人である。 


2025年1月12日日曜日

コナン・ドイル作「青いガーネット」<英国 TV ドラマ版>(The Blue Carbuncle by Conan Doyle )- その1

ジェレミー・ブレットがシャーロック・ホームズとして主演した
英国のグラナダテレビ制作「シャーロック・ホームズの冒険」の
DVD コンプリートボックス1巻目の表紙


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle → 2025年1月1日 / 1月2日 / 1月3日 / 1月4日付ブログで紹介済)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、7番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年1月号に掲載された。

同作品は、1892年に発行されたホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


本作品は、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が制作した「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)において、TV ドラマとして映像化された。具体的には、第1シリーズ(The Adventures of Sherlock Holmes)の第7エピソード(通算では第7話)として、英国では、1984年6月5日に放映された。なお、日本では、約1年後の1985年6月15日に放映されている。


主な配役は、以下の通り。


(1)シャーロック・ホームズ:ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett:1933年ー1995年)

(2)ジョン・ワトスン:デヴィッド・バーク(David Burke:1934年ー)


(3)モーカー伯爵夫人(Countess of Morcar / ホテルコスモポリタン(Hotel Cosmopolitan)に宿泊していた際、部屋の宝石箱から「青いガーネット(blue carbuncle)」を盗まれた貴族): Rosalind Knight

(4)キャサリン・キューサック(Catherine Cusack / モーカー伯爵夫人のメイド): Ros Simmons


(5)ジェイムズ・ライダー(James Ryder / ホテルコスモポリタンの客室係): Ken Campbell

(6)ジョン・フレデリック・ホーナー(John Frederick Honer / 修理工): Desmond McNamara

コナン・ドイルの原作では、ジョン・ホーナー(John Honer)となっているが、TV ドラマ版の場合、フレデリック(Frederick)と言うミドルネームが追加されている。また、原作では、彼の年齢は26歳と設定されているが、TV ドラマ版の場合、彼の年齢は36歳に設定されている。


(7)ジェニー・ホーナー(Jennie Horner / ジョン・ホーナーの妻): Amelda Brown

コナン・ドイルの原作では、ジョン・ホーナーの妻は登場しない。TV ドラマ版の場合、彼女に加えて、2人の子供達(姉と弟)も登場する。

(8)ブラッドストリート警部(Inspector Bradstreet / スコットランドヤードの警部): Brian Miller

コナン・ドイルの原作では、ブラッドストリート警部は登場しない。


(9)ハドスン夫人(Mrs. Hudson / ベイカーストリート 221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の家主):Rosalie Williams

コナン・ドイルの原作では、ハドスン夫人は登場しない。

(10) ピータースン(Peterson / 退役軍人): Frank Mills


英国の The Orion Publishing Group Ltd. より、
2022年に発行されたシャーロック・ホームズをテーマにしたトランプのうち、
4 ♦️「太った白いガチョウ(Dead Goose)」


(11)ヘンリー・ベイカー(Henry Baker / 「青いガーネット」を飲み込んだガチョウを路上に落として行った人物):Frank Middlemass


ホームズとワトスンが訪れたブルームズベリー地区にあるアルファインと言うパブは架空の酒場で、
残念ながら、実在していない。
ただし、グレイトラッセルストリート(Great Russell Street)を挟んで、
大英博物館の正面入口近くにある「ミュージアム・タバーン(Museum Tavern)」と言うパブが、
アルファインのモデルだったのではないかと、一般に言われている。


(12)ウィンディゲイト(Windigate / 大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の近くにあるパブ「アルファイン(Alpha Inn → 2015年12月19日付ブログで紹介済)」の経営者):Don McCorkindale


サザンプトンストリート(Southampton Street)沿いの建物壁面に掛けられている
「コヴェントガーデンマーケット」の看板


(13)ブレッケンリッジ(Breckenridge / コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market → 2016年1月9日付ブログで紹介済)において、ガチョウの店を営んでいる人物):Eric Allan

コナン・ドイルの原作では、「ブレッキンリッジ(Breckinridge)」と言う名前になっているが、TV ドラマ版の場合、何故か、「ブレッケンリッジ」と言う名前に変更されている。

(14)マギー・オークショット夫人(Mrs. Maggie Oakshott / ジェイムズ・ライダーの姉で、ブレッキンリッジがガチョウを仕入れた元):Maggie Jones

偶然ではあるが、オークショット夫人と演者の愛称が一致している。


オークショット夫人によるガチョウ飼育場があったブリクストンロード117番地
(117 Brixton Road → 2017年7月15日付ブログで紹介済)を含むフラット群


(15)酔客(Roughs / トッテナムコートロード(Tottenham Court Road → 2015年8月15日付ブログで紹介済)とグッジストリート(Goodge Street → 2014年12月27日付ブログで紹介済)の角においてガチョウを抱えたヘンリー・ベイカーをからかって、喧嘩になったごろつき達):John Cannon / Eric Kent


グッジストリートの西側から東方面を見たところ
奥に見えるのが、トッテナムコートロード -
クリスマスの早朝、宴席から帰る途中の退役軍人ピータースンが、
喧嘩の現場に残された帽子とガチョウを見つけたのは、
画面の奥辺りである。


2025年1月10日金曜日

森見登美彦作「夜行(Night Train / Walking through the Night / Eternal Night by Tomihiko Morimi)」

日本の小学館から2019年に刊行されている
森見登美彦作「夜行」(小学館文庫)の表紙
(カバーデザイン:岡本歌織 <next door design> /
カバーイラスト:ゆうこ)


今回は、2024年1月に中央公論社から「シャーロック・ホームズの凱旋(The Triumphant Return of Sherlock Holmes → 2024年12月26日 / 12月27日 / 12月28日 / 12月29日付ブログで紹介済)」を出版した日本の小説家である森見登美彦(Tomihiko Morimi:1979年ー)が発表した「夜行(Night Train / Walking through the Night / Eternal Night)」について、紹介したい。


「夜行は、2016年に小学館より単行本として刊行された後、加筆改稿の上、2019年に同社より文庫化されている。


今から10年前の秋、同じ英会話スクールに通っていた


(1)大橋(男性 / 当時、大学2回生)

(2)中井(男性 / 当時、修士課程の大学院生)

(3)武田(男性 / 当時、大学1回生)

(4)田辺(男性 / 最年長者)

(5)藤村(女性 / 当時、大学1回生)

(6)長谷川(女性 / 当時、大学2回生)


の6人の仲間達は、一緒に叡山電車に乗り、京都の「鞍馬の火祭」を見物に出かけた。その夜、仲間の一人である長谷川さんが、姿を消した。

関係者による努力も空しく、何一つ手掛かりは見つからなかった。長谷川は、まるで虚空に吸い込まれたかのように消えてしまったのである。


10年後の10月下旬、失踪した長谷川を除く5人が再度京都に集まり、「鞍馬の火祭」を観に行くことになった。皆、彼女のことを未だに忘れることができなかったからだった。

田辺は、仕事の都合で、少し遅れるということだったので、再会した大橋、中井、武田と藤村の4人は、改札を抜けて、叡山電車に乗り込むと、宿泊予定の貴船川沿いの宿へと向かう。

宿に到着して、田辺の到着を待ちながら、風呂に入ったりしているうちに、ぽつぽつと雨が降り出した。

遅れていた田辺が到着して、5人が猪鍋を囲む頃になると、降り注ぐ雨は一段と激しさを増す。

「鞍馬の火祭」が雨天延期になるのではないかと心配しつつ、夜が更けてゆく中、各人が旅先で出会った不思議な出来事を語り始めるのであった。


*第一夜:尾道(語り手:中井 / 時期:5年前の5月中旬の週末)

*第二夜:奥飛騨(語り手:武田 / 時期:4年前の秋)

*第三夜:津軽(語り手:藤村 / 時期:3年前の2月)

*第四夜:天竜峡(語り手:田辺 / 時期:2年前の春)


彼らは、旅の道中、岸田道生と言う銅版画家が制作した「夜行」と言う銅版画を目にしていた。


岸田道生は、東京の芸大を中退した後、英国の銅版画家に弟子入り。

日本への帰国後、郷里の京都市内にアトリエを構えるが、7年前の春に死去。

彼は、「尾道」、「伊勢」、「野辺山」、「奈良」、「会津」、「奥飛騨」、「松本」、「長崎」、「津軽」や「天竜峡」等、「夜行」と呼ばれる連作の銅版画を遺していた。

いずれの銅版画にも、目も口もなく、滑らかな白いマネキンのような顔を傾けている一人の女性が描かれており、天鵞絨(ビロード)のような黒い背景に、白い濃淡だけで描かれた風景は、永遠に続く夜を思わせた。


どうして、岸田道生は、連作の銅版画に、「夜行」と言うタイトルを付したのだろうか?

「夜行列車」の夜行か、あるいは、「百鬼夜行」の夜行なのか?


次第に雨が小降りになったため、5人は腰をあげると、「鞍馬の火祭」の見物へと向かう。

そして、彼らは、「最終夜:鞍馬」において、驚く経験をするのであった。


森見登美彦作「夜行」は、「シャーロック・ホームズの凱旋」とは異なり、推理小説ではなく、論理的な解決をする訳ではないが、個人的には、「シャーロック・ホームズの凱旋」よりも、出来は良いのではないかと思う。

「夜行」の文庫本には、「怪談 x 青春 x ファンタジー」と書かれているが、正直ベース、これらの分類は、どれも当てはまらないような気がする。個人的には、「幻想」小説と言った方が、一番近いのではないだろうか?

実際のところ、「シャーロック・ホームズの凱旋」の場合も、最終的には、論理的な解決ではなく、非現実的な解決を迎えているので、著者の作品群を見る限り、「ファンタジー」への傾向が強いと言える。


なお、「夜行」に付した英訳である「Night Train / Walking through the Night / Eternal Night」については、作品の内容を踏まえた上での筆者によるものである。


2025年1月9日木曜日

綾辻行人作「迷路館の殺人」<小説版>(The Labyrinth House Murders by Yukito Ayatsuji ) - その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
Pushkin Vertigo シリーズの一つである
綾辻行人作「迷路館の殺人」の英訳版の裏表紙
(Cover design by Jo Walker /
Cover image by Shutterstock)

稀譚社の編集者である宇多山英幸(Hideyuki Utayama:40歳)が、1987年の新年に推理作家界の巨匠である宮垣葉太郎(Yotaro Miyagaki:59歳)の元を訪れてから、約3ヶ月が経過。今日は4月1日で、世間は春を迎えていた。

宇多山英幸は、身重の妻である宇多山桂子(Keiko Utayama:33歳)を車に乗せ、若狭湾を右手に見ながら、宮垣葉太郎が住む「迷路館(The Labyrinth House)」へと向かっていた。

今日(4月1日)は、宮垣葉太郎の誕生日で、「迷路館」において、還暦(60歳)の祝賀パーティーがささやかに行われる予定だった。宇多山英幸 / 桂子夫妻は、宮垣葉太郎の還暦祝賀パーティーに招かれていたのである。

宇多山英幸が宮垣葉太郎から事前に聞いた限りでは、宮垣葉太郎の還暦祝賀パーティーに招かれた客は、全員で8名とのことだった。宇多山桂子が、自分達以外の招待客を指折り数えるものの、何故だか、一人足りない。宇多山英幸は、妻に対して、「残りの1人は、僧侶だと思う。」と答えた。


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2020年に刊行されている
Pushkin Vertigo シリーズの一つである
綾辻行人作「十角館の殺人」の英訳版の表紙
(Cover design & illustration by Jo Walker)


宮垣葉太郎が住む「迷路館」へ向かう途中、宇多山英幸 / 桂子夫妻は、故障のため、路上で立ち往生している車に出会した。

故障した車に乗っていたのは、推理小説マニアで、「十角館の殺人(The Decagon House Murders → 2023年2月21日 / 2月25日 / 3月9日 / 3月18日付ブログで紹介済)」と「水車館の殺人(The Mill House Murders → 2023年4月30日 / 5月3日 / 5月13日付ブログで紹介済)」において探偵役を務めた島田潔(Kiyoshi Shimada:37歳)だった。

彼は、今は亡き建築家である中村青司(Seiji Nakamura)が設計した「迷路館」を見たくて、そこへ向かっていたところ、偶然、宮垣葉太郎と知り合いになり、今回、推理小説マニアの代表として、宮垣葉太郎の還暦祝賀パーティーに招かれる運びとなっていた。つまり、宇多山英幸 / 桂子夫妻が判らなかった謎の招待客は、島田潔だったのである。


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2023年に刊行されている
Pushkin Vertigo シリーズの一つである
綾辻行人作「水車館の殺人」の英訳版の表紙
(Cover design by Jo Walker /
Cover image by Marcelo Eduardo)


その後は、何事もなく、「迷路館」に無事到着した宇多山英幸 / 桂子夫妻と島田潔であったが、彼ら以外には、以下の5名が招待されていた。


(1)清村淳一(Jyunichi Kiyomura:30歳 - 推理作家)

(2)須崎昌輔(Shosuke Suzaki:40歳 - 推理作家)

(3)舟丘まどか(Madoka Funaoka:30歳 - 推理作家)

(4)林宏也(Hiroya Hayashi:27歳 - 推理作家)

(5)鮫嶋智生(Tomoo Samejima:38歳 - 評論家)


彼らは皆、宮垣葉太郎の絶賛を受け、若くして文壇にデビューしたものの、彼らの中には、現在、伸び悩んでいる者も居た。


宮垣葉太郎の出迎えを待ち侘びる8名であったが、約束の時間を過ぎても、何故か、宮垣葉太郎は姿を見せなかった。

すると、そこへ彼の秘書である井野満男(Mitsuo Ino:36歳)が現れて、


*宮垣葉太郎は、今朝、自殺したこと

*宮垣葉太郎の遺書に従い、彼の死を警察にはまだ通報していないこと


を告げる。

自殺を遂げた宮垣葉太郎は、1本のテープを遺しており、そこには、驚くべき内容が録音されていたのである。


2025年1月8日水曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / フランシス・クリック(800th Anniversary of the University of Cambridge / Francis Crick)

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
英国の科学者 / 生物学者である
フランシス・ハリー・コンプトン・クリントン(中央の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。


ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、(1)アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)、(3)ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)、(4)ジョン・ディー(John Dee:1527年ー1608年、または、1609年 → 2024年7月30日付ブログで紹介済)、(5)オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年 → 2024年8月4日付ブログで紹介済)、(6)ジョン・ミルトン(John Milton:1608年ー1674年 → 2024年8月17日付ブログで紹介済)、(7)ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)、(8)第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)、(9)ヘンリー・ド・ウィントン + ジョン・チャールズ・シリング(Henry de Winton + John Charles Thring → 2024年9月16日付ブログで紹介済)、(10)ジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clark Maxwell → 2024年11月30日 / 12月3日付ブログで紹介済)、(11)フランク・ウィットル(Frank Whittle → 2024年12月7日付ブログで紹介済)、(12)ドロシー・ガロッド(Dorothy Garrod → 2024年12月12日付ブログで紹介済)や(13)ロザリンド・エルシー・フランクリン(Rosalind Elsie Franklin → 2024年12月30日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。


14番目に紹介するのは、フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(Francis Harry Compton Crick)である。


(14)フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(1916年ー2004年)


フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(Francis Harry Compton Crick:1916年ー2004年)は、英国の科学者 / 生物学者で、DNA の二重螺旋構造の解明で有名である。


フランシス・クリックは、1916年6月8日、ノーザンプトン州(Northamptonshire)ウェストンファヴェル(Weston Favell)と言う小さな村で靴やブーツ等を製造する工場を営む父ハリー・クリック(Harry Crick)と母アニー・エリザベス・クリック(Annie Elizabeth Crick - 旧姓:ウィルキンス / Wilkins)の下に出生。

彼は、小さい頃から科学に興味を抱き、読書から多くのことを学んだ。両親は彼を教会へ連れて行ったが、長じるにつれて、「教会へはもう行きたくない。」と言い出し、信仰心よりも科学への興味を重要視した。


フランシス・クリックは、ノーザンプトン(Northampton)のノーザンプトングラマースクール(Northampton Grammar School)を経て、ロンドンのミルヒル高校(Mill Hill School)に奨学生として入学、数学、物理学や化学を学ぶ。

その後、彼は、ロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)のユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London → 2015年8月16日付ブログで紹介済)へ進み、1937年(21歳)に物理学の修士号を獲得。


こうして、フランシス・クリックは、物理学者としての道を歩み始めたが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)の勃発により、彼の研究は一時中断。戦時中、彼は、英国海軍機雷研究所(Admiralty research Laboratory)に勤務し、磁気や音響反応型の機雷の設計を行った。また、ドイツの掃海艇(German minesweepers)に対抗する新型機雷の設計にも携わる。


第二次世界大戦後の1947年、フランシス・クリックは、生物学を学び始め、ケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)に入所。

1951年に、ジェイムズ・デューイ・ワトスン(James Dewey Watson:1928年ー / 米国出身の分子生物学者)が同地を訪れ、2人は意気投合する。


ロザリンド・フランクリンは、1950年にロンドン大学のキングスカレッジ(King’s College)に研究職を得た際、X線による DNA 構造の解析を研究テーマとして与えられる。

彼女は、この研究に没頭し、1953年に、DNA の螺旋構造の解明に繋がる X線回折写真の撮影に成功、これが「photo51」と呼ばれている。


ロザリンド・フランクリンは、キングスカレッジにおいて、彼女よりも前から、X線回折による DNA の構造研究を進めていたモーリス・ヒュー・フレデリック・ウィルキンス(Maurice Hugh Frederick Wilkins:1916年ー2004年 / 英国の生物物理学者)との間で、DNA の構造研究をめぐり、しばしば衝突。

モーリス・ウィルキンスは、彼女が撮影したX線回折写真を、キャヴェンディッシュ研究所に在籍していたフランシス・クリックとジェイムズ・ワトスンに見せた。これが、DNA の二重螺旋構造解明の手掛かりへと繋がるが、後に大問題の引き金となる。


ロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折写真を元に、 DNA の二重螺旋構造を解明したフランシス・クリック、ジェイムズ・ワトスンとモーリス・ウィルキンスの3人は、1953年に科学雑誌「ネイチャー(Nature)」に論文を発表。その論文投稿から9年後の1962年に、彼ら3人はノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ロザリンド・フランクリン自身は、1958年4月16日に、卵巣癌と巣状肺炎により、37歳で亡くなっていたため、残念ながら、ノーベル生理学・医学賞受賞の栄誉を得ることはできなかった。一説によると、X線による DNA 構造の解析のため、大量のX線を浴びたことが、彼女の癌の原因だと言われている。


フランシス・クリックは、2004年7月28日、大腸癌のため、米国カリフォルニア州(California)サンディエゴ(San Diego)の病院において、88歳の生涯を終えた。


2025年1月7日火曜日

舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル(A Sherlock Carol)」- その3

マリルボーン劇場のチケットカウンター


パークロード35番地(35 Park Road, Marylebone, London NW1 6XT)に建つルドルフ・シュタイナーハウス(Rudolf Steiner House → 2019年8月18日付ブログで紹介済)内にあるマリルボーン劇場(Marylebone Theatre - 旧ルドルフ・シュタイナー劇場(Rudolf Steiner Theatre))において、2024年11月29日(金)から2025年1月5日(日)までの1ヶ月間強、舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル(A Sherlock Carol)」が上演されていた。


舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル」上演前の舞台

「シャーロック・ホームズのキャロル」の場合、1891年5月、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)へと姿を消したシャーロック・ホームズが、1894年4月、3年ぶりにロンドンへと帰還した同年12月のクリスマスイヴから、物語が始まる。


暗くなるロンドンの街を彷徨い歩くホームズ。彼は、未だにモリアーティー教授の幻影に取り憑かれていた。「モリアーティー教授は、ライヘンバッハの滝壺で死んだ筈だが、実際には、どこかで、もしかすると、ロンドンに居る自分の近くで、まだ生きて居るのではないか?」と。


そんな最中、路上において、ホームズは、成長して医師となったタイニー・ティム・クラチット(Dr. Tiny Tim Cratchit)に出会う。彼は、エベネーザ・スクルージ(Ebenezer Scrooge)とジェイコブ・マーレイ(Jacob Marley)が経営する事務所「スクルージ&マーレイ(Scrooge & Marley)」に、薄給で雇われていたロバート・クラチット(Robert Cratchit - 愛称:ボブ(Bob))の息子であった。

タイニー・ティム・クラチット医師は、ホームズに対して、エベネーザ・スクルージの謎の死の捜査を依頼するのであった。


舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」のポスター


以前、マリルボーン劇場において、2019年7月17日(水)から同年8月18日(日)までの約1ヶ月間、舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの(Sherlock Holmes and The Invisible Thing → 2019年8月10日 / 8月11日付ブログで紹介済)」が上演されており、筆者は2019年8月10日(土)の午後の回を観劇した。


舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」が上演されていたのが、夏休み期間中だったこと、また、最終週の一つ前の週の上演だったこともあり、観劇客の数は、半分にも満たなかった。


舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」のプログラム


舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」の場合、ホームズとジョン・H・ワトスンの2人が、地元警察のピーコック警部(Inspector Peacock)に請われて、ある事件の捜査のため、ルーシー・グレンドル嬢(Miss Lucy Grendle)が住む屋敷へとやって来るところから、物語が始まる。

同席したピーコック警部によると、屋敷に隣接する湖から男性の溺死体が上がった、とのこと。複数の証人が目撃したところでは、当該男性は、自ら湖へと身を投げた訳ではなく、目に見えない何かに数回押されて、湖へと突き落とされたように見えたそうである。

そうだとすると、単なる自殺ではなく、殺人ということになる。しかし、どのような方法によれば、他の人達から見えないまま、その男性を湖へと突き落とすことができたのだろうか?

不思議な謎に挑もうとするホームズとワトスンであったが、彼らが滞在するルーシー・グレンドル嬢の屋敷内で、奇妙な音が聞こえてきたり、天井から吊り下げられた燭台が風もないにもかかわらず大きく揺れたり、また、壁に架かった絵画が突然落ちたりと、怪異な現象が何度も発生する。

一方で、ルーシー・グレンドル嬢の亡くなった父親アルフレッド・グレンドル(Alfred Grendle)には、良くない噂があり、どうやら人身売買を生業にしていたことが判ってくる。

果たして、ホームズとワトスンの二人は、この謎を解明することができるのだろうか?

上記の通り、怪異な事件にホームズが挑むのであるが、脚本の出来が今一つで、内容的にも、全く盛り上がらなかった。


舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル」上演後の舞台

今回、舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル」を観劇したのは、最終日である1月5日の午後1時の回で、本当の最終回は、同日の午後5時の回だった。

英国の場合、1月1日(水)だけが祝日と言う状況ではあったが、先週末まで休暇を取得している人が多いこと、また、最終日であることから、観劇客の入りは8割近かった。


舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル」は、(1)サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「青いガーネット(The Blue Carbuncle → 2025年1月1日 / 1月2日 / 1月3日 / 1月4日付ブログで紹介済)」(1892年)と(2)ヴィクトリア朝を代表する英国の小説家で、主に下層階級を主人公にして、弱者の視点から社会を風刺した作品を発表したチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)作「クリスマスキャロル(A Christmas Carol)」(1843年)の内容を取り入れつつ、展開していく。

内容的には、舞台劇「シャーロック・ホームズと目に見えないもの」に比べると、かなり良かった。ある意味、モリアーティー教授の幻影に取り憑かれたホームズにとって、「本当の復活劇」と言える。


「クリスマスキャロル」の場合、共同経営者で、7年前に亡くなった筈のジェイコブ・マーレイの亡霊が、エベネーザ・スクルージの前に姿を現す。

舞台劇「シャーロック・ホームズのキャロル」の場合も、暗くなるロンドンの街を彷徨い歩くホームズの前に、エベネーザ・スクルージの亡霊が、何度も姿を見せる。

コナン・ドイルも心霊現象に深く心酔していったように、英国人は、亡霊話や怪異話が大好きなことが、よく判った。