アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェイン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)の場合、知り合いの弁護士であるペサリック氏(Mr. Petherick)の紹介により、ローデス氏(Mr. Rhodes)が、相談のために、ミス・マープルの元を訪れるところから、物語が始まる。
ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く 「ミス・マープル最後の事件簿(Miss Marple's Final Cases)」(1979年)の一場面 - 「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る」が、その題材となっている。 |
驚くことに、ローデス氏は、ミス・マープルが住むセントメアリーミード村(St. Mary Mead)から20マイル程離れたバーンチェスター村(Barnchester)において発生した殺人事件の容疑者と目されていたのである。事件の被害者は、なんと、彼の妻(Mrs. Rhodes)で、彼ら夫妻が宿泊していたクラインホテル(Crown Hotel)の寝室において、ペーパーナイフにより刺殺されたのだった。
ローデス夫妻が宿泊していた部屋は、居間と寝室の二間続きとなっており、それぞれの部屋から廊下へ直接出ることができるドアが付いていた。
事件当夜、ローデス氏は居間において仕事(本の執筆)をしており、ローデス夫人は既に寝室で休んでいた。
午後11時頃、ローデス氏が、仕事の書類を片付けて、休むために寝室へと向かったところ、ローデス夫人が殺されているのを発見したのであった。
寝室から廊下へと出るドアについては、内側から施錠されていたため、ローデス夫人を刺殺した犯人が、当該ドアから廊下へ逃げることは不可能だった。一方、居間には、ローデス氏本人がずーっと居て、仕事をしていたため、彼が犯人ではないとすると、彼らが宿泊していた部屋は、所謂、密室状態だったのである。
ローデス氏以外に、唯一怪しいと思われたのは、ローデス夫人の元へ湯たんぽを運んで来たホテルのメイドだった。
メイドは、廊下から居間側のドアを通り、居間に入ると、居間と寝室の間のドアを抜けて、寝室へと向かった。暫くして、彼女は、居間と寝室の間のドアを通り、寝室から居間へと戻り、そして、居間のドアを開けて、廊下へと出て行った。
メイド本人は、長年、クラウンホテルに勤めており、ローデス夫人を殺害した犯人とは、到底考えられなかった。
ローデス氏から相談を受けたミス・マープルは、この密室殺人事件に挑むのであった。
当該作品の冒頭において、ミス・マープルは、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に対して、「as Raymond always says (only quite kindly, because he is the kindest of nephews) I am hopelessly Victorian. I admire Mr Alma-Tadema and Mr Frederic Leighton and I suppose to you they seem hopelessly vieux jeu.」と語っている。
赤レンガの外観が映えるレイトンハウス博物館 (Leighton House Museum → 2016年3月6日付ブログで紹介済) |
レイトンハウス博物館の入口左側の外壁に 「レイトン男爵(フレデリック・レイトン)がここに住んでいた」ことを 示すブループラークが掲げられている |
ミス・マープルの話の中に出てきた「Mr Frederic Leighton」とは、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。
彼は、1864年に王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会員となった後、1878年には同会長に就任し、以後20年近く会長として君臨した。
また、1896年1月24日に、彼は初代レイトン男爵(1st Baron Leighton)となったが、翌日の1月25日、狭心症の発作を起こして、この世を去ってしまう。僅か1日だけではあったが、英国美術界において、男爵以上の爵位を与えられたのは、現在に至るまで、彼一人である。
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