2025年1月27日月曜日

横溝正史作「八つ墓村」(The Village of Eight Graves by Seishi Yokomizo)- その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2021年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「八つ墓村」の裏表紙
(Cover design by Anna Morrison)


日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの長編第4作目に該る「八つ墓村(The Village of Eight Graves)」(1949年ー1951年)の場合、鳥取県(Tottori Prefecture)と岡山県(Okayama Prefecture)の県境にある人里離れた山間に所在する八つ墓村(village of Eight Graves)の成り立ちにかかる説明から始まる。


1566年(永禄9年)7月6日、戦国大名の一人である尼子氏の家臣だった8人の落ち武者達が、炭作り(charcoal-making)と牛の放牧(cattle-rearing)位しか、主だった産業がないとある山中の寒村へと、財宝を携えて逃げ延びて来る。彼らの主君である尼子氏が、中国地方(山陽道 / 山陰道)の戦国大名である毛利元就(Motonari Mori)に敗北したからである。

村人達は、一旦、8人の落ち武者達を匿うものの、毛利元就による捜索が厳しくなるに伴い、彼らが村にとって災いの種になることを恐れ始めた。また、8人の落ち武者達が携えていた財宝と毛利元就からの褒賞金に目が眩んだ村人達は、彼らを皆殺しにしてしまう。落ち武者達の大将は、その死に際に、「七生まで、この村を祟ってみせる。」と呪詛の言葉を残すと、息絶えた。

8人の落ち武者達を惨殺して、彼らが携えていた財宝と毛利元就からの褒賞金を手に入れた村人達であったが、その後、村人が次々と変死し、最後には、名主が狂死するに至る。

8人の落ち武者達による祟りを恐れた村人達は、犬猫の死骸同然に埋めてあった彼らの遺体を手厚く葬るとともに、彼らを村の守り神として奉った。

村の守り神となった8人の落ち武者達は、「八つ墓村明神」となり、いつの頃からか、村は「八つ墓村」と呼ばれるようにんっていった。


時代は、戦国時代から大正時代へと下る。


8人の落ち武者達を皆殺しにした際の村の首謀者である田治見庄左衛門(Shozaemon Tajimi)の子孫で、田治見家の当主となった田治見要蔵(Yozo Tajimi)は、粗暴かつ残虐性を秘めた男で、それが、八つ墓村の村人達にとって、非常に恐ろしい結果を後にもたらすことになる。

田治見要蔵は、妻子がある身でありながら、八つ墓村の住人である井川鶴子(Tsuruko Ikawa)に言いよると、暴力で彼女を犯し、自宅の土蔵に閉じ込めて、情欲の限りを尽くした。

1922年(大正11年)9月6日、井川鶴子は、辰弥(Tatsuya)と言う男児を出産した。ただ、彼女には、昔から結婚を約束していた学校教師の亀井陽一(Yoichi Kamei)と言う男性が居て、田治見要蔵の目を盗み、逢い引きをしていた。

辰弥が誕生してから半年程した1923年(大正12年)4月、「井川鶴子が生んだ辰弥は、田治見要蔵の子供ではなく、亀井陽一の子供だ。」と言う噂を耳にした田治見要蔵は、烈火の如く怒ると、井川鶴子を虐待した。更に、彼は、辰弥の身体のあちこちに、焼け火箸を押し当てたりする等、

暴虐の限りを尽くしたのである。

自分と子供の身の危険を感じた井川鶴子は、辰弥を連れて、姫路市(Himeji City)に住む親戚の家に身を寄せる。待てど暮らせど、自分の元へと帰って来ない井川鶴子のことを恨む田治見要蔵は、遂に狂気を爆発させた。同年4月の終わり頃のある晩、日本刀と猟銃で武装した田治見要蔵は、八つ墓村の中を駆け巡り、合計で32人の村人達を次々に殺戮すると、山の奥へと姿を消したのであった。


そして、26年の時が経ち、太平洋戦争(1941年ー1945年)が終結した後の八つ墓村を、新たな悲劇が襲いかかろうとしていた。


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