2025年1月19日日曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / ジェイムズ・ワトスン(800th Anniversary of the University of Cambridge / James Watson)

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
米国出身の分子生物学者である
ジェイムズ・デューイ・ワトスン(一番右側の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。


ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、(1)アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)、(3)ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)、(4)ジョン・ディー(John Dee:1527年ー1608年、または、1609年 → 2024年7月30日付ブログで紹介済)、(5)オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年 → 2024年8月4日付ブログで紹介済)、(6)ジョン・ミルトン(John Milton:1608年ー1674年 → 2024年8月17日付ブログで紹介済)、(7)ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)、(8)第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)、(9)ヘンリー・ド・ウィントン + ジョン・チャールズ・シリング(Henry de Winton + John Charles Thring → 2024年9月16日付ブログで紹介済)、(10)ジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clark Maxwell → 2024年11月30日 / 12月3日付ブログで紹介済)、(11)フランク・ウィットル(Frank Whittle → 2024年12月7日付ブログで紹介済)、(12)ドロシー・ガロッド(Dorothy Garrod → 2024年12月12日付ブログで紹介済)、(13)ロザリンド・エルシー・フランクリン(Rosalind Elsie Franklin → 2024年12月30日付ブログで紹介済)や(14)フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(Francis Harry Compton Crick → 2025年1月8日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。


15番目に紹介するのは、ジェイムズ・デューイ・ワトスン(James Dewey Watson)である。


(15)ジェイムズ・デューイ・ワトスン(1928年ー)


ジェイムズ・デューイ・ワトスンは、米国出身の分子生物学者で、DNA の二重螺旋構造の解明で有名である。


ジェイムズ・デューイ・ワトスンは、1928年4月6日、米国イリノイ州(Illinois)シカゴ(Chicago)に住むビジネスマンの父ジェイムズ・D・ワトスン(James D. Watson)と母ジーン・ワトスン(Jean Watson - 旧姓:ミッチェル / Mitchell)の下に出生。


ジェイムズ・ワトスンは、1947年にシカゴ大学(University of Chicago)を卒業した後、インディアナ大学(Indiana University)大学院に入り、1950年に生物学の PhD を取得した。


1951年に、ジェイムズ・ワトスンが、フランシス・クリックが入所したケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)を訪れ、2人は意気投合する。


ロザリンド・フランクリンは、1950年にロンドン大学のキングスカレッジ(King’s College)に研究職を得た際、X線による DNA 構造の解析を研究テーマとして与えられる。

彼女は、この研究に没頭し、1953年に、DNA の螺旋構造の解明に繋がる X線回折写真の撮影に成功、これが「photo51」と呼ばれている。


ロザリンド・フランクリンは、キングスカレッジにおいて、彼女よりも前から、X線回折による DNA の構造研究を進めていたモーリス・ヒュー・フレデリック・ウィルキンス(Maurice Hugh Frederick Wilkins:1916年ー2004年 / 英国の生物物理学者)との間で、DNA の構造研究をめぐり、しばしば衝突。

モーリス・ウィルキンスは、彼女が撮影したX線回折写真を、キャヴェンディッシュ研究所に在籍していたフランシス・クリックとジェイムズ・ワトスンに見せた。これが、DNA の二重螺旋構造解明の手掛かりへと繋がるが、後に大問題の引き金となる。


ロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折写真を元に、 DNA の二重螺旋構造を解明したフランシス・クリック、ジェイムズ・ワトスンとモーリス・ウィルキンスの3人は、1953年に科学雑誌「ネイチャー(Nature)」に論文を発表。その論文投稿から9年後の1962年に、彼ら3人はノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ロザリンド・フランクリン自身は、1958年4月16日に、卵巣癌と巣状肺炎により、37歳で亡くなっていたため、残念ながら、ノーベル生理学・医学賞受賞の栄誉を得ることはできなかった。一説によると、X線による DNA 構造の解析のため、大量のX線を浴びたことが、彼女の癌の原因だと言われている。


その後、ジェイムズ・ワトスンは、


*ボストンのハーバード大学(Harvard University)生物学の教授<1956年ー1976年>

*ニューヨークのコールドスプリングハーバー研究所(Cold Spring Harbor Laboratory)の所長<1968年ー1993年> / 会長<1994年ー2007年>

*米国の国立衛生研究所(National Institute of Health / NIH)ヒトゲノム研究センター(Human Genome Project)の初代所長<1989年ー1992年>


等を歴任。


優れた経歴の一方で、ジェイムズ・ワトスンの場合、問題発言が多い。

「モーリス・ウィルキンス経由で、彼とフランシス・クリックがロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折写真を入手した方法が不正である。」と言う指摘を従来より受け続けているが、自分の業績を正当化するために、回想録「二重螺旋」の中で、ロザリンド・フランクリンのことを、「気難しく、ヒステリックなダークレディーだ。」と述べている。

また、2007年10月14日付英国紙サンデータイムズ1面において、「黒人は、人種的 / 遺伝的に劣等である。」と言う趣旨の発言を行っている。

この発言は、欧米において大きな波紋を呼んだため、英国滞在中のジェイムズ・ワトスンは、謝罪するとともに、発言の真意が曲解されているとコメントしたが、コールドスプリングハーバー研究所の会長職を辞職することに追い込まれた。

なお、2019年1月2日の PBS ドキュメンタリー番組でも、同様の発言を行った結果、同研究所の名誉職も剥奪されている。


上記の通り、2007年の人種差別発言の結果、ジェイムズ・ワトスンの名声は地に堕ちてしまい、学会からも距離を置かれたため、経済的に困窮。

その結果、1962年に受賞したノーベル生理学・医学賞のメダルが、2014年12月4日、ニューヨークのオークションハウスであるクリスティーズ(Christie’s)で競売に掛けられた。存命のノーベル賞受賞者がメダルを競売したのは、これが、史上初めてである。


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