2025年1月8日水曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / フランシス・クリック(800th Anniversary of the University of Cambridge / Francis Crick)

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
英国の科学者 / 生物学者である
フランシス・ハリー・コンプトン・クリントン(中央の人物)の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。


ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、(1)アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)、(3)ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)、(4)ジョン・ディー(John Dee:1527年ー1608年、または、1609年 → 2024年7月30日付ブログで紹介済)、(5)オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年 → 2024年8月4日付ブログで紹介済)、(6)ジョン・ミルトン(John Milton:1608年ー1674年 → 2024年8月17日付ブログで紹介済)、(7)ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)、(8)第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)、(9)ヘンリー・ド・ウィントン + ジョン・チャールズ・シリング(Henry de Winton + John Charles Thring → 2024年9月16日付ブログで紹介済)、(10)ジェイムズ・クラーク・マクスウェル(James Clark Maxwell → 2024年11月30日 / 12月3日付ブログで紹介済)、(11)フランク・ウィットル(Frank Whittle → 2024年12月7日付ブログで紹介済)、(12)ドロシー・ガロッド(Dorothy Garrod → 2024年12月12日付ブログで紹介済)や(13)ロザリンド・エルシー・フランクリン(Rosalind Elsie Franklin → 2024年12月30日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。


14番目に紹介するのは、フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(Francis Harry Compton Crick)である。


(14)フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(1916年ー2004年)


フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(Francis Harry Compton Crick:1916年ー2004年)は、英国の科学者 / 生物学者で、DNA の二重螺旋構造の解明で有名である。


フランシス・クリックは、1916年6月8日、ノーザンプトン州(Northamptonshire)ウェストンファヴェル(Weston Favell)と言う小さな村で靴やブーツ等を製造する工場を営む父ハリー・クリック(Harry Crick)と母アニー・エリザベス・クリック(Annie Elizabeth Crick - 旧姓:ウィルキンス / Wilkins)の下に出生。

彼は、小さい頃から科学に興味を抱き、読書から多くのことを学んだ。両親は彼を教会へ連れて行ったが、長じるにつれて、「教会へはもう行きたくない。」と言い出し、信仰心よりも科学への興味を重要視した。


フランシス・クリックは、ノーザンプトン(Northampton)のノーザンプトングラマースクール(Northampton Grammar School)を経て、ロンドンのミルヒル高校(Mill Hill School)に奨学生として入学、数学、物理学や化学を学ぶ。

その後、彼は、ロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)のユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London → 2015年8月16日付ブログで紹介済)へ進み、1937年(21歳)に物理学の修士号を獲得。


こうして、フランシス・クリックは、物理学者としての道を歩み始めたが、第二次世界大戦(1939年ー1945年)の勃発により、彼の研究は一時中断。戦時中、彼は、英国海軍機雷研究所(Admiralty research Laboratory)に勤務し、磁気や音響反応型の機雷の設計を行った。また、ドイツの掃海艇(German minesweepers)に対抗する新型機雷の設計にも携わる。


第二次世界大戦後の1947年、フランシス・クリックは、生物学を学び始め、ケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)に入所。

1951年にとジェイムズ・デューイ・ワトスン(James Dewey Watson:1928年ー / 米国出身の分子生物学者)が同地を訪れ、2人は意気投合する。


ロザリンド・フランクリンは、1950年にロンドン大学のキングスカレッジ(King’s College)に研究職を得た際、X線による DNA 構造の解析を研究テーマとして与えられる。

彼女は、この研究に没頭し、1953年に、DNA の螺旋構造の解明に繋がる X線回折写真の撮影に成功、これが「photo51」と呼ばれている。


ロザリンド・フランクリンは、キングスカレッジにおいて、彼女よりも前から、X線回折による DNA の構造研究を進めていたモーリス・ヒュー・フレデリック・ウィルキンス(Maurice Hugh Frederick Wilkins:1916年ー2004年 / 英国の生物物理学者)との間で、DNA の構造研究をめぐり、しばしば衝突。

モーリス・ウィルキンスは、彼女が撮影したX線回折写真を、キャヴェンディッシュ研究所に在籍していたフランシス・クリックとジェイムズ・ワトスンに見せた。これが、DNA の二重螺旋構造解明の手掛かりへと繋がるが、後に大問題の引き金となる。


ロザリンド・フランクリンが撮影したX線回折写真を元に、 DNA の二重螺旋構造を解明したフランシス・クリック、ジェイムズ・ワトスンとモーリス・ウィルキンスの3人は、1953年に科学雑誌「ネイチャー(Nature)」に論文を発表。その論文投稿から9年後の1962年に、彼ら3人はノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ロザリンド・フランクリン自身は、1958年4月16日に、卵巣癌と巣状肺炎により、37歳で亡くなっていたため、残念ながら、ノーベル生理学・医学賞受賞の栄誉を得ることはできなかった。一説によると、X線による DNA 構造の解析のため、大量のX線を浴びたことが、彼女の癌の原因だと言われている。


フランシス・クリックは、2004年7月28日、大腸癌のため、米国カリフォルニア州(California)サンディエゴ(San Diego)の病院において、88歳の生涯を終えた。


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