2025年1月14日火曜日

初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton)- その2

初代レイトン男爵フレデリック・レイトンが描いた
彼の代表作でもある
「燃え立つ6月(Flaming June)」(1895年)の絵葉書
Oil on canvas / 119.1 cm x 119.1 cm
<筆者が王立芸術院で購入>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1935年に発表したミス・ジェイン・マープルシリーズ作品の短編「ミス・マープルの思い出話 / ミス・マープルは語る(Miss Marple Tells a Story → 英国の雑誌に掲載された際の原題は、「Behind Closed Doors」)で、ミス・マープルが、甥のレイモンド・ウェスト(Raymond West)と彼の妻であるジョアン・ウェスト(Joan West)に、尊敬する人物として挙げていた「Mr Frederic Leighton」は、ヴィクトリア朝時代の英国を代表する画家 / 彫刻家である初代レイトン男爵フレデリック・レイトン(Frederic Leighton, 1st Baron Leighton:1830年ー1896年)のことである。


フレデリック・レイトンは、1830年12月3日、医者である父フレデリック・セプティマス・レイトン(Dr. Frederic Septimus Leighton:1799年ー1892年)と母オーガスタ・スーザン・レイトン(Augusta Susan Leighton)の下、ノースヨークシャー州(North Yorkshire)のスカボロー(Scarborough)に出生。


彼の祖父であるサー・ジェイムズ・ボニフェース・レイトン(Sir James Boniface Leighton:1769年ー1843年)は、ロマノフ朝第10代ロシア皇帝であるアレクサンドル1世(Alexander I:1777年ー1825年 在位期間:1801年ー1825年)とロマノフ朝第11代ロシア皇帝であるニコライ1世(Nicholas I:1796年ー1855年 在位期間:1825年ー1855年)の2代にわたり、皇帝付きの医師を務めており、レイトン家の富は、これによって蓄積された。従って、孫であるフレデリック・レイトンは、生涯を通じて、祖父が蓄積した富の恩恵を受けることになる。


フレデリック・レイトンは、まず最初に、ロンドンのユニヴァーシティー・カレッジ・スクール(University College School)において、教育を受ける。


その後、彼は欧州大陸へ留学し、ドイツにおいて、オーストリアの画家であるエドヴァルト・フォン・シュタインレ(Eduard von Steinle:1810年ー1886年)に、そして、フランスのパリにおいて、イタリアの風景画家であるジョヴァンニ・コスタ(Giovannni Costa:1826年ー1903年)の下で学んだ。


24歳になったフレデリック・レイトンは、イタリアのフィレンツェ(Florence)へ行き、欧州初の絵画を教える機関であるアッカでミア・ディ・ベッレ・アルティ(Accademia di Belle Arti - 現在のアカデミア美術館(La Galleria dell’Accademia a Firenze))で学ぶ。


1855年から1859年にかけて、フレデリック・レイトンは、パリに定住し、19世紀のフランスを代表する画家である


*ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres:1780年ー1867年)

*ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot:1796年ー1875年)

*フェルディナン・ヴィクトール・ウジェーヌ・ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugene Delacroix:1798年ー1863年)

*ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet:1814年ー1875年)


と親交を結んだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿