2025年2月17日月曜日

アキテーヌのエレナー(Eleanor of Aquitaine) - その1

フランスのフォントヴロー修道院(Fontevrault Abbey)の地下室に埋葬された
アキテーヌのエレナーの横臥像
(英国の Dorling Kindersley Limited から2001年に出版された

「Kings and Queens - A Royal History of
England & Scotland」から抜粋)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「杉の柩(Sad Cypress)」において、エルキュール・ポワロとエリノア・カーライル(Elinor Carlisle)の間の会話内で、アキテーヌのエレナー(Eleanor of Aquitaine)について言及されているので、今回、紹介したい。

なお、本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第27作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第18作目に該っている。


「杉の柩」は、以下の通り、三部構成になっている。


<第一部:事件編>

婚約中のエリノア・カーライルとロデリック・ウェルマン(Roderick Welman)の2人が、見舞いのため、金持ちの未亡人であるローラ・ウェルマン(Mrs. Laura Welman)が住むハンターベリー(Hunterbury)の屋敷を訪れるところから、物語が始まる。

ローラ・ウェルマンは60歳過ぎで、脳溢血により、寝たきりの状態だった。

エリノア・カーライルは、ローラ・ウェルマンの姪(ローラ・ウェルマンの兄の娘)に、また、ロデリック・ウェルマンは、ローラ・ウェルマンの義理の甥(ローラ・ウェルマンの夫ヘンリー(30年以上前に死去)の甥)に該る。

その際、ロデリック・ウェルマンは、ウェルマン家の門番の美しい娘であるメアリー・ジェラード(Mary Gerrard)に心を奪われて、エリノア・カーライルから気持ちが離れていってしまう。

気持ちが離れてしまったロデリック・ウェルマンに対する嘆きを募らせたエリノア・カーライル、ロデリック・ウェルマン、そして、メアリー・ジェラードの三角関係が展開し、第一部の最後に、メアリー・ジェラードが多量のモルヒネにより毒殺される事件が発生するまでが描かれる。


<第二部:捜査編>

ローラ・ウェルマンの主治医で、エリノア・カーライルに対して想いを寄せるピーター・ロード医師(Dr. Peter Lord)からの依頼を受け、メアリー・ジェラード毒殺の容疑により、警察に逮捕されたエリノア・カーライルの濡れ衣を晴らすべく、エルキュール・ポワロが、事件の関係者を一人一人訪ねて回って、詳細な証言を引き出していく。そして、第二部の最後には、各人の証言には、嘘がいろいろと含まれており、綻びが少しずつ判明する。


<第三部:解決編>

メアリー・ジェラード毒殺の容疑で起訴されたエリノア・カーライルの裁判において、驚くべき真相が明らかにされ、メアリー・ジェラードを毒殺した真犯人が誰なのかを、エルキュール・ポワロが説明する。


上記の「第二部:捜査編」において、エルキュール・ポワロは、勾留中のエリノア・カーライルの元を訪れる。


「では、先へまいりましょう。次はなんですか?」

「私、食器室(パントリー)におりて、サンドイッチを切りました」

ポワロはやさしく言った。「そして、考えたー何を?」

エリノアの瞳がきらっと光った。「わたしの名前の由来をですわ。アキテーヌのエレアノールです。」

「よくわかりました。」

「おわかりになります?」

「わかりますとも。その話は知っています。うるわしきロザモンドに、剣か毒杯かをえらばせましたね、彼女は。ロサモンドは毒杯をとったのでした。」

エリノアは口を閉じ、蒼白になっていた。


<出展:早川書房のクリスティー文庫18「杉の柩」(恩地三保子訳)>


エルキュール・ポワロとエリノア・カーライルの間の会話内に出てくる「アキテーヌのエレアノール」とは、


フランス語:アリエノール・ダキテーヌ(Alienor d’Aquitaine)

英語:エリナー・オブ・アクイティン(Eleanor of Aquitaine)


と呼ばれる中世フランス王国の女性貴族で、アキテーヌ女公(1122年ー1204年 在位期間:1137年ー1204年)のことを指している。


アキテーヌ公ギヨーム10世(Guillaume X duc d’Aquitaine:1099年ー1137年 在位期間:1126年ー1137年)とシャテルロー副伯エメリー1世の娘であるアエノール・ド・シャテルロー(Aenor de Chatellerault:1103年ー1130年)の第一子長女として出生したアリエノール・ダキテーヌは、父の死去に伴い、アキテーヌ女公の地位に就く。

その後、アリエノール・ダキテーヌは、


(1)フランスのカペー朝第6第国王であるルイ7世(Louis VII:1120年ー1180年 在位期間:1137年ー1180年)の王妃(1137年8月1日ー1152年3月21日)


そして、


(2)イングランドのプランタジネット朝初代国王であるヘンリー2世(Henry II:1133年ー1189年 在位期間:1154年ー1189年)の王妃(1154年12月19日ー1189年7月6日)


となった。

彼女の子孫が欧州各地の君主や妃となったことから、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれている。


アリエノール・ダキテーヌには、夫ヘンリー2世の愛妾であるロザモンド・クリフォード(Rosamund Clifford:1140年頃ー1176年頃)が住むオックスフォードシャー州(Oxfordshire)のウッドストック宮殿(Woodstock Palace)へと押し掛け、ロザモンド・クリフォードに対して、剣、もしくは、毒杯のいずれかによる自決を迫ったとする伝承が残っているが、それに関しては、次回に紹介したい。


2025年2月16日日曜日

アガサ・クリスティー作「杉の柩(Sad Cypress)」において引用されているウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)の詩 - その2

2016年に英国の Faber & Faber 社から出版された
「ウィリアム・ワーズワース詩集」<Poems selected by Seamus Heaney>に収録されている
「ルーシー詩篇」の1篇である
「She dwelt among the untrodden ways(ルーシーは、訪れる人もない地で孤独に暮らしていた)」


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「杉の柩(Sad Cypress)」の「第二部:捜査編」において、婚約していたロデリック・ウェルマン(Roderick Welman)の心を奪ってしまったウェルマン家の門番の美しい娘であるメアリー・ジェラード(Mary Gerrard)をモルヒネで毒殺した容疑により、警察に逮捕されたエリノア・カーライル(Elinor Carlisle)の無実を証明するべく、エルキュール・ポワロは、事件の関係者達の元を一人一人訪ねて行く。


エルキュール・ポワロが、エリノア・カーライルの元婚約者であるロデリック・ウェルマンの元を訪れた際、英国の代表的なロマン派詩人であるウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth:1770年ー1850年)の詩「ルーシーは、訪れる人もない地で孤独で暮らす(She dwelt among the untrodden ways)」の一節を引用している。


今回、詩「She dwelt among the untrodden ways(ルーシーは、訪れる人もない地で孤独に暮らしていた)」について、全文と筆者による日本語訳を紹介したい。


<詩の全文>


She dwelt among the untrodden ways

    Beside the springs of Dove,

A Maid whom there were none to praise

    And very few to love:


A toilet by a mossy stone

     Half hidden from the eye!

- Fair as a star, when only one

     Is shining in the sky.


She lived unknown, and few could know

     When Lucy ceased to be;

But she is in her grave, and, oh,

     The difference to me!


<筆者による日本語訳>


ルーシーは、訪れる人もない地で孤独に暮らしていた。

ダヴの泉のほとりで。

彼女は、誰からも称賛されることもなく、

そして、愛されることもほとんどなかった乙女だった。


苔生した岩の側に咲く菫(スミレ)は、

人目には付かないように、半分隠れていた。

夜空に輝くたった一つの星の如く、

彼女は美しく輝いていた。


ルーシーは、人知れず生きたため、

彼女がいつ亡くなったのかを知る者は、ほとんど居ない。

彼女は、墓の中で眠る。

ああ、なんといたましいことか!


英国のロマン派詩人で、批評家 / 哲学者でもあるサミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge:1772年ー1834年)との親交と妹のドロシー(Dorothy Wordsworth:1771年ー1855年)との再会 / 同居が契機となり、次第に精神的な危機(モラルクライシス)から立ち直ったウィリアム・ワーズワースは、1798年にサミュエル・テイラー・コールリッジとの共著「抒情民謡集(Lyrical Ballads)」を刊行して、英国のロマン主義運動(Romantic movement)の先駆けとなる。

その後、同年の秋から1799年の秋にかけて、ウィリアム・ワーズワースは、サミュエル・テイラー・コールリッジと妹のドロシーと一緒に、ドイツを旅行した。

精神的な危機からの立ち直りが完全ではなかった彼がドイツに滞在した際に書いた「ルーシー詩篇(Lucy Poems)」の5篇のうちの1篇が、本作品に該る。

そして、本作品は、ウィリアム・ワーズワースがドイツから帰国した後に発表した「抒情民謡集」の第2版に収められた。


筆者が所有している株式会社 昭文社が出版した
「マップルマガジン イギリス」(1998年1月15日発行)から抜粋

ドイツ旅行から帰国したウィリアム・ワーズワースは、1799年12月末に湖水地方(Lake District → 2024年12月21日付ブログで紹介済)のグラスミア湖(Lake Grasmere)近くにあるタウンエンド(Town End)に居を構えた。この住居が、後に「ダヴコテージ(Dove Cottage)」と呼ばれる。

これを、本作品の「ダヴ」は指していると思われる。

ウィリアム・ワーズワースは、このダヴコテージに、1799年から1808年までの10年間、妹のドロシー、そして、幼馴染で、1802年に結婚したメアリー・ハッチンスン(Mary Hutchinson)や彼らの子供達と一緒に住んだ。

湖水地方の自然を称賛した彼の作品の大半は、ここで書かれたと言われている。


2025年2月15日土曜日

アガサ・クリスティー作「杉の柩(Sad Cypress)」において引用されているウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)の詩 - その1

英国の Harper Collins Publishers 社から出版されている
アガサ・クリスティー作エルキュール・ポワロシリーズ
「杉の柩」のペーパーバック版表紙


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「杉の柩(Sad Cypress)」において引用されているウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth:1770年ー1850年)の詩について、今回、紹介したい。

なお、本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第27作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第18作目に該っている。


「杉の柩」の原題である「Sad Cypress」は、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)作の喜劇「十二夜(Twelfth Night, or What You Will → 2023年6月9日付ブログで紹介済)」(1601年 / 1602年頃)の第2幕第4場に出てくる歌詞が由来となっていることに関しては、2023年11月24日付ブログで紹介済。


「杉の柩」は、以下の通り、三部構成になっている。


<第一部:事件編>

婚約中のエリノア・カーライル(Elinor Carlisle)とロデリック・ウェルマン(Roderick Welman)の2人が、見舞いのため、金持ちの未亡人であるローラ・ウェルマン(Mrs. Laura Welman)が住むハンターベリー(Hunterbury)の屋敷を訪れるところから、物語が始まる。

ローラ・ウェルマンは60歳過ぎで、脳溢血により、寝たきりの状態だった。

エリノア・カーライルは、ローラ・ウェルマンの姪(ローラ・ウェルマンの兄の娘)に、また、ロデリック・ウェルマンは、ローラ・ウェルマンの義理の甥(ローラ・ウェルマンの夫ヘンリー(30年以上前に死去)の甥)に該る。

その際、ロデリック・ウェルマンは、ウェルマン家の門番の美しい娘であるメアリー・ジェラード(Mary Gerrard)に心を奪われて、エリノア・カーライルから気持ちが離れていってしまう。

気持ちが離れてしまったロデリック・ウェルマンに対する嘆きを募らせたエリノア・カーライル、ロデリック・ウェルマン、そして、メアリー・ジェラードの三角関係が展開し、第一部の最後に、メアリー・ジェラードが多量のモルヒネにより毒殺される事件が発生するまでが描かれる。


<第二部:捜査編>

ローラ・ウェルマンの主治医で、エリノア・カーライルに対して想いを寄せるピーター・ロード医師(Dr. Peter Lord)からの依頼を受け、メアリー・ジェラード毒殺の容疑により、警察に逮捕されたエリノア・カーライルの濡れ衣を晴らすべく、エルキュール・ポワロが、事件の関係者を一人一人訪ねて回って、詳細な証言を引き出していく。そして、第二部の最後には、各人の証言には、嘘がいろいろと含まれており、綻びが少しずつ判明する。


<第三部:解決編>

メアリー・ジェラード毒殺の容疑で起訴されたエリノア・カーライルの裁判において、驚くべき真相が明らかにされ、メアリー・ジェラードを毒殺した真犯人が誰なのかを、エルキュール・ポワロが説明する。


上記の「第二部:捜査編」において、エルキュール・ポワロは、エリノア・カーライルの元婚約者であるロデリック・ウェルマンの元を訪れる。

その際、エルキュール・ポワロは、ロデリック・ウェルマンに対して、ウィリアム・ワーズワースの詩の一節である


「きみ、今、墓所にねむる、わが心永久にかき暮れ、日の色もむなし(But she is in her grave, and, oh, The difference to me!)」(早川書房のクリスティー文庫18「杉の柩」(恩地三保子訳))


を引用するとともに、「ウィリアム・ワーズワースの詩は、よく読むんです。」と付け加えている。


上記の詩は、ウィリアム・ワーズワースによる「ルーシーは、訪れる人もない地で孤独に暮らしていた(She dwelt among the untrodden ways)」の末節部分で、次回、全文を紹介する予定。


ウィリアム・ワーズワースは、英国の代表的なロマン派詩人で、湖水地方(Lake District → 2024年12月21日付ブログで紹介済)をこよなく愛し、グラスミア湖(Lake Grasmere)畔の小さな村であるグラスミア(Grasmere)の外れに建つダヴコテージ(Cove Cottage)に、1799年から1808年までの10年間、一家と妹のドロシー(Dorothy Wordsworth:1771年ー1855年)と一緒に住んだ。湖水地方の自然を称賛した彼の作品の大半は、ここで書かれたと言われている。


2025年2月14日金曜日

ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)- その3

2016年に英国の Faber & Faber 社から出版された
ウィリアム・ワーズワース詩集の裏表紙
<Poems selected by Seamus Heaney>
(Series design by Faber
 / Illustration : Glenn Tomkinson
) 

 

英国のロマン派詩人で、批評家 / 哲学者でもあるサミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge:1772年ー1834年)との親交と妹のドロシー(Dorothy Wordsworth:1771年ー1855年)との再会 / 同居が契機となり、次第に精神的な危機(モラルクライシス)から立ち直ったウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth:1770年ー1850年)は、1798年にサミュエル・テイラー・コールリッジとの共著「抒情民謡集(Lyrical Ballads)」を刊行して、英国のロマン主義運動(Romantic movement)の先駆けとなる。


その後、同年の秋から1799年の秋にかけて、ウィリアム・ワーズワースは、サミュエル・テイラー・コールリッジと妹のドロシーと一緒に、ドイツを旅行。

精神的な危機からの立ち直りが完全ではなかったウィリアム・ワーズワースは、妹のドロシーと一緒に、英国に帰国。幼馴染で、後に結婚することになるメアリー・ハッチンスン(Mary Hutchinson)の家族が経営するダラム郡の農場に滞在した後、同年12月末に湖水地方(Lake District → 2024年12月21日付ブログで紹介済)のグラスミア湖(Lake Grasmere)近くにあるタウンエンド(Town End)に居を構えた。この住居が、後に「ダヴコテージ(Dove Cottage)」と呼ばれることになる。


筆者が所有している株式会社 昭文社が出版した
「マップルマガジン イギリス」(1998年1月15日発行)から抜粋


翌年の1800年になると、サミュエル・テイラー・コールリッジと英国のロマン派詩人であるロバート・サウジー(Robert Southey:1774年ー1843年)の2人が、湖水地方北部の中心地ケジック(Keswick)のグレタホール(Greta Hall)へと転居して来た。

ウィリアム・ワーズワース、サミュエル・テイラー・コールリッジとロバート・サウジーの3人は、「湖水詩人(Lake Poets)」として知られるようになる。特に、ウィリアム・ワーズワースの場合、「二巻詩集(Poems in Two Volumes)」を出版する1807年までの間に、傑作と呼ばれる中 / 小品詩を多く生み出している。


1802年のアミアンの和約(Peace of Amiens)により、英仏間の往来が可能になったことに伴い、ウィリアム・ワーズワースは、妹のドロシーと一緒に、フランスへ向かい、アネット・ヴァロン(Annette Vallon)と娘のキャロライン(Caroline)と再会。この旅を経て、アネット・ヴァロンとの関係清算と娘キャロラインの養育費支払にかかる話し合いが決着。


フランスから帰国したウィリアム・ワーズワースは、同年10月4日、幼馴染のメアリー・ハッチンスンと結婚。

その後、ワーズワース夫妻は、5人の子供に恵まれる。


(1)長男ジョン(John Wordsworth:1803年ー1875年)

(2)長女ドーラ(Dora Wordsworth:1804年ー1847年)

(3)次男トマス(Thomas Wordsworth:1806年ー1812年)

(4)次女キャサリン(Catherine Wordsworth:1808年ー1812年)

(5)三男ウィリアム(William Wordsworth:1810年ー1883年)


妹のドロシーは、生涯、兄夫婦と彼らの子供達との同居を続けた。


ウィリアム・ワーズワースは、1807年に、サミュエル・テイラー・コールリッジとの共著「抒情民謡集(Lyrical Ballads)」(1798年)以降の抒情詩を収録した「二巻詩集」を出版。「二巻詩集」には、彼の傑作詩が数多く含まれており、後に彼が評価されることになる。


1802年に幼馴染のメアリー・ハッチンスンと結婚して、5人の子宝に恵まれたウィリアム・ワーズワースではあったが、経済的な窮乏が続いており、ワーズワース夫妻は、生活の拠点を「ダヴコテージ」から転々とする中、1812年に次男トマス(享年:6歳)と次女キャサリン(享年:3歳)の2人を相次いで失くしている。


今まで非常に良好な関係を築いていたウィリアム・ワーズワースとサミュエル・テイラー・コールリッジであったが、サミュエル・テイラー・コールリッジが持病のリウマチ熱の痛み止めのために使用していた阿片への依存を増し始めたことが要因となり、1810年頃から、2人は次第に不仲となっていったのである。


2025年2月12日水曜日

横溝正史作「悪魔が来りて笛を吹く」(The Devil’s Flute Murders by Seishi Yokomizo)- その3

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2023年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「悪魔が来りて笛を吹く」の内表紙
(Cover design by Anna Morrison)

1947年(昭和22年)9月28日、東京都大森の山手地区に所在する割烹旅館である松月館(Pine Moon Inn)にその身を置く金田一耕助(Kosuke Kindaichi)の元を、元子爵(former Viscount)である椿 英輔(Hidesuke Tsubaki - 享年:43歳)の娘 美禰子(Mineko Tsubaki)が訪れる。


同年1月15日に発生した「天銀堂事件(Tengindo murders)」の容疑者として疑われ、警察に取り調べられた椿 英輔元子爵は、その後、失踪。約1ヶ月半後の同年4月14日、長野県の霧ヶ峰(Mount Kirigamine)において、彼の遺体が見つかる。

失踪した椿 英輔元子爵は、娘の美禰子に遺書を残していた。その遺書には、「父は、これ以上の屈辱と不名誉に耐えていくことはできないのだ。これが暴露されると、由緒ある椿の家名も、泥沼の中へ落ちてしまう。ああ、悪魔が来りて笛を吹く。(I can bear no more humiliation and disgrace. If this story comes to light, the good name of the Tsubaki family will be cast into the mud. Oh, the devil will indeed come and play his flute.)」と書かれてあったのである。


一方で、椿 美禰子の母親である椿 秌子(Akiko Tsubaki)が、最近、椿 英輔元子爵らしき人物を目撃した、とのこと。

夫である椿 英輔元子爵を目撃した椿 秌子が、何故か、非常に怯えているため、「父が本当に生きているかどうかについて、椿家で砂占い(divination)で確かめることになった。」と、椿 美禰子は、金田一耕助に対して、その「砂占い」への同席を依頼した。


椿 美禰子の依頼に応じて、金田一耕助は、麻布六本木(Azabu Roppongi)に所在する椿家の屋敷へと出向く。それは、翌日の1947年9月29日の午後8時だった。

東京大空襲を受けて、麻布六本木一帯も焼け野原と化していたが、奇跡的に、椿家の屋敷は無傷のまま残っていた。


なお、椿家には、以下の人物が居住していた。


(1)椿 秌子(40歳)

(2)椿 美禰子(19歳)

(3)信乃(Shino - 62歳位):椿 秌子の乳母

(4)三島東太郎(Totaro Mishima - 23歳位):椿家の書生

(5)お種(Otane - 23歳位):椿家の女中

(6)目賀重亮(Jusuke Mega - 52歳位):椿 秌子の主治医

(7)新宮利彦(Toshihiko Shingu - 43歳):椿 秌子の兄で、元子爵

(8)新宮華子(Hanako Shingu - 40歳位):新宮利彦の妻

(9)新宮一彦(Kazuhiko Shingu - 21歳):新宮利彦の息子で、椿 美禰子の従兄

(10)玉虫公丸(Kimimaru Tamamushi - 70歳):新宮利彦 / 椿 秌子の伯父で、元伯爵 / 元貴族院議員

(11)菊江(Kikue - 23歳位):玉虫公丸の小間使いで、妾


その椿家において、計画停電を利用した「砂占い」が行われる。

計画停電が終わると同時に、椿 英輔元子爵が作曲した「悪魔が来りて笛を吹く(The Devil Comes and Plays His Flute)」のフルート演奏が、椿家の屋敷内に響き出した。

「砂占い」に出席した皆が調べたところ、レコードプレーヤーによる仕掛けであることが判明したが、皆が席を外している間に、「砂占い」に出た「火焔太皷(Flaming Drum)」のような模様を目撃した屋敷内の一部の人達は、複雑な表情を見せる。

そのことに気付いた金田一耕助に対して、椿 美禰子は、「その火焔太皷のような模様について、父が残した手帳に、「悪魔の紋章(Devil’s Mark)」と書かれていた。」と告げた。


「砂占い」が終わったその日の深夜3時頃、椿家に居候している玉虫公丸元伯爵が殺害されているのが発見された。

それと時を同じくするように、フルートを持った椿 英輔元子爵と思われる男が屋敷の庭に現れて、フルートを奏でる姿が目撃される。

更に、玉虫公丸元伯爵の殺害現場には、椿 英輔元子爵が「悪魔の紋章」と呼んだ火焔太皷の模様が、血で描かれていたのである。

警察は、椿家の庭から、椿 英輔元子爵のフルートケースを発見したが、その中から、「天銀堂事件」で奪われた宝石が見つかる。


果たして、椿 英輔元子爵は、警察が疑った通り、本当に「天銀堂事件」の真犯人なのか?

また、長野県の霧ヶ峰で見つかった遺体は、椿 英輔元子爵その人だったのか?それとも、その遺体は別の人物で、椿 英輔元子爵は未だ生きていて、何らかの理由で、椿家に対して、復讐を遂げようとしているのか?


2025年2月9日日曜日

横溝正史作「悪魔が来りて笛を吹く」(The Devil’s Flute Murders by Seishi Yokomizo)- その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2023年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「悪魔が来りて笛を吹く」の裏表紙
(Cover design by Anna Morrison)


日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの長編第8作目に該る「悪魔が来りて笛を吹く(The Devil’s Flute Murders)」(1951年ー1953年)の場合、1947年(昭和22年)9月28日、元子爵(former Viscount)である椿 英輔(Hidesuke Tsubaki)の娘 美禰子(Mineko Tsubaki)が、金田一耕助の元を訪れたところから、その物語が始まる。

金田一耕助は、前年の1946年(昭和21年)、日本へ復員した後、東京都大森の山手地区に所在する割烹旅館である松月館(Pine Moon Inn)に、その身を置いていた。


椿 美禰子の父親である椿 英輔元子爵は、この春、世間を騒がせた「天銀堂事件(Tengindo murders)」の容疑者として、警察に疑われた人物だった。

1947年1月15日の午前10時頃、銀座(Ginza)に所在する宝石店「天銀堂(Tengindo)」に、「伝染病予防のために、保健所から来た。」と称する男が姿を現した。この男が、宝石店の店員全員に対して、毒薬を飲ませて殺傷して、宝石を奪い、逃亡すると言う事件が発生していたのである。

毒薬を飲まされたものの、幸いにして、生き残った店員からの情報に基づいて作成されたモンタージュ写真から、警察は、宝石を奪い、逃亡した男として、椿 英輔元子爵を取り調べた。


作者の横溝正史は、実際の事件である「帝銀事件」の舞台を、東京都郊外の銀行から銀座の宝石店へと変更の上、物語に取り入れている。


*帝銀事件:1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区長崎に所在する帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店において、実際に発生した事件。東京都の防疫消毒班を名乗る男が現れ、「近くで集団赤痢が発生したため、皆さんには赤痢の予防薬を飲んでもらう必要がある。」と告げると、持っていた小児用の薬瓶からスポイト状の道具を使い、湯呑みに薬を注いだ。ところが、実際には、赤痢用の予防薬ではなく、青酸系の毒物が入っていた。その結果、薬を飲んだ行員16名のうち、12名が死亡。東京都の防疫消毒班を名乗る男は、18万円余りの現金と小切手が奪って、逃走したのである。


「天銀堂事件」の容疑者として疑われ、警察に取り調べられた椿 英輔元子爵は、その後、失踪。約1ヶ月半後の同年4月14日、長野県の霧ヶ峰(Mount Kirigamine)において、彼の遺体が発見された。


椿 英輔元子爵は、娘の美禰子に遺書を残していた。

その遺書には、「父は、これ以上の屈辱と不名誉に耐えていくことはできないのだ。これが暴露されると、由緒ある椿の家名も、泥沼の中へ落ちてしまう。ああ、悪魔が来りて笛を吹く。(I can bear no more humiliation and disgrace. If this story comes to light, the good name of the Tsubaki family will be cast into the mud. Oh, the devil will indeed come and play his flute.)」と書かれてあった。


椿 美禰子は、金田一耕助に対して、更に驚くべきことを告げる。

彼女の母親である椿 秌子(Akiko Tsubaki)が、最近、椿 英輔元子爵らしき人物を目撃したと言うのだ。

それでは、長野県の霧ヶ峰において遺体として見つかったのは、一体、誰なのか?

夫である椿 英輔元子爵を目撃した椿 秌子が、何故か、非常に怯えているため、「父が本当に生きているかどうかについて、椿家で砂占いで確かめることになった。」と、椿 美禰子は金田一耕助に説明するとともに、彼にその砂占いへの同席を依頼するのであった。


2025年2月1日土曜日

横溝正史作「悪魔が来りて笛を吹く」(The Devil’s Flute Murders by Seishi Yokomizo)- その1

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2023年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「悪魔が来りて笛を吹く」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


今回は、


(1)「獄門島(Death on Gokumon Island → 2024年3月4日 / 3月6日 / 3月8日 / 3月10日付ブログで紹介済)」(1947年ー1948年)


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2022年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「獄門島」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


(2)「本陣殺人事件(The Honjin Murders → 2024年3月16日 / 3月21日 / 3月26日 / 3月30日付ブログで紹介済)」(1946年)


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2019年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「本陣殺人事件」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


(3)「犬神家の一族(The Inugami Curser → 2024年4月26日 / 4月29日 / 5月1日 / 5月3日付ブログで紹介済)」(1950年ー1951年)


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2020年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「犬神家の一族」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


(4)「悪魔の手毬唄(The Little Sparrow Murders → 2024年7月12日 / 7月18日 / 7月27日 / 7月31日付ブログで紹介済)」(1957年ー1959年)


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「悪魔の手毬唄」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


(5)「八つ墓村(The Village of Eight Graves → 2025年1月20日 / 1月27日 / 1月29日付ブログで紹介済)」(1949年ー1951年)


英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2021年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「八つ墓村」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


に続いて、「悪魔が来りて笛を吹く(The Devil’s Flute Murders)」について、紹介したい。


「悪魔が来りて笛を吹く」は、日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、


(1)「本陣殺人事件」(1946年)

(2)「獄門島」(1947年ー1948年)

(3)「夜歩く」(1948年-1949年)

(4)「八つ墓村」(1949年ー1951年)

(5)「死仮面」(1949年)

(6)「犬神家の一族」(1950年-1951年)

(7)「女王蜂」(1951年ー1952年)


に続く金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの長編第8作目に該る


一方、事件発生年順で言うと、太平洋戦争(1941年ー1945年)後における混乱期に該る「黒猫亭事件」(1947年3月) / 「殺人鬼」(1947年4月)と「夜歩く」(1948年5月)の間に発生した事件と見做されている。


探偵小説雑誌「宝石」の依頼に応じて、横溝正史が本作「悪魔が来りて笛を吹く」の第一稿を執筆したのが、1951年(昭和26年)9月で、完結編を書き上げたのが、1953年(昭和28年)9月となる。

そして、雑誌「宝石」に、1951年11月から1953年11月にかけて連載された。

本作の連載が2年以上を要したのは、雑誌「宝石」に合併号が発行されたり、また、病気のため、作者の横溝正史が休載したりしたことが、その要因である。

そして、1954年に単行本化され、同年、「第7回探偵作家クラブ賞」候補にノミネートされた。


本作「悪魔が来りて笛を吹く」の場合、戦前までは栄華を誇った貴族の没落、タブー視される近親相姦、そして、それらから生じた悲劇と愛憎劇を密に描いている。

更に、


*帝銀事件:1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区長崎に所在する帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店において、実際に発生した事件。東京都の防疫消毒班を名乗る男が現れ、「近くで集団赤痢が発生したため、皆さんには赤痢の予防薬を飲んでもらう必要がある。」と告げると、持っていた小児用の薬瓶からスポイト状の道具を使い、湯呑みに薬を注いだ。ところが、実際には、赤痢用の予防薬ではなく、青酸系の毒物が入っていた。その結果、薬を飲んだ行員16名のうち、12名が死亡。東京都の防疫消毒班を名乗る男は、18万円余りの現金と小切手が奪って、逃走したのである。


*日本の小説家である太宰治(Osamu Dazai:1909年ー1948年)が発表した「斜陽」(1947年)


等の要素も取り入れて、横溝正史が今まで得意としてきた田舎の因習とはまた異なる陰惨さを醸し出している。

また、本格推理小説の定番である「密室殺人事件」を取り扱っており、作者の人気作品の一つとなっている。

実際、作者の横溝正史自身も、本作「悪魔が来りて笛を吹く」を、「金田一耕助シリーズ自選ベスト10」の6位に推している。