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フランスのフォントヴロー修道院(Fontevrault Abbey)の地下室に埋葬された アキテーヌのエレナーの横臥像 (英国の Dorling Kindersley Limited から2001年に出版された 「Kings and Queens - A Royal History of England & Scotland」から抜粋) |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「杉の柩(Sad Cypress)」において、エルキュール・ポワロとエリノア・カーライル(Elinor Carlisle)の間の会話内で、アキテーヌのエレナー(Eleanor of Aquitaine)について言及されているので、今回、紹介したい。
なお、本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第27作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第18作目に該っている。
「杉の柩」は、以下の通り、三部構成になっている。
<第一部:事件編>
婚約中のエリノア・カーライルとロデリック・ウェルマン(Roderick Welman)の2人が、見舞いのため、金持ちの未亡人であるローラ・ウェルマン(Mrs. Laura Welman)が住むハンターベリー(Hunterbury)の屋敷を訪れるところから、物語が始まる。
ローラ・ウェルマンは60歳過ぎで、脳溢血により、寝たきりの状態だった。
エリノア・カーライルは、ローラ・ウェルマンの姪(ローラ・ウェルマンの兄の娘)に、また、ロデリック・ウェルマンは、ローラ・ウェルマンの義理の甥(ローラ・ウェルマンの夫ヘンリー(30年以上前に死去)の甥)に該る。
その際、ロデリック・ウェルマンは、ウェルマン家の門番の美しい娘であるメアリー・ジェラード(Mary Gerrard)に心を奪われて、エリノア・カーライルから気持ちが離れていってしまう。
気持ちが離れてしまったロデリック・ウェルマンに対する嘆きを募らせたエリノア・カーライル、ロデリック・ウェルマン、そして、メアリー・ジェラードの三角関係が展開し、第一部の最後に、メアリー・ジェラードが多量のモルヒネにより毒殺される事件が発生するまでが描かれる。
<第二部:捜査編>
ローラ・ウェルマンの主治医で、エリノア・カーライルに対して想いを寄せるピーター・ロード医師(Dr. Peter Lord)からの依頼を受け、メアリー・ジェラード毒殺の容疑により、警察に逮捕されたエリノア・カーライルの濡れ衣を晴らすべく、エルキュール・ポワロが、事件の関係者を一人一人訪ねて回って、詳細な証言を引き出していく。そして、第二部の最後には、各人の証言には、嘘がいろいろと含まれており、綻びが少しずつ判明する。
<第三部:解決編>
メアリー・ジェラード毒殺の容疑で起訴されたエリノア・カーライルの裁判において、驚くべき真相が明らかにされ、メアリー・ジェラードを毒殺した真犯人が誰なのかを、エルキュール・ポワロが説明する。
上記の「第二部:捜査編」において、エルキュール・ポワロは、勾留中のエリノア・カーライルの元を訪れる。
「では、先へまいりましょう。次はなんですか?」
「私、食器室(パントリー)におりて、サンドイッチを切りました」
ポワロはやさしく言った。「そして、考えたー何を?」
エリノアの瞳がきらっと光った。「わたしの名前の由来をですわ。アキテーヌのエレアノールです。」
「よくわかりました。」
「おわかりになります?」
「わかりますとも。その話は知っています。うるわしきロザモンドに、剣か毒杯かをえらばせましたね、彼女は。ロサモンドは毒杯をとったのでした。」
エリノアは口を閉じ、蒼白になっていた。
<出展:早川書房のクリスティー文庫18「杉の柩」(恩地三保子訳)>
エルキュール・ポワロとエリノア・カーライルの間の会話内に出てくる「アキテーヌのエレアノール」とは、
フランス語:アリエノール・ダキテーヌ(Alienor d’Aquitaine)
英語:エリナー・オブ・アクイティン(Eleanor of Aquitaine)
と呼ばれる中世フランス王国の女性貴族で、アキテーヌ女公(1122年ー1204年 在位期間:1137年ー1204年)のことを指している。
アキテーヌ公ギヨーム10世(Guillaume X duc d’Aquitaine:1099年ー1137年 在位期間:1126年ー1137年)とシャテルロー副伯エメリー1世の娘であるアエノール・ド・シャテルロー(Aenor de Chatellerault:1103年ー1130年)の第一子長女として出生したアリエノール・ダキテーヌは、父の死去に伴い、アキテーヌ女公の地位に就く。
その後、アリエノール・ダキテーヌは、
(1)フランスのカペー朝第6第国王であるルイ7世(Louis VII:1120年ー1180年 在位期間:1137年ー1180年)の王妃(1137年8月1日ー1152年3月21日)
そして、
(2)イングランドのプランタジネット朝初代国王であるヘンリー2世(Henry II:1133年ー1189年 在位期間:1154年ー1189年)の王妃(1154年12月19日ー1189年7月6日)
となった。
彼女の子孫が欧州各地の君主や妃となったことから、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれている。
アリエノール・ダキテーヌには、夫ヘンリー2世の愛妾であるロザモンド・クリフォード(Rosamund Clifford:1140年頃ー1176年頃)が住むオックスフォードシャー州(Oxfordshire)のウッドストック宮殿(Woodstock Palace)へと押し掛け、ロザモンド・クリフォードに対して、剣、もしくは、毒杯のいずれかによる自決を迫ったとする伝承が残っているが、それに関しては、次回に紹介したい。

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