![]() |
アキテーヌのエレナーが再婚した アンジュー伯ノルマンディー公アンリは、 イングランドのヘンリー2世として即位して、 プランタジネット朝初代国王となる。 (英国の Dorling Kindersley Limited から2001年に出版された 「Kings and Queens - A Royal History of England & Scotland」から抜粋) |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「杉の柩(Sad Cypress)」において、エルキュール・ポワロとエリノア・カーライル(Elinor Carlisle)の間の会話内に出てくる「アキテーヌのエレアノール」とは、
フランス語:アリエノール・ダキテーヌ(Alienor d’Aquitaine)
英語:エリナー・オブ・アクイティン(Eleanor of Aquitaine)
と呼ばれる中世フランス王国の女性貴族で、アキテーヌ女公(1122年ー1204年 在位期間:1137年ー1204年)のことを指している。
アキテーヌ公ギヨーム10世(Guillaume X duc d’Aquitaine:1099年ー1137年 在位期間:1126年ー1137年)とシャテルロー副伯エメリー1世の娘であるアエノール・ド・シャテルロー(Aenor de Chatellerault:1103年ー1130年)の第一子長女として出生したアリエノール・ダキテーヌは、父の死去に伴い、アキテーヌ女公の地位に就く。
その後、アリエノール・ダキテーヌは、
(1)フランスのカペー朝第6第国王であるルイ7世(Louis VII:1120年ー1180年 在位期間:1137年ー1180年)の王妃(1137年8月1日ー1152年3月21日)
そして、
(2)イングランドのプランタジネット朝初代国王であるヘンリー2世(Henry II:1133年ー1189年 在位期間:1154年ー1189年)の王妃(1154年12月19日ー1189年7月6日)
となった。
彼女の子孫が欧州各地の君主や妃となったことから、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれている。
ルイ7世の王妃となったアリエノール・ダキテーヌは、1147年の第2回十字軍(1145年ー1149年)時に、アキテーヌ軍を引き連れて、夫ルイ7世と一緒に参加したが、失敗に終わったことにより、2人の間に亀裂が入る。そして、1152年3月21日に、2人は離婚。
ルイ7世との離婚後、領地へ帰還したアリエノール・ダキテーヌは、約2ヶ月後の1152年5月18日に、アンジュー伯ノルマンディー公アンリと再婚し、翌年の1153年8月17日に長男ウィリアムを出産。
1154年10月25日、アンジュー伯ノルマンディー公アンリは、イングランド王を継承して、ヘンリー2世となる。アリエノール・ダキテーヌは、夫ヘンリー2世 / 長男ウィリアムと一緒にイングランドに上陸し、同年12月19日に戴冠。アンジュー伯ノルマンディー公アンリがイングランド王のヘンリー2世として戴冠したことに伴い、フランス国土の半分以上がイングランド領となり、後の百年戦争(Hundred Years’ War:1337年ー1453年)の遠因となった。
アリエノール・ダキテーヌは、再婚したヘンリー2世との間に、以下の5男3女の8人の子を儲け、夫と一緒に、領土を統治するとともに、アンジュー帝国の拡大に務めた。
(1)ウィリアム(1153年ー1156年)
(2)ヘンリー(1155年ー1183年)
(3)マティルダ(1156年ー1189年)
(4)リチャード(1157年ー1199年)
(5)ジェフリー(1158年ー1186年)
(6)エレノア(1162年ー1214年)
(7)ジョーン(1165年ー1199年)
(8)ジョン(1166年ー1216年)
アリエノール・ダキテーヌが5男であるジョンを出産する頃から、ヘンリー2世と彼女の夫婦は不仲となる。これは、夫ヘンリー2世に愛妾であるロザモンド・クリフォード(Rosamund Clifford:1140年頃ー1176年頃)ができたことに加えて、オックスフォードシャー州(Oxfordshire)のウッドストック宮殿(Woodstock Palace)に彼女を引き入れて、堂々と囲うようになったためである。
アリエノール・ダキテーヌは、1174年1月、ヘンリー2世に捕らえられ、約15年にわたり、イングランドにおいて軟禁された。
アリエノール・ダキテーヌには、夫ヘンリー2世の愛妾ロザモンド・クリフォードが囲われているウッドストック宮殿へと押し掛け、ロザモンド・クリフォードに対して、剣、もしくは、毒杯のいずれかによる自決を迫ったとする伝承が残っているものの、ロザモンド・クリフォードが死去した時期とされる1176年の時点で、アリエノール・ダキテーヌは、ヘンリー2世により幽閉中であり、事実ではないと考えられている。
従って、アガサ・クリスティー作「杉の柩」の「第二部:捜査編」において、エルキュール・ポワロと勾留中のエリノア・カーライルの間で交わされた
「では、先へまいりましょう。次はなんですか?」
「私、食器室(パントリー)におりて、サンドイッチを切りました」
ポワロはやさしく言った。「そして、考えたー何を?」
エリノアの瞳がきらっと光った。「わたしの名前の由来をですわ。アキテーヌのエレアノールです。」
「よくわかりました。」
「おわかりになります?」
「わかりますとも。その話は知っています。うるわしきロザモンドに、剣か毒杯かをえらばせましたね、彼女は。ロサモンドは毒杯をとったのでした。」
エリノアは口を閉じ、蒼白になっていた。
<出展:早川書房のクリスティー文庫18「杉の柩」(恩地三保子訳)>
の会話は、伝承に基づいたものであると言える。

0 件のコメント:
コメントを投稿