2025年2月26日水曜日

ロンドン ブルームズベリースクエア(Bloomsbury Square) - その2

ブルームズベリースクエアの西側から
ブルームズベリースクエアガーデンズ(Bloomsbury Square Gardens)越しに、
ブルームズベリースクエアの東側に建つヴィクトリアハウスを望む(その1)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表したエルキュール・ポワロシリーズ作品「杉の柩(Sad Cypress)」において、エリノア・カーライル(Elinor Carlisle)の伯母で、金持ちの未亡人であるローラ・ウェルマン(Mrs. Laura Welman)の顧問弁護士であるエドマンド・セデン(Edmund Sedden)がパートナーの一人を務めるセドン、ブレイザーウィック・アンド・セドン法律事務所の住所として、「ブルームズベリースクエア104番地(104 Bloomsbury Square)」と記載されている。



セドン、ブレイザーウィック・アンド・セドン法律事務所が所在するブルームズベリースクエア(Bloomsbury Square)は、ロンドンの中心部にあるロンドン特別区の一つであるカムデン区(London  Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にある広場で、その北側を大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の正門前を通るグレイトラッセルストリート(Great Russell Street)に、そして、その南側をブルームズベリーウェイ(Bloomsbury Way)に挟まれている。


ブルームズベリースクエアの西側から
ブルームズベリースクエアガーデンズ(Bloomsbury Square Gardens)越しに、
ブルームズベリースクエアの東側に建つヴィクトリアハウスを望む(その2)

ブルームズベリースクエアは、第4代サザンプトン伯爵トーマス・ウィリオセスリー(Thomas Wriothesley, 4th Earl of Southampton:1607年ー1667年)により、1660年代に開発されたため、当初は、サザンプトンスクエア(Southampton Square)と呼ばれた。サザンプトンスクエアは、ロンドン市内に開発された最も古いスクエアの一つである。


ブルームズベリースクエアガーデンズ内から、
ブルームズベリースクエアの東側に建つヴィクトリアハウスを望む

サザンプトン伯爵家が住むサザンプトンハウス(Southampton House)を含むサザンプトンスクエアの北側は、婚姻により、サザンプトン伯爵家からベッドフォード公爵家へと引き継がれ、サザンプトンハウスはベッドフォードハウス(Bedford House)へと変わる。

サザンプトンスクエアの他の部分には、テラスハウスが立ち並び、貴族階級や紳士階級が数多く入居。


ブルームズベリースクエアの南東の角から、
ブルームズベリースクエアの東側に建つヴィクトリアハウスを見上げたところ

19世紀初め頃には、サザンプトンスクエアは、上流階級にとって、人気がある場所ではなくなったため、当時のベッドフォード公爵は、スクエアの北側にあったベッドフォードハウスを取り壊して、更にテラスハウスを建設。スクエアの北側に新たに立てられたテラスハウスは、英国の建築家 / 不動産開発業者であるジェイムズ・バートン(James Burton:1761年ー1837年)が設計した。


ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手6種類の一つ -
ヴィクトリア女王から引見を受ける初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ
(彼は、当時、第二次ディズレーリ内閣(1874年ー1880年)を組閣しており、
南アフリカ連邦をまとめるべく、
1877年4月に、最後に残ったトランスヴァール共和国を併合した直後)


その結果、ブルームズベリースクエアに住むのは、貴族階級 / 紳士階級から中産階級へと変わった。

ブルームズベリースクエア6番地には、英国の作家 / 学者であるアイザック・ディズレーリ(Issac D’Israeli:1766年ー1848年)が、1817年から1829年にかけて住んだ。アイザック・ディズレーリは、英国の政治家 / 小説家で、ヴィクトリア朝の中期に、保守党の党首として、英国首相を2度務めた初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield:1804年-1881年)の父で、初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ自身も、当時、父と一緒に、ブルームズベリースクエア6番地に住んでいた。


パーラメントスクエアガーデン(Parliament Square Garden)内に建つ
初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリの銅像


20世紀に入ると、ブルームズベリースクエアを囲む建物の多くは、住居用からオフィス用へと変わる。

現在、ブルームズベリースクエアを囲む建物には、スクエアが開発された当初のものは現存せず、その多くが18世紀、もしくは、19世紀初めに建設されたものとなっている。ブルームズベリースクエアの東側を占めるヴィクトリアハウス(Victoria House)の場合、20世紀初めに建設されている。


ブルームズベリースクエアの北東の角から、
ブルームズベリースクエアの東側に建つヴィクトリアハウスを見上げたところ

なお、アガサ・クリスティーの原作上、セドン、ブレイザーウィック・アンド・セドン法律事務所の住所は「ブルームズベリースクエア104番地」となっているが、現在の住所表記上、104番地に該当する住所は存在していない。


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