2016年8月7日日曜日

ロンドン ロバートストリート3番地(3 Robert Street)

ロバートストリートをジョン・アダム ストリート(北側)から見たところ

アガサ・クリスティー作「黄色いアイリス(Yellow Iris)」は、1939年に刊行された短編集「レガッタデーの事件(The Regatta Mystery)」に収録されている短編の一つである。

エルキュール・ポワロの元に、女性の声で危機を訴える匿名の電話がかかってくるところから、物語の幕が上がる。女性に指定されたレストラン「白鳥の園」にポワロが急いで到着したが、肝心の女性の姿がその場にはなかった。唯一黄色いアイリスが置かれたテーブルがあり、気になったポワロがそのテーブル客達に話しかけると、4年前ニューヨークのレストランで青酸カリの入った飲み物で不審な死を遂げたアイリス・ラッセル(Iris Russell)を偲んでいると言う。そのテーブルには、以下の5人の客が居た。

(1)バートン・ラッセル(Barton Russell)ーアイリスの夫
(2)ポーリン・ウェザビー(Pauline Wetheby)ーアイリスの妹
(3)アンソニー・チャペル(Anthony Chapell)ーポーリンの婚約者
(4)スティーヴン・カーター(Stephen Carter)ー外務省で極秘事項に関係している噂の男
(5)ローラ・ヴァルデス(Lola Valdez)ーダンサー



皆、アイリスが衆人の面前で自殺をする理由で思い当たらないと、ポワロに告げる。ポワロがテーブル客達の話を聞いている間に、4年前と全く同じ状況下、ポーリンが青酸カリの入った飲み物を飲んで、アイリスと同様に、不審な死を遂げたのである。
ポワロの面前で発生した謎の不審死!果たして、4年前、そして、今回の事件は単なる自殺なのか?それとも、殺人なのか?ポワロの灰色の脳細胞が動き出すのであった。


ロバートストリートとジョン・アダム ストリートの角に建つ建物

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「黄色いアイリス」(1993年)の回において、物語の後半、ロンドンのジャーミンストリート(Jermyn Streetー2016年7月24日付ブログで紹介済)にルイジ・デ・モニコ(Luigi di Monico)が開店したレストラン「ル・ジャルダン・デ・シーニュ(Le Jardin des Cygnesー白鳥の園)」の前に、アルゼンチンのブエノスアイレスにあった同店で2年前に発生した事件(アイリス・ラッセルが不審死を遂げた事件)の関係者である5人(バートン・ラッセル、ポーリン・ウェザビー、アンソニー・チャペル、スティーヴン・カーターとローラ・ヴァルデス)が次々と到着する。
ストーリー上、同レストランはジャーミンストリート沿いに開店した設定になっているが、実際には、事件の関係者達がレストランに到着する場面は、ロバートストリート(Robert Street)を使用して撮影されている。「3番地」を示す表示が入口のドアにあるのが、画面上に映る。


ロバートストリートの東側に、ニューアデルフィビルが建っている

ロバートストリートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にある。(1)トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からシティー(City)へ向かって東に延びるストランド通り(Strand→2015年3月29日付ブログで紹介済)と(2)テムズ河(River Thames)沿いに設けられたヴィクトリアエンバンクメントガーデンズ(Victoria Embankment Gardens)の間に挟まれた「アデルフィ(Adelphi)」という一画にロバートストリートはあり、北側はジョン・アダム ストリート(John Adam Street)から始まり、南側はアデルフィテラス(Adelphi Terrace)で終わる約50mの短い通りである。


ロバートストリート沿いにある
ニューアデルフィビルの入口
ロバートストリートの東側には、2016年1月10日付ブログで紹介済のニューアデルフィビル(New Adelphi Building)が建っている。


ニューアデルフィビルのロバートストリート沿いの
外壁装飾(その1)―グラスゴー
外壁装飾(その2)―ベルファスト
外壁装飾(その3)―エディンバラ

1768年から1772年にかけて、スコットランド出身の建築家ウィリアム・アダム(William Adam:1689年ー1748年)の息子達、所謂、アダム兄弟(Adam brothers)と言われる
・長男ージョン・アダム(John Adam:1721年ー1792年)
・次男ーロバート・アダム(Robert Adam:1728年ー1792年)
・三男ージェイムズ・アダム(James Adam:1732年ー1794年)
によって、この一画に新古典主義の集合住宅(テラスハウス)が24棟建設された。英語の「brothers(兄弟)」を意味するギリシア語「adelphi」をベースにして、この一画は「アデルフィ」と呼ばれるようになった。また、この一画を囲む北側の通りは「ジョン・アダム ストリート」、東側の通りは「アダム ストリート(Adam Street)」、南側の通りは「アデルフィテラス(Adelphi Terrace)」、そして、西側の通りは「ロバート ストリート」と、アダム兄弟の名前に因んで名付けられている。


外壁装飾(その4)―リヴァプール
外壁装飾(その5)―リーズ
外壁装飾(その6)―マンチェスター

1930年代初め頃、アダム兄弟が建てた集合住宅のほとんどが取り壊されて、その跡地にはコルカット&ハンプ(Collcutte & Hamp)という会社が設計したアールデコ風の建物「ニューアデルフィビル」が建設され、現在に至っている。今も、アダム兄弟が建てた集合住宅の一部は残っているが、アデルフィテラス側のわずかである。ニューアデルフィビルには、現在、アセット管理会社等が入居している。


集合住宅を建設したアダム兄弟の一人
ロバート・アダムは、この通りに住んでいた

TV版では、サヴォイプレイス(Savoy Place)から階段を登ったアデルフィテラス側からロバートストリートの左手側(西側)が撮影されており、画面上、右側(東側)に建つニューアデルフィビルは映らない考慮がされている。

レストラン「白鳥の園」の撮影に使用されたと思われる
ロバートストリート3番地―
現在、棟全体が改装工事中

ロバートストリート3番地には、「Chartered Institute of Public Finance & Accountancy (= CIPFA)」が入居していたが、3番地を含むロバートストリート西側の棟は、外壁・内装ともに、改装工事中で、現状、入居者はいない模様である。


2016年8月6日土曜日

ロンドン ロンドン大学(University of London)

ロンドン大学の本部が置かれているセナトハウス(Senate House)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)は、元軍医局のジョン・H・ワトスン医学博士の回想録で、物語の幕を開ける。物語の冒頭、ワトスンは、「1878年、私はロンドン大学で医学博士号を取得して(In the year 1878 I took my degree of doctor ofmedicine of the University of London, …)」と述べている。

セナトハウス近くに設置されている大学内案内板

ワトスンが医学博士号を取得したロンドン大学(University of London)は、ロンドンの中心部ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にあるラッセルスクエア(Russell Square)に本部を置くカレッジ制の大学である。各カレッジがそれぞれ独立した個別の大学となっており、誤解に陥りやすいが、「ロンドン大学」という名前の大学が単体で存在している訳ではなく、カレッジ制の大学の集合体として、「ロンドン大学」が存在しているに過ぎない。

ロンドン大学の構内トーリントンスクエア(Torrington Square)の南側―
奥に見えるのが、セナトハウス

ロンドン大学は、ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London 以下、UCLー1826年に設立)とキングス・カレッジ・ロンドン(King's College London 以下、KCLー1829年に設立)の2つのカレッジにより、両カレッジの学生に学位を授与する機関として、1836年に設立された。

ロンドン大学の構内トーリントンスクエアの北側―
奥に見えるのが、Church of Christ the King 

「緋色の研究」の中で、ワトスンはロンドン大学で医学博士号を取得したと述べているが、彼はどのカレッジを卒業しているのだろうか?
ワトスンが医学博士号を取得した1878年当時、ロンドン大学に加入していたカレッジは、以下の3校である。

(1)UCL (1836年に加入ー2015年8月16日付ブログで紹介済)


UCL の入口から見た主要校舎ウィルキンスビル(Wilkins Building)

(2)KCL (1836年に加入)


左側に見える建物が、KCL の校舎―
ストランド通りを間に挟んで、
右側には St. Mary-le-Strand Church が建っている

(3)University of London International Programmes (1858年に加入)

現在、ロンドン大学には合計で約20のカレッジが所属しているが、上記の3校以外は、1900年以降の加入である。

ロンドン大学に所属するカレッジの一つである
バークベックカレッジ(Birkbeck College)―1920年に加入
トーリントンスクエア側から見たバークベックカレッジの校舎

カレッジの性格的には、(3)University of London International Programmes は、その対象から外れると思われる。
残りの(1)UCL と(2)KCL の学部をみる限りでは、個人的には、(1)UCL ではないかと考える。

トーリントンスクエア内に設置されているオブジェ

ちなみに、(1)UCL は、ロンドン大学の本部が置かれているブルームズベリー地区内にあり、ゴードンスクエア(Gordon Squareー年月日付ブログで紹介済)の北側に位置している。また、2)KCL は、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)とシティー(City)を結ぶストランド通り(Strand)沿いにあり、サマセットハウス(Somerset House)の東側に位置している。

2016年7月31日日曜日

ロンドン フログナルウェイ9番地(9 Frognal Way)

バートン・ラッセルが住む邸宅として、
フログナルウェイ9番地の建物が撮影に使用されている

アガサ・クリスティー作「黄色いアイリス(Yellow Iris)」は、1939年に刊行された短編集「レガッタデーの事件(The Regatta Mystery)」に収録されている短編の一つである。


エルキュール・ポワロの元に、女性の声で危機を訴える匿名の電話がかかってくるところから、物語の幕が上がる。女性に指定されたレストラン「白鳥の園」にポワロが急いで到着したが、肝心の女性の姿がその場にはなかった。唯一黄色いアイリスが置かれたテーブルがあり、気になったポワロがそのテーブル客達に話しかけると、4年前ニューヨークのレストランで青酸カリの入った飲み物で不審な死を遂げたアイリス・ラッセル(Iris Russell)を偲んでいると言う。そのテーブルには、以下の5人の客が居た。

(1)バートン・ラッセル(Barton Russell)ーアイリスの夫
(2)ポーリン・ウェザビー(Pauline Wetheby)ーアイリスの妹
(3)アンソニー・チャペル(Anthony Chapell)ーポーリンの婚約者
(4)スティーヴン・カーター(Stephen Carter)ー外務省で極秘事項に関係している噂の男
(5)ローラ・ヴァルデス(Lola Valdez)ーダンサー

フログナルウェイへの入口(南側)―
画面奥から手前に延びる通りはフログナル通り
南側の入口からフログナルウェイを見たところ

皆、アイリスが衆人の面前で自殺をする理由で思い当たらないと、ポワロに告げる。ポワロがテーブル客達の話を聞いている間に、4年前と全く同じ状況下、ポーリンが青酸カリの入った飲み物を飲んで、アイリスと同様に、不審な死を遂げたのである。
ポワロの面前で発生した謎の不審死!果たして、4年前、そして、今回の事件は単なる自殺なのか?それとも、殺人なのか?ポワロの灰色の脳細胞が動き出すのであった。

フログナルウェイ沿いに建つ邸宅(その1)
フログナルウェイ沿いに建つ邸宅(その2)

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「黄色いアイリス」(1993年)の回では、物語の中盤、ポワロはアーサー・ヘイスティングス大尉を伴って、バートン・ラッセルの自宅を訪ねる。そして、ポワロはバートン・ラッセルに対して、ジャーミンストリート(Jermyn Streetー2016年7月24日付ブログで紹介済)に開店するレストラン「ル・ジャルダン・デ・シーニュ(Le Jardin des Cygnesー白鳥の園)に2年前の事件(アルゼンチンのブエノスアイレスにあった同店において、彼の妻アイリス・ラッセルが青酸カリの入った飲み物を飲んで、不審な死を遂げた事件)の関係者達を集める意図を尋ねるのであった。ポワロの問いに、バートン・ラッセルは、妻の死の真相を明らかにしたいと答える。
バートン・ラッセルが住む邸宅として、フログナルウェイ9番地(9 Frognal Way)の家が撮影に使用されている。

フログナルウェイから見たフログナルウェイ9番地の邸宅正面

フログナルウェイ9番地は、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のハムステッド地区(Hampstead)内にある。地下鉄セントジョンズウッド駅(St. John's Wood Tube Station)前から始まり、地下鉄スイスコテージ駅(Swiss Cottage Tube Station)や地下鉄フィンチリーロード駅(Finchley Road Tube Station)等の前を通って北上するフィンチリーロード(Finchley Road)を右折して、フログナルレーン(Frognal Lane)の坂を登り、左右に延びるフログナル通り(Frognal)に交差した奥にあるのがフログナルウェイ(Frognal Way)である。

フログナルウェイの一番奥(北側)
フログナルウェイの北側から南側を望む

このフログナルウェイの中程に建つ9番地の白い建物が、バートン・ラッセルの邸宅として撮影に使用されたものである。フログナルウェイの両側に建つ他の邸宅とは異なった建物で、ポワロシリーズでよく使われるアールデコ風の邸宅である。

フログナルウェイ9番地の邸宅アップ―
アールデコ風の建物である

フログナルウェイは、(1)フィンチリーロードと(2)地下鉄スイスコテージ駅と地下鉄ハムステッド駅(Hampstead Tube Station)を結ぶフィッツジョンズアヴェニュー(Fitzjohn's Avenue)に南北に挟まれた地域内にあり、ハムステッド地区の高級住宅街の一つである。上記の2つの通りはバス通りで、特にフィンチリーロードは車の往来が激しいが、フログナルウェイがある辺りは非常に閑静な場所である。

2016年7月30日土曜日

「緋色の研究(A Study in Scarlet)」

シャーロック・ホームズの記念すべき第一作「緋色の研究」

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)は、1876年にエディンバラ大学(University of Edinburgh)医学部に入学し、1881年8月に同大学で医学士と外科修士の学位を取得した。彼は同年10月にアフリカ汽船会社に船医として就職し、リヴァプール(Liverpool)から出航するも、航海中にマラリアに罹患して、一時生死の境をさまようことになった。そのため、これ以上アフリカ汽船会社に船医として留まることが困難となり、翌年の1882年1月に同社を退職する。

2014年夏場に、ロンドンの中心部
ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)の
ブルームズベリー(Bloomsbury)地区内にある
ウォバーンスクエアガーデン(Woburn Square Garden)に
設置されたブックベンチ

アフリカ汽船会社を退職したコナン・ドイルは、1882年6月末から英国南部のポーツマス(Portsmouth)郊外にあるサウスシー(Southsea)において、個人診療所を開業した。その後、彼はサウスシーにて診療所を8年にわたって続けるが、既に医師が多く開業する地域だったこともあって、医師としての大きな成功を納めることはなく、ひたすら患者を待つ日々が続いた。

ブックベンチは、その名の通り、
本を真ん中で開いたような形をしている

コナン・ドイルは、患者を待つ間、暇に飽かせて、短編小説を執筆して、雑誌社へ投稿するようになる。幸い、執筆した短編小説のいくつかは、雑誌社に買い取ってもらえたが、大半は雑誌社から彼の元へ返却されていた。
ポーツマス暮らしが3年目に入った1885年に、(病死した)患者の姉であるルイーズ・ホーキンズ(Louise Hawkins)と(最初の)結婚をしたコナン・ドイルは、このまま短編小説を書いていても、単なる小遣い稼ぎ程度しかならないと思い、単行本として出版できる位の長編小説の執筆を思い立った。
彼は、まず最初に、「ガードルストーン会社」という長編小説を書き上げたが、出版してくれそうな出版社がなかなか見つからなかった(実際に、当作品が出版されたのは、1890年)。彼が、その次に、1886年3月から同年4月にかけて執筆した長編小説が、シャーロック・ホームズの記念すべき第一作の「緋色の研究(A Study in Scarlet)」であった。

ブックベンチを背凭れ側から見たところ―
中央にシャーロック・ホームズのシルエット像が描かれている

「緋色の研究」では、
(1)第二次アフガン戦争に副軍医として従軍して負傷したジョン・H・ワトスン(John H. Watson)が英国へ戻った場所がポーツマスで、コナン・ドイルが住んでいたサウスシーの近郊であること
(2)厳密には、殺人事件とは言えないが、被害者となったイーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)と彼の秘書のジョーゼフ・スタンガーソン(Joseph Stangerson)の二人が米国へ逃げ帰ろうとして、ユーストン駅(Euston Station)から向かおうとしていた場所がリヴァプールで、コナン・ドイルが船医として就職したアフリカ汽船会社が出航し、彼がマラリアに罹患して退職する破目になったところであること
等、登場する場所のいくつかは、彼の実生活から取り入れられている。

一番左側には、赤い本「緋色の研究」がある

「緋色の研究」についても、「ガードルストーン会社」と同様に、なかなか出版社が見つからなかったが、1886年10月末にウォードロック社という出版社に短編小説並みの安値でやっと買い取ってもらい、更に1年後の1887年11月、同作品は「ビートンのクリスマス年間(Beeton's Christmas Annual)」に掲載され、1888年には単行本化もされた。

残念ながら、この時点での世間の反響は程々であり、ホームズシリーズの短編小説が「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」に掲載され、ホームズ(とワトスン)が爆発的な人気を得るのは、まだ数年先の話である。

2016年7月24日日曜日

ロンドン ジャーミンストリート(Jermyn Street)

西側(セントジェイムズストリート側)から東側(リージェントストリート)側へ
ジャーミンストリートを望む

アガサ・クリスティー作「黄色いアイリス(Yellow Iris)」は、1939年に刊行された短編集「レガッタデーの事件(The Regatta Mystery)」に収録されている短編の一つである。


エルキュール・ポワロの元に、女性の声で危機を訴える匿名の電話がかかってくるところから、物語の幕が上がる。女性に指定されたレストラン「白鳥の園」にポワロが急いで到着したが、肝心の女性の姿がその場にはなかった。唯一黄色いアイリスが置かれたテーブルがあり、気になったポワロがそのテーブル客達に話しかけると、4年前ニューヨークのレストランで青酸カリの入った飲み物で不審な死を遂げたアイリス・ラッセル(Iris Russell)を偲んでいると言う。そのテーブルには、以下の5人の客が居た。

(1)バートン・ラッセル(Barton Russell)ーアイリスの夫
(2)ポーリン・ウェザビー(Pauline Wetheby)ーアイリスの妹
(3)アンソニー・チャペル(Anthony Chapell)ーポーリンの婚約者
(4)スティーヴン・カーター(Stephen Carter)ー外務省で極秘事項に関係している噂の男
(5)ローラ・ヴァルデス(Lola Valdez)ーダンサー

セントジェイムズストリート近辺のジャーミンストリート

皆、アイリスが衆人の面前で自殺をする理由で思い当たらないと、ポワロに告げる。ポワロがテーブル客達の話を聞いている間に、4年前と全く同じ状況下、ポーリンが青酸カリの入った飲み物を飲んで、アイリスと同様に、不審な死を遂げたのである。
ポワロの面前で発生した謎の不審死!果たして、4年前、そして、今回の事件は単なる自殺なのか?それとも、殺人なのか?ポワロの灰色の脳細胞が動き出すのであった。

英国王ジョージ4世の友人で、
ロンドン社交界の伊達者だった
ジョージ・ブライアン・ブランメル
(George Bryan Beau Brummell:1778年―1840年)

英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「黄色いアイリス」(1993年)では、アガサ・クリスティーの原作とは、以下のような差異がある。

(1)アイリス・ラッセルが青酸カリの入った飲み物を飲んで不審な死を遂げた時期
   原作:4年前 
   TV版:2年前
(2)アイリス・ラッセルが不審な死を遂げた場所
   原作:ニューヨークのレストラン
   TV版:ブエノスアイレスのフレンチレストラン「白鳥の園」
(3)アイリス・ラッセルが不審な死を遂げた時におけるポワロの関与度合い
   原作:ポワロは現場には居合わせていない。
   TV版:アルゼンチンで牧場を経営しているアーサー・ヘイスティングス大尉
                   に会いに行く途中、ポワロは偶然現場に居合わせている。
(4)第2の事件が発生するロンドンでの場所
   原作:レストラン「白鳥の園」
   TV版:開店したばかりのフレンチレストラン「白鳥の園」
(5)第2の事件が発生した場所へポワロはどのような経緯でやって来たのか?
   原作:匿名の女性からので電話で呼び出される。
   TV版:フレンチレストラン「白鳥の園」が開店したその日に、ポワロが住む
                   フラットの郵便受けに一輪のアイリスが入れられており、ポワロは
                   2年前の未解決事件を思い出し、独自に捜査を始める。
(6)第2の事件の被害者
   原作:ポーリン・ウェザビーは青酸カリの入った飲み物を飲んで殺害される。
   TV版:ポーリンは青酸カリの入った飲み物で狙われるが、ポワロが事件を
       未然に防ぐ。

サー・アイザック・ニュートン(Sir Issac Newton:1642年―1727年)は、
ジャーミンストリート88番地(1696年―1700年)と
同87番地(1700年―1709年)に住んでいた。
1642年12月25日に、リンカンシャー州(Lincolnshoire)の
小さな村ウールズソープ(Woolsthorpe)に出生したアイザック・ニュートンは、
ケンブリッジ大学(Cambridge University)のトリニティーカレッジ(Trinity College)へ進学し、
26歳の若さで、同大の教授職に就く。
その後、研究生活に疲弊して、精神不調に陥った彼は、ケンブリッジを離れて、
1696年にロンドンへ移住。
当初、ジャーミンストリート88番地に住んでいたが、
1700年に同所より広いジャーミンストリート87番地が空いたため、
彼は、そちらへ移った。残念ながら、当時の建物は、1908年に取り壊されてしまった。

サー・アイザック・ニュートンは、英国の自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者、
そして、神学者として有名である。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
サー・アイザック・ニュートンの肖像画の葉書
(Sir 
Godfrey Kneller Bt. / 1702年 / Oil on canvas
756 mm x 622 mm) 

古い英国1ポンド紙幣に描かれているサー・アイザック・ニュートン

ブエノスアイレスでフレンチレストラン「白鳥の園(ル・ジャルダン・デ・シーニュ / Le Jardin des Cygnes)」を経営していたルイジ・デ・モニコ(Luigi di Monico)が、ロンドンにおいて同名のフレンチレストランを開店した場所のジャーミンストリート(Jermyn Street)は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からセントジェイムズ宮殿(St. James's Palace)へ向かって西に延びるパル・マル通り(Pall Mallー2016年4月20日付ブログで紹介済)とピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)の前を通って地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Stationー2015年6月14日付ブログで紹介済)へ向かって西に延びるピカデリー通り(Piccadilly)とで南北に挟まれている。ジャーミンストリートの東側はヘイマーケット通り(Haymarket)から始まり、リージェントストリート(Regent Street)を横切った後、西側はセントジェイムズストリート(St. James's Street)で終わる約500mの通りである。

ジャーミンストリートの中央辺りから東方面を見たところ

ジャーミンストリートは、17世紀後半、初代セントアルバンス伯爵ヘンリー・ジャーミン(Henry Jermyn, 1st Earl of St. Albans:1605年ー1684年)がセントジェイムズ地区を再開発した際に、一緒に整備され、彼の名前に因んで、ジャーミンストリートと名付けられた。ただし、当初は、現在の「Jermyn Street」ではなく、「Jarman Street」と記録されていたようである。ちなみに、初代セントアルバンス伯爵ヘンリー・ジャーミンは、ジャーミンストリートから少し南側に下ったセントジェイムズスクエア(St. James's Squareー2015年10月25日付ブログで紹介済)にある自宅で、1684年に死去している。

ジャーミンストリートから見上げた
セントジェイムズ教会(St. James's Church)

セントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral)等を建設した
英国の建築家サー・クリストファー・マイケル・レン
(Sir Christopher Michael Wren:1632年―1723年)が
セントジェイムズ教会を建設した

現在、ジャーミンストリートの両側には、背広、シャツ、靴や帽子等の紳士用品の店が軒を連ねて、英国の伝統的な通りとして残っている。

リージェントストリート近辺のジャーミンストリート沿いの靴屋

リージェントストリート近辺のジャーミンストリート沿いの洋服屋

アガサ・クリスティーが長編「忘れられぬ死(英題:Sparkling Cyanide、米題:Remembered Death)」(1945年)を発表してるが、この短編「黄色いアイリス」が原型になっている。なお、長編「忘れられぬ死」には、ポワロは登場せず、長編「ひらいたトランプ(Cards on the Table)」(1936年)に登場した情報部員のレイス大佐(Colonel Race)が探偵役を務めている。