ロンドン大学の本部が置かれているセナトハウス(Senate House) |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)は、元軍医局のジョン・H・ワトスン医学博士の回想録で、物語の幕を開ける。物語の冒頭、ワトスンは、「1878年、私はロンドン大学で医学博士号を取得して(In the year 1878 I took my degree of doctor ofmedicine of the University of London, …)」と述べている。
セナトハウス近くに設置されている大学内案内板 |
ワトスンが医学博士号を取得したロンドン大学(University of London)は、ロンドンの中心部ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にあるラッセルスクエア(Russell Square)に本部を置くカレッジ制の大学である。各カレッジがそれぞれ独立した個別の大学となっており、誤解に陥りやすいが、「ロンドン大学」という名前の大学が単体で存在している訳ではなく、カレッジ制の大学の集合体として、「ロンドン大学」が存在しているに過ぎない。
ロンドン大学の構内トーリントンスクエア(Torrington Square)の南側― 奥に見えるのが、セナトハウス |
ロンドン大学は、ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London 以下、UCLー1826年に設立)とキングス・カレッジ・ロンドン(King's College London 以下、KCLー1829年に設立)の2つのカレッジにより、両カレッジの学生に学位を授与する機関として、1836年に設立された。
ロンドン大学の構内トーリントンスクエアの北側― 奥に見えるのが、Church of Christ the King |
「緋色の研究」の中で、ワトスンはロンドン大学で医学博士号を取得したと述べているが、彼はどのカレッジを卒業しているのだろうか?
ワトスンが医学博士号を取得した1878年当時、ロンドン大学に加入していたカレッジは、以下の3校である。
(1)UCL (1836年に加入ー2015年8月16日付ブログで紹介済)
UCL の入口から見た主要校舎ウィルキンスビル(Wilkins Building) |
(2)KCL (1836年に加入)
左側に見える建物が、KCL の校舎― ストランド通りを間に挟んで、 右側には St. Mary-le-Strand Church が建っている |
(3)University of London International Programmes (1858年に加入)
現在、ロンドン大学には合計で約20のカレッジが所属しているが、上記の3校以外は、1900年以降の加入である。
ロンドン大学に所属するカレッジの一つである バークベックカレッジ(Birkbeck College)―1920年に加入 |
トーリントンスクエア側から見たバークベックカレッジの校舎 |
カレッジの性格的には、(3)University of London International Programmes は、その対象から外れると思われる。
残りの(1)UCL と(2)KCL の学部をみる限りでは、個人的には、(1)UCL ではないかと考える。
トーリントンスクエア内に設置されているオブジェ |
ちなみに、(1)UCL は、ロンドン大学の本部が置かれているブルームズベリー地区内にあり、ゴードンスクエア(Gordon Squareー年月日付ブログで紹介済)の北側に位置している。また、2)KCL は、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)とシティー(City)を結ぶストランド通り(Strand)沿いにあり、サマセットハウス(Somerset House)の東側に位置している。
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