2016年8月13日土曜日

ネトリー ネトリー軍病院(Netley Hospital)

ウォーターループレイス(Waterloo Place)内にあるクリミア戦争碑(Crimean War Memorial)―
一番左に見えるのは、フローレンス・ナイチンゲール像。

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)は、元軍医局のジョン・H・ワトスン医学博士の回想録で、物語の幕を開ける。物語の冒頭、ワトスンは、1878年にロンドン大学(University of London)で医学博士号を取得した後、「ネトリー軍病院で軍医になるために必要な研修を受けた。(… and proceeded to Netley to go through the course prescribed for surgeons in the army.)」と述べている。

クリミア戦争碑の台座右側に
「クリミア(Crimea)」の文字が刻まれている。

ワトスンが軍医になるために必要な研修を受けたネトリー軍病院(Netley Hospital)は実在の場所で、英国南部ハンプシャー州(Hampshire)の都市サウザンプトン(Southampton)の近くにあるネトリー(Netley)内にある軍病院である。

クリミア戦争勃発時におけるヨーロッパ大陸の勢力図―
クリミア半島はロシア領(黄色)内にあり、
黒海(Black Sea―画面右中央のやや下辺り)に面している。

英国はフランスと一緒にクリミア戦争(Crimean War:1853年ー1856年)に参戦し、クリミア半島においてロシア軍と戦いを繰り広げたが、戦地の兵舎病院での不衛生さが大きな問題となり、戦争での負傷と言うよりも、兵舎病院における不衛生さが原因で亡くなる兵士が非常に多かった。この事態を重くみたヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)の提言を受け、クリミア戦争に看護婦として従軍したフローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale:1820年ー1910年)とクリミア戦争を終結させた自由党初の首相である第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル(Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston:1784年ー1865年)の助けの下、軍病院開設の気運が高まった。

フローレンス・ナイチンゲール博物館(Florence Nightingale Museum)内に架けられている
フローレンス・ナイチンゲールの写真

ネトリーはサウザンプトン水道(Southampton Water)に面しており、スコットランド出身の軍医、探検家、民俗学者かつ動物学者でもあるサー・アンドリュー・スミス(Sir Andrew Smith:1797年ー1872年)により軍病院設立の場所として選定された。1856年1月に軍病院開設に必要な土地が収用され、同年5月から工事が始まった。そして、1863年3月11日にネトリー軍病院は開院した。
ネトリー軍病院の開院に伴い、1866年3月にネトリーとサウザンプトンの間が鉄道で結ばれ、ヴィクトリア女王からの提言に基づき、1900年4月に鉄道がネトリー軍病院の地まで延長された。更に、1903年には発電所も設置された。

クリミア戦争時に看護活動を行うフローレンス・ナイチンゲール

実際に、ヴィクトリア女王はネトリー軍病院を頻繁に訪問している。特に、夫君であるアルバート公(Albert, Prince Consort:1819年ー1861年)の死後、ヴィクトリア女王はサウザンプトンの沖合いにあるワイト島(Isle of Wight)のオズボーンハウス(Osborne House)に引き蘢っていて、ワイト島からネトリー軍病院まで船で訪れている。

リミア戦争時、英国やフランスと一緒に、
ロシアと戦ったオスマントルコ帝国内で使用されていた
ランタン(手提げランプ)

ネトリー軍病院は、第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年ー1902年)、第一次世界大戦(1914年ー1918年)や第二次世界大戦(1939年ー1945年)で活躍したが、その後、維持費用の関係で、次第に使用されなくなり、1958年に閉鎖された。

古い英国10ポンド紙幣に描かれているフローレンス・ナイチンゲール

そして、1963年に発生した大火事により軍病院の施設の大部分が被害を蒙り、1966年には取り壊されてしまった。現存しているのは、チャペルのみで、現在、跡地はロイヤル ヴィクトリア カントリー パーク(Royal Victoria Country Park)として一般に開放され、チャペルはネトリー軍病院の歴史を今に伝えるビジターセンターとして使用されている。

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