2015年9月6日日曜日

ロンドン ブロンプトン墓地(Brompton Cemetery)

ポワロシリーズ「ヒッコリーロードの殺人」の回で、
著名な政治家サー・アーサー・スタンリーの葬儀の場面が撮影された礼拝堂

アガサ・クリスティー作「ヒッコリーロードの殺人(Hickory, Dickory, Dock)」(1955年)は、有能な秘書フェリシティー・レモン(Miss Felicity Lemon)がタイプした手紙に、エルキュール・ポワロが誤字を3つも見つけるところから始まる。ポワロがミス・レモンに尋ねると、彼女のタイプミスの原因が、彼女の姉で、今はヒッコリーロード26番地(26 Hickory Road)にある学生寮で寮母をしている未亡人のハバード夫人(Mrs. Hubbard)から彼女が相談を受けていたたためであることが判明する。


ミス・レモンによると、姉のハバード夫人が寮母を務めている学生寮では、非常に奇妙なことが連続して発生していたのである。夜会靴、ブレスレット、聴診器、電球、古いフランネルのズボン、チョコレートが入った箱、硼酸の粉末、浴用塩、料理の本やダイヤモンドの指輪(後に、食事中のスープ皿の中から見つかった)等、全く関連性がないものが次々と紛失していた。更に、それに加えて、ズタズタに切り裂かれた絹のスカーフ、切り刻まれたリュックサック、そして、緑のインクで台無しになった学校のノート等が見つかり、盗難行為だけではなく、野蛮かつ不可解な行為も横行していたのだ。

オールドブロンプトンロードに面したブロンプトン墓地の入口

墓地入口に建つ門の壁に掛けられている墓地内案内図

ここのところ、興味を引く事件がなくて退屈気味だったポワロは、これ以上、ミス・レモンのタイプミスが続くことを避けるべく、彼女への手助けを申し出る。ポワロは、まずハバード夫人に自分の事務所に来てもらい、更に詳しい事情を尋ねるとともに、学生寮に現在住んでいる学生達の情報についても、彼女からヒアリングする。ポワロの灰色の脳細胞が、一見平和そうに見える学生寮の内で何か良からぬ企みが秘かに進行していると彼に告げる。そこで、ポワロはハバード夫人と再度話をして、学生寮に住む面々に犯罪捜査にかかる講演を行うという名目で、ヒッコリーロード26番地を訪ねることに決めた。
何ら脈絡がないと思えた盗難事件であったが、学生寮内での恐ろしい連続殺人事件へと発展するのであった。

入口から礼拝堂へ向かって真っ直ぐな中央道が延びている


英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ヒッコリーロードの殺人」(1995年)の回では、物語の最後に、著名な政治家であるサー・アーサー・スタンリー(Sir Arthur Stanley)の葬儀が行われる。葬儀には、ポワロ、ミス・レモン、ハバード夫人やジャップ主任警部等、そして、スタンリー卿の子供で、かつ、一連の事件の犯人も出席する。この葬儀の場面として、プロンプトン墓地(Brompton Cemetery)が撮影に使用されている。


中央道をしばらく進むと、先に礼拝堂がやっと見えてくる

ブロンプトン墓地は、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のウェストブロンプトン地区(West Brompton)内にあり、地下鉄サウスケンジントン駅(South Kensington Tube Station)方面から南西に向かって延びるオールドブロンプトンロード(Old Brompton Road)とフラムロード(Fulham Road)に挟まれた広大な墓地である。上記の2つの通りの間に北西から南東に長方形に広がる16ヘクタールに及ぶ面積を誇り、メインゲートは北側のオールドブロンプトンロードに、もう一つのゲートが南側のフラムロードに面している。オールドブロンプトンロード側のメインゲートからフラムロード寄りに位置している円形の礼拝堂まで真っ直ぐな中央道が延びている。ポワロシリーズの「ヒッコリーロードの殺人」の回では、この礼拝堂の前で、物語の最後の場面が撮影されている。



ブロンプトン墓地は、ケンジントン卿(Lord Kensington)から購入した土地をベースに、ベンジャミン・バウド(Benjamin Baud:1807年ー1875年)によって設計され、1840年にオープンした。ブロンプトン墓地は、当初、「ウェスト・オブ・ロンドン&ウェストミンスター墓地(West of London and Westminster Cemetery)」と呼ばれていた。
ブロンプトン墓地は、ロンドン市内を囲むように設置された7大墓地(Magnificent Seven)の一つで、ロンドン市内にある各教会の狭い墓地だけでは死者の埋葬に対処できなくなったこと、それに加え、市民の健康面への影響等も考慮されて、当時、広大な墓地が次々と設置されたのである。1850年の法改正により、英国政府に墓地用の土地を収用する権限が付与されている。
ブロンプトン墓地は、現在、グレードⅡ(Grade Ⅱ)の指定を受け、保護されている。

サー・アーサー・スタンリーの葬儀場面の撮影は、
礼拝堂前で行われている


実際、ブロンプトン墓地は広大な場所で、内に入ると、ロンドン市内とは思えない程、静謐な空間が広がっている。ブロンプトン墓地の西側には、鉄道の線路を間にして、英国の人気サッカーチーム「チェルシーフットボールクラブ(Chelsea FC)」のホームグラウンドである「スタンフォードブリッジ(Stamford Bridge)」があり、墓地から望むことができる。サッカーの試合が開催される日には、かなりの歓声がここまで届き、死者の安らかな眠りの妨げになっているのかもしれない。

ブロンプトン墓地の向こう側に、
チェルシーフットボールクラブのホームグラウンドである
スタンフォードブリッジが見える

なお、ポワロシリーズの「ヒッコリーロードの殺人」の回で、サー・アーサー・スタンリーを演じたには、デイヴィッド・バーク(David Burke:1934年ー)で、英国グラナダTV制作「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」の第1シリーズと第2シリーズの計13作品において、彼はジョン・ワトスンをとして出演している。シャーロック・ホームズを演じたのは、もちろん、ジェレミー・ブレット(Jeremy Bret:1933年ー1995年)である。



2015年9月5日土曜日

ロンドン セントパンクラス地区(St. Pancras)

カートライトガーデンズ(Cartwright Gardens)を囲む建物群

発表時期で言うと、一番最後のシャーロック・ホームズ物語となるサー・アーサー・コナン・ドイル作「ショスコム オールドプレイス(Shoscombe Old Place)」は、次のようにして始まる。

メーブルドンプレイス(Mabledon Place)に建つ建物

シャーロック・ホームズは、長い間、低倍率顕微鏡の上に身を屈めていた。そして、彼は背筋を伸ばして、勝ち誇ったように私の方に向きなおった。
「ワトスン、これはニカワだ。」と、彼は言った。「間違いなく、これはニカワだ。この視野の中に散らばった物をちょっと見てくれ。」
私は顕微鏡の接眼レンズを覗き、私の目にピントを合わせた。
「これらの毛は、ツィードのコートから抜けた繊維だ。その不揃いな灰色の塊派は塵だ。左の方には、皮膜組織の薄片がある。中央にある茶色の染みは、間違いなく、ニカワだ。」
「まあ」と、私は笑いながら言った。「君の言う通りだということにしよう。ところで、これが一体何に関係しているんだい?」
「これは非常に見事な証明になるのさ。」と、彼は答えた。
「例のセントパンクラスの事件で、殺された警官の側で帽子が発見されたことを君も覚えているだろう。被告人は、その帽子が自分のものではないと言い張っている。しかし、彼は額縁製造を営んでいて、日頃ニカワを扱っているんだ。」
「それは、君が扱っている事件なのかい?」
「いや、スコットランドヤードのメリヴェルが、僕にこの事件を調べてくれと頼んできたのさ。僕が袖口の縫い目の中から見つけた亜鉛と銅の鑢屑から偽金作り犯を突き止めて以来、スコットランドヤードでも、顕微鏡の重要性に気付き始めたんだ。」

大英図書館の入口
大英図書館の全景

Sherlock Holmes had been bending for a long time over low-power microscope. Now he straightened himself up and looked round at me in triumph.
'It is glue, Watson,' said he. 'Unquestionably it is glue. Have a look at these scattered objects in the field!'
I stopped to the eyepiece and focused for my vision.
'Those hairs are threads from a tweed coat. The irregular grey masses are dust. There are epithelial scales on the left. Those brown blobs in the centre are undoubtedly glue.'
'Well,' I said, laughing, 'I am prepared to take your word for it. Does anything depend upon it?'
'It is a very fine demonstration,' he answered. 'in the St Pancras case you may remember that a cap was found beside the dead policeman. The accused man denies that it is his. But he is a picture-frame maker who habitually handles glue.'
'Is it one of your cases?'
'No, my friend, Merivale of the Yard, asked me to look into the case. Since I ran down that coiner by the zinc and copper filings in the seam of his cuff they have begun to realize the importance of the microscope.'

セントパンクラス オールド教会の入口
セントパンクラス オールド教会の全景

セントパンクラス地区(St. Pancras)は、元々、中世の教区として始まり。北はハイゲート地区(Higate)、東は現在のキングスクロス駅(King's Cross Station)の横で南北に延びるヨークウェイ(York Way)、南は現在のオックスフォードストリート(Oxford Street)、そして、西はリージェンツパーク(Regent's Park)までをカバーするかなり広大な一帯であった。
セントパンクラスの地名は、ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝によって処刑され、殉教者となったフリージアの若い貴族の名から採られている。約200年位前まで、この地には鉱泉が湧き、医者がセントパンクラスへ行って湯治するように進めたため、多くの人々を集めていた、とのこと。この鉱泉井戸の後には、現在、英国国鉄ミッドランド管理局の線路が通っている。
セントパンクラス教区は、1900年にセントパンクラス首都区(Metropolitan Borough of St. Pancras)ができるまで続いた。その後、セントパンクラス首都区は他の区と統合され、1965年にロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)が誕生する。その結果、「セントパンクラス」という名前は、駅や一部の建物を除くと、通り名等には残っていない。

セントパンクラス ルネッサンスホテル ロンドンの正面入口
セントパンクラス ルネッサンスホテル ロンドンの全景

セントパンクラス地区は、現在、北側のカムデンタウン(Camden Town)/ プリムローズヒル(Primrose Hill)/ ハムステッド(Hampstead)、東側のイズリントン(Islington)/ フィンズベリー(Finsbury)/ クラーケンウェル(Clerkenwell)、南側のブルームズベリー(Bloomsbury)/ ホルボーン(Holborn)、そして、西側のリージェンツパーク / マリルボーン(Marylebone)に囲まれた場所に位置している。
なお、セントパンクラス地区内には、ホームズ作品に登場した以下の場所が所在している。
(1)大英図書館(British Library)→「マスグレイヴ家の儀式書(The Musgrave Ritual)」で紹介済。
(2)セントパンクラス オールド教会(St. Pancras Old Church)→「花婿失踪事件(A Case of Identity)」で紹介済。
(3)セントパンクラス ルネッサンスホテル ロンドン(St. Pancras Renaissance Hotel London)→同じく、「花婿失踪事件」で紹介済。

2015年8月30日日曜日

ロンドン ブラッシュフィールドストリート42番地 / スピタルフィールズ(42 Brushfield Street / Spitalfields)

ダイヤモンド密輸の共犯者であったジョルジョスが営む店舗の撮影が行われた
ブラッシュフィールドストリート42番地

アガサ・クリスティー作「ヒッコリーロードの殺人(Hickory, Dickory, Dock)」(1955年)は、有能な秘書フェリシティー・レモン(Miss Felicity Lemon)がタイプした手紙に、エルキュール・ポワロが誤字を3つも見つけるところから始まる。ポワロがミス・レモンに尋ねると、彼女のタイプミスの原因が、彼女の姉で、今はヒッコリーロード26番地(26 Hickory Road)にある学生寮で寮母をしている未亡人のハバード夫人(Mrs. Hubbard)から彼女が相談を受けていたたためであることが判明する。


ミス・レモンによると、姉のハバード夫人が寮母を務めている学生寮では、非常に奇妙なことが連続して発生していたのである。夜会靴、ブレスレット、聴診器、電球、古いフランネルのズボン、チョコレートが入った箱、硼酸の粉末、浴用塩、料理の本やダイヤモンドの指輪(後に、食事中のスープ皿の中から見つかった)等、全く関連性がないものが次々と紛失していた。更に、それに加えて、ズタズタに切り裂かれた絹のスカーフ、切り刻まれたリュックサック、そして、緑のインクで台無しになった学校のノート等が見つかり、盗難行為だけではなく、野蛮かつ不可解な行為も横行していたのだ。

ブラッシュフィールドストリートを西側から東方面に望む
ブラッシュフィールドストリートの東側の突き当たりにある
クライスト教会スピタルフィールズ
(Christ Church Spitalfields)

ここのところ、興味を引く事件がなくて退屈気味だったポワロは、これ以上、ミス・レモンのタイプミスが続くことを避けるべく、彼女への手助けを申し出る。ポワロは、まずハバード夫人に自分の事務所に来てもらい、更に詳しい事情を尋ねるとともに、学生寮に現在住んでいる学生達の情報についても、彼女からヒアリングする。ポワロの灰色の脳細胞が、一見平和そうに見える学生寮の内で何か良からぬ企みが秘かに進行していると彼に告げる。そこで、ポワロはハバード夫人と再度話をして、学生寮に住む面々に犯罪捜査にかかる講演を行うという名目で、ヒッコリーロード26番地を訪ねることに決めた。
何ら脈絡がないと思えた盗難事件であったが、学生寮内での恐ろしい連続殺人事件へと発展するのであった。

西側から見たブラッシュフィールドストリート42番地

英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ヒッコリーロードの殺人」(1995年)の回では、ポワロやスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)とは別個に、ダイヤモンド密輸の内偵を行っていた英国税関の捜査員達が、物語の終盤、密輸に関与していた共犯者を逮捕する。この逮捕劇の撮影が行われたのが、スピタルフィールズ(Spitalfields)にあるブラッシュフィールドストリート(Brushfield Street)である。
ヒッコリーロード26番地にある学生寮の経営者であるクリスティーナ・二コレティス(Mrs Christina Nicoletis)がダイヤモンド密輸犯の首謀者の一人で、ブラッシュフィールドストリート42番地(42 Brushfield Street)で店舗を営んでいるジョルジョス(Giorgios)が彼女の共犯者だった。

現在改装中のロンドン果物/羊毛取引所
(London Fruit and Wool Exchange)

ブラッシュフィールドストリート沿いに設置されているオブジェ
「洋梨とイチジク(A Pear and A Fig)」

ブラッシュフィールドストリートは、英国経済活動の中心地であるロンドン・シティー(City)の北東にあるロンドン・タワーハムレッツ区(London Borough of Tower Hamlets)のショーディッチ地区(Shoreditch)内にある通りで、東側は地下鉄オルドゲイトイースト駅(Aldgate East Tube Station)から北北西へ延びるコマーシャルストリート(Commercial Street)から始まり、西側はリヴァプールストリート駅(Liverpool Street Station)の前を走るビショップスゲイト通り(Bishopsgate)に突き当たって終わる。

再開発後のビッショプススクエア

ビッショプススクエア内に設置されているオブジェ

ブラッシュフィールドストリートは、17世紀後半、スピタルフィールズマーケット(Spitalfields Market)の南側に既に存在していたが、当時まだ固有の名前はついていなかった。また、通りは、当時、東側の半分近くだけが存在していた。
その後、18世紀に入ると、リトルパタノスター(Little Paternoster)、そして、パタノスターロウ(Paternoster Row)と呼ばれるようになる。18世紀後半には、通りは西側へと延びて、ビショップスゲイト通りまで達したが、西側の半分はユニオンストリート(Union Street)と呼ばれていた。
それから1世紀近くが経過した1870年2月25日に、診療所の評議員で、かつ教区の代表者でもあったトマス・ブラッシュフィールド(Thomas Brushfield)にちなんで、ブラッシュフィールドストリートへと名前が反抗され、現在に至っている。
通り沿いの建物の多くは1920年代に改装されたが、18世紀に建てられた建物のいくつかは現在も残っており、レストランやカフェとして使用されている。また、通りの北側にあるスピタルフィールズマーケットの跡地は、1990年代に取り壊され、2001年から2005年にかけて、オフィスや小売店舗等が入居する建物として再開発され、現在は、「ビショップススクエア(Bishops Square)」と呼ばれている。

東側から見たブラッシュフィールドストリート42番地

なお、ジョルジョスが営んでいた店舗の舞台となったブラッシュフィールドストリート42番地には、現在、食料品の小売店鋪が入居している。ただ、建物の外壁には、当時の名残で、「42 - A. Gold. French Milliner(女性用帽子製造販売業者)- 42」という看板が残っている。

2015年8月29日土曜日

ロンドン コヴェントガーデン / ロイヤルオペラハウス(Covent Garden / Royal Opera House)

ボウストリート(Bow Street)の南側から見たロイヤルオペラハウス

サー・アーサー・コナン・ドイル作「赤い輪(The Red Circle)」では、大英博物館(British Museum)の近くで下宿屋を営むウォーレン夫人(Mrs Warren)がベイカーストリート221B(221B Baker Streetミノリーズ)のシャーロック・ホームズの元を訪れ、自分の家に不審な下宿人が居ると相談する。ウォーレン夫人によると、「(1)下宿の表玄関の鍵を一つ渡すことと(2)部屋の中へ絶対に立ち入らないことの二つの条件をのめば、週5ポンドの下宿代を支払う。」と交渉した男が、その後、10日間一度も外へ出ないで、一日中部屋の中を歩き回っている、とのことだった。また、その男との最初の取り決めでは、(3)ベルを鳴らした後、食事を部屋のドアの外にある椅子の上に置くこと、そして、(4)何か必要なものがある場合には、紙切れに活字体で書いて置いておくので、その指示に従うことになっていた。

オーケストラストール席(Orchestra Stalls)から見た
開演前の舞台正面

ウォーレン夫人の話に興味を覚えたホームズは、新聞の私事広告欄に謎の下宿人宛と思われる秘密のメッセージを発見する。ホームズとジョン・ワトスンがウォーレン夫人の下宿屋近辺を調査に行こうと話をしていると、ウォーレン夫人が猛烈な勢いで彼らの部屋に飛び込んで来る。大騒ぎするウォーレン夫人の話では、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)のモートン&ウェイライト商会(Morton and Waylight's)で働くウォーレン氏(Mr Warren)が今朝出勤のために出かけた際、家の前で謎の男2人に襲撃されて、辻馬車の中に押し込まれ、1時間もの間連れ回された挙げ句、ハムステッドヒース(Hampstead Heath)で放り出された、とのことだった。ウォーレン夫人の説明を受けたホームズとワトスンは、謎の下宿人を調べるため、早速ウォーレン夫人の下宿屋へと向かったところ、そこでスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)とピンカートン・アメリカ探偵社(Pinkerton's American agency)のレヴァートン氏(Mr Leverton)に出会う。レヴァートン氏は、ナポリの結社「赤輪党(Red Circle)」のジュセッペ・ゴルジアーノ(Giuseppe Gorgiano)をニューヨークから追って来ており、グレッグスン警部と協力して、この一週間彼を逮捕できる口実ができるのを待っていたのである。

ボウストリートを挟んで、
ロイヤルオペラハウスの反対側にある広場に設置されている
バレリーナ像(その1)

ウォーレン夫人の下宿屋に隠れていたのは、エミリア・ルッカ(Emilia Lucca)で、下宿を借りた日に彼女の夫であるジェンナロ・ルッカ(Gennaro Lucca)と入れ替わっていたのだった。若気の至りで、「赤輪党」に加入していたジェンナロであったが、組織を裏切って、妻エミリアと一緒にニューヨークからロンドンに逃げて来たが、ゴルジアーノ一味も彼らを追ってロンドンまでやって来たのである。
事件が解決した後、グレッグスン警部はホームズに次のように話しかけた

ロイヤルオペラハウス前のボウストリートは狭く、
上演の開始/終了時間前後は、
タクシーやハイヤー等の車で非常に渋滞する

「しかし、ホームズさん、私は皆目見当がつかないんですが、一体全体どうやって、あなたはこの事件に関わられるようになったのですか?」
「グレッグスン君、勉強だ。勉強のためさ。古い大学でいまだに知識を求めているんだ。さあ、ワトスン、悲劇的でかつ恐ろしい事件がもう一つ君のコレクションに加わった訳だ。まだ(午後)8時になっていない。今夜はコヴェントガーデンでワグナーをやっている。急げば、第二幕に間に合うかもしれないな。」

オーケストラストール席から見た観客席の天井

'But what I can't make head or tail of, Mr Holmes, is how on earth you got yourself mixed up in the matter.'
'Education, Gregson, education. Still seeking knowledge at the old university. Well, Watson, you have one more specimen of the tragic and grotesque to add to your collection. By the way, it is not eight o'clock, and a Wagner night at Covent Garden! If we hurry, we might be in time for the second act.'

バレリーナ像(その2)

ホームズが言う「コヴェントガーデン(Covent Garden)」とは、「ロイヤルオペラハウス(Royal Opera House)」の通称のことで、ロンドンのコヴェントガーデンにある歌劇場である。「コヴェントガーデン」の他に、「ROH」と略記される場合もある。現在、ロイヤルオペラ(The Royal Opera)、ロイヤルバレエ団(The Royal Ballet)およびロイヤルオペラハウスオーケストラ(The Orchestra of the Royal Opera House)がロイヤルオペラハウスを本拠地として使用している。

オーケストラストール席から見た観客席の側面

ロイヤルオペラハウスの起源は、1660年に英国王チャールズ2世(Charles Ⅱ:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)がサー・ウィリアム・ダヴェナント(Sir William Davenant:1606年ー1668年)に認可した特許状まで遡る。この特許状により、当時一つの劇団しか存在していなかったロンドンにおいて、サー・ダヴェナントは新しい劇団を創設することができたのである。

ガラス張りが目立つフローラルホール正面

現在のロイヤルオペラハウスの建物は3代目に該り、次のような変遷を経て、現在に至っている。

<1代目歌劇場>
1728年に俳優兼マネージャーだったジョン・リッチ(John Rich)が劇作家ジョン・ゲイ(John Gay)作「乞食オペラ(The Begger's Opera)」の上演成功で得た資金を元手に、建築家エドワード・シェファード(Edward Shepherd:?ー1747年)の設計でシアターロイヤル(Theatre Royal)が建設され、1732年12月7日に第1回公演が行われた。しかし、1808年9月20日に発生した火事により、ロイヤルシアターは焼失の憂き目に会ったのである。

入口横に展示されている舞台衣装

<2代目歌劇場>
上記後、建築家ロバート・スマーク(Robert Smirke:1780年ー1867年)の設計により、1808年12月に歌劇場の再建が開始し、1809年9月18日に第1回公演が行われている。その後、観客席の改装が実施されて、「ロイヤルイタリアンオペラ(Royal Italian Opera)」と改称した歌劇場は1848年4月6日に上演を再開したが、1856年3月5日に再度火事に見舞われてしまう。

ロビーの壁

<3代目歌劇場>
1857年に建築家エドワード・ミドルトン・バリー(Edward Middleton Barry:1830年ー1880年)の設計に基づき、歌劇場の再建が始まり、1858年5月15日に上演を再開した。そして、1892年に名称を「ロイヤルオペラハウス」へと変更している。
第一次世界大戦(World War Ⅰ:1914年ー1918年)中は建設省(Ministry of Works)に接収されて、家具の保管場所として使用されたり、また、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中はダンスホールとして利用されることはあったが、1946年2月20日に上演再開に至っている。

1960年代に小規模な改装は実施されていたが、根本的な大改装が必要となり、必要な資金の目処がついた1995年の翌年の1996年から2000年までの4年間に、ジェレミー・ディクソン(Jeremy Dixon:1939年ー)とエドワード・ジョーンズ(Edward Jones:1939年ー)の設計に基づき、大規模な改装工事が行われた。大改装後のロイヤルオペラハウスには、リハーサル用設備、オフィスや教育用施設等が新設された他に、地下には「リンブリーシアター(Linbury Theatre)」と呼ばれる小型の劇場が追加された。また、歌劇場に隣接するマーケットも建物の一部として取り込まれ、当時の名前にちなんで「フローラルホール(Floral Hall)」と呼ばれている。その結果、ロイヤルオペラハウスは、ヨーロッパにおいて最も近代的な設備を有する歌劇場と評価されているのである。

2015年8月23日日曜日

ロンドン モーゲイト通り85番地(85 Moorgate)

ジョン・キーツが生まれたモーゲイト通り85番地に建つ
パブ「キーツ・アット・ザ・グローヴ」

アガサ・クリスティー作「ヒッコリーロードの殺人(Hickory, Dickory, Dock)」(1955年)は、有能な秘書フェリシティー・レモン(Miss Felicity Lemon)がタイプした手紙に、エルキュール・ポワロが誤字を3つも見つけるところから始まる。ポワロがミス・レモンに尋ねると、彼女のタイプミスの原因が、彼女の姉で、今はヒッコリーロード26番地(26 Hickory Road)にある学生寮で寮母をしている未亡人のハバード夫人(Mrs. Hubbard)から彼女が相談を受けていたたためであることが判明する。

パブ「キーツ・アット・ザ・グローヴ」の入口に設置されている看板

ミス・レモンによると、姉のハバード夫人が寮母を務めている学生寮では、非常に奇妙なことが連続して発生していたのである。夜会靴、ブレスレット、聴診器、電球、古いフランネルのズボン、チョコレートが入った箱、硼酸の粉末、浴用塩、料理の本やダイヤモンドの指輪(後に、食事中のスープ皿の中から見つかった)等、全く関連性がないものが次々と紛失していた。更に、それに加えて、ズタズタに切り裂かれた絹のスカーフ、切り刻まれたリュックサック、そして、緑のインクで台無しになった学校のノート等が見つかり、盗難行為だけではなく、野蛮かつ不可解な行為も横行していたのだ。

ロンドンの東西にある鉄道網を
ロンドンの地下で結ぶクロスレールプロジェクト(Crossrail Project)工事が、
パブの右側で進行中である

ここのところ、興味を引く事件がなくて退屈気味だったポワロは、これ以上、ミス・レモンのタイプミスが続くことを避けるべく、彼女への手助けを申し出る。ポワロは、まずハバード夫人に自分の事務所に来てもらい、更に詳しい事情を尋ねるとともに、学生寮に現在住んでいる学生達の情報についても、彼女からヒアリングする。ポワロの灰色の脳細胞が、一見平和そうに見える学生寮の内で何か良からぬ企みが秘かに進行していると彼に告げる。そこで、ポワロはハバード夫人と再度話をして、学生寮に住む面々に犯罪捜査にかかる講演を行うという名目で、ヒッコリーロード26番地を訪ねることに決めた。
何ら脈絡がないと思えた盗難事件であったが、学生寮内での恐ろしい連続殺人事件へと発展するのであった。

モーゲイト通り83番地に建つパブ「ザ・グローヴ」

英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「ヒッコリーロードの殺人」(1995年)の回では、ポワロがヒッコリーロード26番地の学生寮で講演を行った後、心理学を専攻するコリン・マックナブ(Colin McNabb)に付き添われて、化学を専攻するシーリア・オースティン(Celia Austin)がポワロの元を訪ねる。シーリアは、「学生寮内でいろいろなものが紛失しているが、それは自分が盗った。」と、ポワロに告白する。ただし、彼女は、「電球は盗っていないし、リュックサックを切り裂いてもいない。」と主張する。それでは、学生寮には、もう一人別の不届き者が居るのだろうか?そんな最中、シーリアがモルフィネの過剰摂取により死亡しているのが発見されるのであった。
シーリアの自殺説に疑問を持つポワロは、学生寮に住む学生達に彼女のことを聞いて回る。英文学を専攻するサリー・フィンチ(Sally Finch)を訪問したポワロは、キーツの詩と見せかけて、シェリーの詩を彼女に暗唱して聞かせるが、彼女はキーツとシェリーの違いが判らず、アガサ・クリスティーの原作には書かれていないサリー・フィンチの素性と目的が明らかになるのであった。

モーゲイト通り85番地の建物外壁に掛けられている
「ジョン・キーツがここで生まれた」ことを示すプレート

ジョン・キーツ(John Keats:1795年ー1821年)は英国ロマン派の詩人で、ロンドンの金融街シティー(City)内のモーゲイト(Moorgate)に馬丁の長男として出生した。
キーツが生まれた場所は、現在の住所表記上、「モーゲイト通り85番地(85 Moorgate)」に該り、現在、「キーツ・アット・ザ・グローヴ(Keats at the Globe)」という名のパブが営業している。非常に珍しいケースであるが、左隣りの「モーゲイト通り83番地(83 Moorgate)」にも、「ザ・グローヴ(The Globe)」というパブが並んでいる。モーゲイト85番地のパブは、以前、「ジョン・キーツ・アット・ザ・モーゲイト(John Keats at the Moorgate)」という名前で営業していたが、その後、現在の名前に変更している。
前のモーゲイト通り(Moorgate)を通ってもなかなか気付き難いが、日本の2階と3階の間の外壁の真ん中に、ジョン・キーツがここで生まれたことを示すプレートが掛けられている。
なお、モーゲイト通り85番地にあるパブについては、ポワロシリーズには出てこないので、念の為。

地下鉄モーゲイト駅(Moorgate Tube Station)の構内の壁装飾

ちなみに、キーツの詩だと言って、ポワロがサリー・フィンチに暗唱してみせた詩の作者であるパーシー・ビッシェ・シェリー(Percy Bysshe Shelley:1792年ー1822年)は、ジョン・キーツと同じ英国ロマン派の詩人で、彼とは友人関係にあった。

また、シェリーの2番目の妻であるメアリー・ウルストンクラフト・シェリー(Mary Wollstonecraft Shelley:1797年ー1851年)は、ゴシック小説「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(Frankenstein; or the Modern Prometheus.)」(1818年)の作者として非常に有名である。