2015年8月29日土曜日

ロンドン コヴェントガーデン / ロイヤルオペラハウス(Covent Garden / Royal Opera House)

ボウストリート(Bow Street)の南側から見たロイヤルオペラハウス

サー・アーサー・コナン・ドイル作「赤い輪(The Red Circle)」では、大英博物館(British Museum)の近くで下宿屋を営むウォーレン夫人(Mrs Warren)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れ、自分の家に不審な下宿人が居ると相談する。ウォーレン夫人によると、「(1)下宿の表玄関の鍵を一つ渡すことと(2)部屋の中へ絶対に立ち入らないことの二つの条件をのめば、週5ポンドの下宿代を支払う。」と交渉した男が、その後、10日間一度も外へ出ないで、一日中部屋の中を歩き回っている、とのことだった。また、その男との最初の取り決めでは、(3)ベルを鳴らした後、食事を部屋のドアの外にある椅子の上に置くこと、そして、(4)何か必要なものがある場合には、紙切れに活字体で書いて置いておくので、その指示に従うことになっていた。

オーケストラストール席(Orchestra Stalls)から見た
開演前の舞台正面

ウォーレン夫人の話に興味を覚えたホームズは、新聞の私事広告欄に謎の下宿人宛と思われる秘密のメッセージを発見する。ホームズとジョン・ワトスンがウォーレン夫人の下宿屋近辺を調査に行こうと話をしていると、ウォーレン夫人が猛烈な勢いで彼らの部屋に飛び込んで来る。大騒ぎするウォーレン夫人の話では、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)のモートン&ウェイライト商会(Morton and Waylight's)で働くウォーレン氏(Mr Warren)が今朝出勤のために出かけた際、家の前で謎の男2人に襲撃されて、辻馬車の中に押し込まれ、1時間もの間連れ回された挙げ句、ハムステッドヒース(Hampstead Heath)で放り出された、とのことだった。ウォーレン夫人の説明を受けたホームズとワトスンは、謎の下宿人を調べるため、早速ウォーレン夫人の下宿屋へと向かったところ、そこでスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)とピンカートン・アメリカ探偵社(Pinkerton's American agency)のレヴァートン氏(Mr Leverton)に出会う。レヴァートン氏は、ナポリの結社「赤輪党(Red Circle)」のジュセッペ・ゴルジアーノ(Giuseppe Gorgiano)をニューヨークから追って来ており、グレッグスン警部と協力して、この一週間彼を逮捕できる口実ができるのを待っていたのである。

ボウストリートを挟んで、
ロイヤルオペラハウスの反対側にある広場に設置されている
バレリーナ像(その1)

ウォーレン夫人の下宿屋に隠れていたのは、エミリア・ルッカ(Emilia Lucca)で、下宿を借りた日に彼女の夫であるジェンナロ・ルッカ(Gennaro Lucca)と入れ替わっていたのだった。若気の至りで、「赤輪党」に加入していたジェンナロであったが、組織を裏切って、妻エミリアと一緒にニューヨークからロンドンに逃げて来たが、ゴルジアーノ一味も彼らを追ってロンドンまでやって来たのである。
事件が解決した後、グレッグスン警部はホームズに次のように話しかけた。

ロイヤルオペラハウス前のボウストリートは狭く、
上演の開始/終了時間前後は、
タクシーやハイヤー等の車で非常に渋滞する

「しかし、ホームズさん、私は皆目見当がつかないんですが、一体全体どうやって、あなたはこの事件に関わられるようになったのですか?」
「グレッグスン君、勉強だ。勉強のためさ。古い大学でいまだに知識を求めているんだ。さあ、ワトスン、悲劇的でかつ恐ろしい事件がもう一つ君のコレクションに加わった訳だ。まだ(午後)8時になっていない。今夜はコヴェントガーデンでワグナーをやっている。急げば、第二幕に間に合うかもしれないな。」

オーケストラストール席から見た観客席の天井

'But what I can't make head or tail of, Mr Holmes, is how on earth you got yourself mixed up in the matter.'
'Education, Gregson, education. Still seeking knowledge at the old university. Well, Watson, you have one more specimen of the tragic and grotesque to add to your collection. By the way, it is not eight o'clock, and a Wagner night at Covent Garden! If we hurry, we might be in time for the second act.'

バレリーナ像(その2)

ホームズが言う「コヴェントガーデン(Covent Garden)」とは、「ロイヤルオペラハウス(Royal Opera House)」の通称のことで、ロンドンのコヴェントガーデンにある歌劇場である。「コヴェントガーデン」の他に、「ROH」と略記される場合もある。現在、ロイヤルオペラ(The Royal Opera)、ロイヤルバレエ団(The Royal Ballet)およびロイヤルオペラハウスオーケストラ(The Orchestra of the Royal Opera House)がロイヤルオペラハウスを本拠地として使用している。

オーケストラストール席から見た観客席の側面

ロイヤルオペラハウスの起源は、1660年に英国王チャールズ2世(Charles Ⅱ:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)がサー・ウィリアム・ダヴェナント(Sir William Davenant:1606年ー1668年)に認可した特許状まで遡る。この特許状により、当時一つの劇団しか存在していなかったロンドンにおいて、サー・ダヴェナントは新しい劇団を創設することができたのである。

ガラス張りが目立つフローラルホール正面

現在のロイヤルオペラハウスの建物は3代目に該り、次のような変遷を経て、現在に至っている。

<1代目歌劇場>
1728年に俳優兼マネージャーだったジョン・リッチ(John Rich)が劇作家ジョン・ゲイ(John Gay)作「乞食オペラ(The Begger's Opera)」の上演成功で得た資金を元手に、建築家エドワード・シェファード(Edward Shepherd:?ー1747年)の設計でシアターロイヤル(Theatre Royal)が建設され、1732年12月7日に第1回公演が行われた。しかし、1808年9月20日に発生した火事により、ロイヤルシアターは焼失の憂き目に会ったのである。

入口横に展示されている舞台衣装

<2代目歌劇場>
上記後、建築家ロバート・スマーク(Robert Smirke:1780年ー1867年)の設計により、1808年12月に歌劇場の再建が開始し、1809年9月18日に第1回公演が行われている。その後、観客席の改装が実施されて、「ロイヤルイタリアンオペラ(Royal Italian Opera)」と改称した歌劇場は1848年4月6日に上演を再開したが、1856年3月5日に再度火事に見舞われてしまう。

ロビーの壁

<3代目歌劇場>
1857年に建築家エドワード・ミドルトン・バリー(Edward Middleton Barry:1830年ー1880年)の設計に基づき、歌劇場の再建が始まり、1858年5月15日に上演を再開した。そして、1892年に名称を「ロイヤルオペラハウス」へと変更している。
第一次世界大戦(World War Ⅰ:1914年ー1918年)中は建設省(Ministry of Works)に接収されて、家具の保管場所として使用されたり、また、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中はダンスホールとして利用されることはあったが、1946年2月20日に上演再開に至っている。

1960年代に小規模な改装は実施されていたが、根本的な大改装が必要となり、必要な資金の目処がついた1995年の翌年の1996年から2000年までの4年間に、ジェレミー・ディクソン(Jeremy Dixon:1939年ー)とエドワード・ジョーンズ(Edward Jones:1939年ー)の設計に基づき、大規模な改装工事が行われた。大改装後のロイヤルオペラハウスには、リハーサル用設備、オフィスや教育用施設等が新設された他に、地下には「リンブリーシアター(Linbury Theatre)」と呼ばれる小型の劇場が追加された。また、歌劇場に隣接するマーケットも建物の一部として取り込まれ、当時の名前にちなんで「フローラルホール(Floral Hall)」と呼ばれている。その結果、ロイヤルオペラハウスは、ヨーロッパにおいて最も近代的な設備を有する歌劇場と評価されているのである。

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