2015年8月8日土曜日

ロンドン アデルフィ劇場(Adelphi Theatre)ーその2

ストランド通りに面した劇場の表側

サー・アーサー・コナン・ドイルが、自作「ロドニー・ストーン(Rodney Stone)」を戯曲化した「テンパリーの館(The House of Temperley)」や戯曲版「まだらの紐(The Speckled Band)」の上演を行ったアデルフィ劇場(Adelphi Theatre)は、ロンドンの中心部ストランド地区(Strand)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からシティー(City)へ向かって東に延びるストランド通り(Strand)沿いに建っている。現在の建物は4代目に該る。


建物外壁では、次の演目の準備が進行中

<初代>
1806年に商人のジョン・スコット(John Scott)と彼の娘であるジェーン・スコット(Jane Scott:1770年ー1839年)によって設立された。ジェーン・スコットは劇場の支配人、舞台女優かつ脚本家でもあった。劇場名として、フランス語で「比類ない」を意味する「ソン・パレイユ(Sans Pareil)」が採用された。興行ライセンスを取得した後、ジェーン・スコットは50以上の演目を上演し、1819年に引退した。
彼女の引退後、ストランド通りを間にして反対側に建つアデルフィビル(Adelphi Buildings)の名を冠して、1819年10月18日に「アデルフィ劇場(Adelphi Theatre)」として再スタートした。



メイデンレーンに面した劇場の裏側

<2代目>
初代の建物が取り壊された後、新劇場が建設され、1858年12月26日に「新アデルフィ劇場(New Adelphi Theatre)」がオープンする。新劇場は1,500人を収容できる座席に加えて、500人を収容する立見席を備えていた。そして、1879年と1887年に改修工事が行われ、劇場の規模が拡大された。
1897年12月16日、劇場に当時出演していた俳優ウィリアム・テリス(William Terriss)が劇場への通用口(ステージドア)で刺し殺される事件があり、その後、犯人は逮捕されたが、それ以降、彼の幽霊が劇場内に出没すると言われている。


劇場への通用口
通用口の左側の外壁に架けられているプレート

<3代目>
1901年9月11日に3代目の劇場として「センチュリー劇場(Century Theatre)」がオープンする。


右側がエクスチェンジコート(Exchange Court)で、
左側がメイデンレーン

<4代目>
1930年12月3日に4代目劇場としてアールデコ様式の「ロイヤルアデルフィ劇場(Royal Adelphi Theatre)」がオープンする。1940年に劇場名は以前使用されていた「アデルフィ劇場」に戻された。
1993年に、「キャッツ(Cats)」や「オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)」等で有名なアンドルー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Weber:1948年ー)が所有するリアリー・ユースフル・グループ(Really Useful Group)が劇場を買い取り、大改修を実施し、現在に至っている。劇場は、今のところ、上記のりアリー・ユースフル・グループとネーデルランダー・インターナショナル(Nederlander International)がパートナーシップを組んだアデルフィ劇場会社(Adelphi Theatre Company Limited)が所有し、運営している。


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