2015年8月15日土曜日

ロンドン トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)

トッテナムコートロードの南側を望む

サー・アーサー・コナン・ドイル作「赤い輪(The Red Circle)」では、大英博物館(British Museum)の近くで下宿屋を営むウォーレン夫人(Mrs Warren)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れ、自分の家に不審な下宿人が居ると相談する。ウォーレン夫人によると、「(1)下宿の表玄関の鍵を一つ渡すことと(2)部屋の中へ絶対に立ち入らないことの二つの条件をのめば、週5ポンドの下宿代を支払う。」と交渉した男が、その後、10日間一度も外へ出ないで、一日中部屋の中を歩き回っている、とのことだった。また、その男との最初の取り決めでは、(3)ベルを鳴らした後、食事を部屋のドアの外にある椅子の上に置くこと、そして、(4)何か必要なものがある場合には、紙切れに活字体で書いて置いておくので、その指示に従うことになっていた。ウォーレン夫人の話に興味を覚えたホームズは、新聞の私事広告欄に謎の下宿人宛と思われる秘密のメッセージを発見する。ホームズとジョン・ワトスンがウォーレン夫人の下宿屋近辺を調査に行こうと話をしていると、ウォーレン夫人が猛烈な勢いで彼らの部屋に飛び込んで来る。そして、ウォーレン夫人は「うちの主人がひどい目に遭った。」と大騒ぎする。


「御主人がひどい目に遭ったですって?」
「とにかく、うちの主人が手荒に扱われたんですよ。」
「しかし、誰がそんなことをしたのですか?」
「ああ!私の方が知りたいですよ!ホームズさん、ちょうど今朝のことです。主人はトッテナムコートロードのモートン&ウェイライト商会で作業時間記録係をしています。主人は午前7時前に家を出なければなりません。今朝、主人が家を出て10歩も行かないうちに、2人の男が主人の後ろから近づいて来て、主人の頭の上からコートを被せ、縁石沿いに駐めてあった辻馬車の内に主人を放り込んだんです。彼らは主人を辻馬車で1時間連れ回した挙げ句、馬車の扉を開いて、主人を外に放り出しました。主人は気持ちが動転したまま車道に横たわっていたので、辻馬車が主人を放り出した後、どこへ行ったのか、全く見ていませんでした。主人はなんとか立ち上がった際、自分がハムステッドヒースに居ることが判りました。その後、主人は乗合馬車に乗って家まで戻って来て、今は家のソファで横になって休んでいます。その間に私はホームズさんに何が起こったのかをお知らせするために、一目散にここへ来たんです。」
「非常に興味深いですね。」と、ホームズは言った。

トッテナムコートロードと
チェニーズストリート(Chenies Street)が
交差する角に建つ建物

'Knocking Mr Warren about?'
'Using him roughly, anyway.'
'But who used him roughly?'
'Ah! that's what we want to know! It was this morning, sir. Mr Warren is a timekeeper at Morton and Waylight's, in Tottenham Court Road. He has to be out of the house before seven. Well, this morning he had not gone ten paces down the road when two men came up behind him, threw a coat over his head, and bundled him into a cab that was beside the kern, They drove him an hour, and then opened the door and shot him out. He lay in the roadway so shaken in his wits that he never saw what became of the cab. When he picked himself up he found he was on Hampstead Heath; so he took a bus home, and there he lies now on his sofa, while I came straight round to tell you what had happened.'
'Most interesting,' said Holmes.

トッテナムコートロードの北側を望む

ウォーレン氏が働いていたモートン&ウェイライト商会(Morton and Waylight's)があったトッテナムコートロード(Tottenham Court Road)は、ロンドンのブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にある。南側は、東西に走るオックスフォードストリート(Oxford Street)と南北に延びるチャリングクロスロード(Charing Cross Road)が交差するところから始まり、北側は東西に走るユーストンロード(Euston Road)で終わる通りで、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)とロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)の境界付近にある。現状、南側から北側へ向かう一方通行の通りとなっている。

トッテナムコートロードと
トッテナムストリート(Tottetnhame Street)が交差する角にある広場

トッテナムコートロードの南側には、地下鉄トッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)があり、セントラルライン(Central Line)、ピカデリーライン(Piccadilly Line)とノーザンライン(Northern Line)が乗り入れている。また、トッテナムコートロードの北側には、地下鉄ウォーレン駅(Warren Tube Station)があり、ノーザンラインとヴィクトリアライン(Victoria Line)が通っている。

上記の広場に建つ建物の側面に描かれている壁画

この一帯は、英国を征服してノルマン王朝を開いたノルマンディー公ウィリアムことウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年)が1086年に作成させた土地台帳(Domesday Book)上に既に登場し、セントポール大聖堂の所有となっていた。
その後、13世紀にトッテナムコートロードとユーストンロードが交差する北西の角にマナーハウスが建てられると、この一帯は、当時の貴族の名前に因んで、次第にトッテン(Totten)、トッタム(Totham)、あるいは、トッティングホール(Totting Hall)と呼ばれるようになる。そして、この一帯がエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年ー1603年)に対して99年間(所謂、無期限)で貸し出される頃には、トッテナムコート(Tottenham Court)とい名前が一般に定着した、とのこと。

ヒールズやハビタが現在入居している建物

トッテナムコートロード、特に通りの南側には、以前、電化製品を販売する店舗が集中していることで有名だったが、現在、それ以外の業種の店舗がかなり進出してきて、電化製品店が占める比率は低くなっている。通り沿いの賃借料の高騰もその原因の一つかと思われる。
一方で、トッテナムコートロードの北側には、ヒールズ(Heals)やハビタ(Habitat)を初めとする家具関係を販売する大型店舗が軒を連ねている。

個人的には、特にトッテナムコートロードの南側は、日中でもやや暗いイメージが付きまとっていたが、今は通りの様子や雰囲気も良くなってきているように感じる。

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