2015年8月1日土曜日

ロンドン アデルフィ劇場(Adelphi Theatre)ーその1

ストランド通り(Strand)越しに望むアデルフィ劇場

1909年12月、サー・アーサー・コナン・ドイルは自作「ロドニー・ストーン(Rodney Stone)」を戯曲化し、「テンパリーの館(The House of Temperley)」と銘打って、ストランド地区(Strand)のアデルフィ劇場(Adelphi Theatre)で上演した。この興行にかかる経済的なリスクは高く、また、融資を受けることもできなかったため、コナン・ドイルは劇場を半年間賃借した上での上演であった。ところが、この興行は大失敗に終わる。興行を行えば行う程、赤字額が大きく膨らむのであった。
更に、間が悪いことに、英国王エドワード7世(Edward Ⅶ:1841年ー1910年 在位期間:1901年-1910年)が1910年5月6日に死去したのを受けて、ウェストエンドの劇場はどこの興行を中止して、喪に服した。コナン・ドイルは劇場を喜劇ミュージカルに転貸するというオファーを受けたが、これを拒否。彼としては、これ以上の赤字を防ぐために、何らかの思い切った打開策をくり出す必要に迫られていたのである。

アデルフィ劇場に隣接していたアデルフィ劇場レストラン
(Adelphi Theatre Restaurant)を示すプレート

コナン・ドイルは、米国人俳優のウィリアム・ジレット(William Gillette:1853年ー1937年)脚本・主演の戯曲「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」が成功をおさめていることに着目する。困窮の中、コナン・ドイルはあるホームズ作品を記録的な早さで戯曲化した。その作品が戯曲版「まだらの紐(The Speckled Band)」であった。この「まだらの紐」は、コナン・ドイルにとって3つ目の戯曲で、ホームズものとしては、2作目に該っている。
コナン・ドイルの息子であるエイドリアン・マルコム・コナン・ドイル(Adrian Malcom Conan Doyle:1910年-1970年)によると、ホームズシリーズの中でも、短編「まだらの紐」は父親(アーサー・コナン・ドイル)の一番お気に入りの作品とのこと。実際、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1927年3月号において、コナン・ドイル自身が「まだらの紐」をホームズシリーズの短編の中で第1位に推している。

地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)内、ジュビリーライン(Jubilee Line)の
プラットフォーム壁に設置されている「まだらの紐」のイラスト

ウェストエンドの劇場がエドワード7世の喪に服してからまだ1ヶ月も経たない1910年6月4日、コナン・ドイルはアデルフィ劇場で戯曲版「まだらの紐」の上演を開始した。主な配役は以下の通り。
*シャーロック・ホームズ: ハリー・アーサー・セインツベリー(Harry Arthur Saintsbury:1869年ー1939年)
*ジョン・ワトスン: クロード・キング(Claude King:1875年ー1941年)
*グリムズビー・ライロット博士: リン・ハーディング(Lyn Harding:1867年ー1952年)

ホームズとワトスンが、グリムズビー・ロイロット博士邸の庭に
秘かに入り込んだ場面が描かれている

戯曲版「まだらの紐」の基本的な筋は、「ストランドマガジン」の1892年3月号に発表された短編と同じであるが、以下のような変更が加えられている。
(1)短編にはなかったヘレン・ストーナー(Helen Stoner)がホームズの元へ事件の相談に来る前の話が新たに追加されている。そのため、戯曲版は、大きく分けると、三幕の構成となっている。
・一幕目(Act 1): ストークモラン邸(Stoke Moran Manor)
・二幕目(Act 2): ベーカーストリート221B
・三幕目(Act 3): ストークモラン邸
そして、一幕目と二幕目の間では、2年が経過している。
(2)短編では、ホームズの元へ事件の相談に訪れるのは、妹のヘレン・ストーナーであるが、戯曲版では、名前がイーニッド・ストーナー(Enid Stoner)に変更されている。
(3)また、戯曲版では、イーニッドがインドに住んでいた幼少の頃、ワトスンも軍医としてインドで従軍していたため、彼女の母親と親交があり、そのため彼女とも知り合いであるという設定になっている。
(4)更に、一幕目でイーニッドの姉が謎の死を遂げた際、ワトスンはストークモラン邸に駆け付けており、何か問題が起きた場合、自分とホームズを頼るよう、イーニッドに助言している。よって、イーニッドがベーカーストリート221Bを訪れることになるが、それは2年後の二幕目で、ホームズが登場するのは二幕目の途中からになり、残念ながら、彼の出番は全体の半分位しかない。
(5)イーニッドの義父は、短編では、グリムズビー・ロイロット博士(Dr. Grimesby Roylott)であったが、戯曲版では、グリムズビー・ライロット博士(Dr. Grimesby Rylott)となっている。
(6)二幕目には、短編「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」に登場した恐喝王ミルヴァートンが、出番は少ないが、イーニッドの前にベーカーストリート221Bのホームズの元を訪れる。
(7)戯曲版では、ワトスンの婚約者として、メアリー・モースタン(Mary Morstan)の名前が言及される。メアリー・モースタンは、長編「四つの署名(The Sign of the Four)」において、事件の依頼人として当初ベーカーストリート221Bを訪ねて来るが、物語の最後に彼女はワトスンと婚約する。この事件は1888年9月に発生したものと考えられているが、一方、短編「まだらの紐」は、物語の冒頭、1883年4月初め頃の事件と記されており、事件の発生時期が相前後している。

夕陽の下、アデルフィ劇場の白い壁が映えている

幸いにして、興行は大成功し、アデルフィ劇場において169回の上演が行われ、同年8月28日には興行場所がグローブ座(Globe)へと移った。その後、英国各地で興行が順次行われ、そして、1910年11月21日には、米国ニューヨークにあるガリック劇場(Garrick Theatre)において上演が行われるまでの成功をおさめた。
こうして、起死回生の打開策として、戯曲版「まだらの紐」を上演することによって、コナン・ドイルはなんとか自己破産から免れることができたのである。

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