2015年4月18日土曜日

ロンドン チャーチロウ(Church Row)

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドから東方面に見たチャーチロウ
通りの突き当たりがヒースストリートで、左に曲がると、地下鉄ハムステッド駅がある

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)において、シャーロック・ホームズは、レディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)からの依頼を受けて、彼女が昔出した手紙をロンドン一の悪党かつ恐喝王であるチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)から取り戻そうしていた。彼女は2週間後にドーヴァーコート伯爵(Earl of Dovercourt)との結婚式を控えていた。残念ながら、彼女には、ミルヴァートンによる恐喝に対処できるだけの金銭的な余裕はない上、彼女が昔出した手紙が表に出てスキャンダルになった場合、2週間後に予定されている結婚が破談になることは間違いなかった。
レディー・エヴァ・ブラックウェルを絶望的な状況から救い出すために、ホームズとジョン・ワトスンはミルヴァートンの屋敷に夜間侵入して、彼女の手紙を盗み出す計画を立てたのであった。そのため、ホームズは職人に変装して、ミルヴァートンの屋敷のメイドを口説き、屋敷に侵入するのに必要な情報を入手した。


「よし、ワトスン、そうしよう。僕達二人は長い間この同じ部屋に一緒に住んできた訳だし、同じ牢屋に一緒に住むことになるのも面白いかもしれない。ワトスン、君にだけは打ち明けるが、僕は非常に有能な犯罪者になっていたかもしれないと、ずーっと思ってきた。今回は、その才能を示す一生一代の機会だ。これを見てくれ!」と言って、ホームズは引き出しから小綺麗な革のケースを取り出すと、それを開いて、光り輝く道具の数々を私に披露した。「これは一級品の最新侵入キットだ。まず、ニッケルでメッキした組み立て鉄梃(かなてこ)、ダイヤモンドが先に付いたガラス切り、そして、万能鍵。どれもが、文明の進歩に呼応して、近代的な改良が加えられたものばかりだ。これが灯りを外に通さない手提げランプだ。どれも整備が出来ている。ワトスン、君が音がしない靴を持っているかい?」
「ゴム底のテニス靴なら持っているよ。」
「素晴らしい!それでは、マスクは?」
「黒い絹から2つ作ることができるが...」
「君もこの件にかなり乗り気になっているようだな。よし、そのマスクを準備してくれ。それでは、出かける前に、なにか夕食をとろう。今午後9時半だ。11時にチャーチロウまで馬車で行こう。そこからアップルドアタワーズまで歩いて15分だ。12時前には仕事に取り掛れるだろう。ミルヴァートンは眠りが深く、10時半きっかりに寝室へ下がる。運が良ければ、レディー・エヴァの手紙をポケットに入れて、午前2時までにここに戻って来られるさ。」

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの正面

'Well, well, my dear fellow, be it so. We have shared the same room for some years, and it would be amusing if we ended by sharing the same cell. You know, Watson, I don't mind confessing to you that I have always had an idea that I would have made a highly efficient criminal, this is the chance of my lifetime in that direction. See here!' He took a neat little leather case out of a drawer, and opening it he exhibited a number of shining instruments. 'This is a first-class, up-to-date burgling kit, with nickel-plated jimmy, diamond-tipped glass-cutter, adaptable keys, and every modern improvement which the march of civilization demands. Here, too, is my dark lantern. Everything is in order. Have you a pair of silent shoes?'
'I have rubber-soled tennis shoes.'
'Excellent. And a mask?'
'I can make a couple out of black silk.'
'I can see that you have a strong natural turn for this sort of thing. Very good; do you make the masks. We shall have some cold supper before we start. It is now nine-thirty. At eleven we shall drive as far as Church Row. It is a quarter of an hour's walk from there to Appledore Towers. We shall beat work before midnight. Milverton is a heavy sleeper and retires punctually at ten-thirty. With any luck we should be back here by two, with the Lady Eva's letters in my pocket!'

教会前のチャーチロウの南側住宅棟
教会前のチャーチロウの北側住宅棟

地下鉄スイスコテージ駅(Swiss Cottage Tube Stationージュビリーライン(Jubilee Line)やメトロポリタンライン(Metropolitan Line)が停車)から地下鉄ハムステッド駅(Hampstead Tube Stationーノーザンライン(Northern Line)が停車)へ向かって坂道を上って行くと、通りはカレッジクレセント通り(College Crescent)、フィッツジョンズアヴェニュー(Fitzjohn's Avenue)、そして、ヒースストリート(Heath Street)へと名前を変えていく。地下鉄ハムステッド駅の少し手前の道を左手に入ると、そこがチャーチロウ(Church Row)である。

パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの側面
パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッドの裏面

チャーチロウの両側には、ジョージ王朝様式のテラスハウスが並んでいる。ジョージ王朝とは、英国王室ハノーヴァー朝のジョージ1世(George I)からジョージ4世(George IV)が在位した1714年から1830年までの時代を指す。地下鉄ハムステッド駅へと至るヒースストリートは車の往来が多いが、一歩チャーチロウに入ると、抜け道として使用するような通りではないこと、また、途中、車が通過するにはギリギリの幅の箇所があること等から、車の往来は少なく、ヒースストリートの喧騒が嘘のように感じられる位、閑静な場所である。

教会の反対側にある墓地入口
教会の反対側にある墓地内は、静謐な場所となっている

通りの途中、ヒースストリート側からみて左側に、パリッシュ・チャーチ・オブ・セントジョン・アット・ハムステッド(Parish Church of St. John-at-Hampstead)という教会が建っている。伝承によると、10世紀後半には既に教会があったようではあるが、教会が正式な記録上に出てくるのは14世紀前半である。現在の教会の尖塔は18世紀後半に建てられた模様。英国の風景画家ジョン・コンスタブル(John Constable:1776年ー1837年)は、妻マリアと一緒に、この教会前の墓地に埋葬されている。教会前の墓地、また、チャーチロウを間にして教会の反対側にある墓地は、日中でもひっそりしている。週末や休日等は、ハムステッドを訪れる観光客が墓地の散策をしていたりする。

ジョン・コンスタブルと妻マリアが埋葬されている墓

 チャーチローは、ヒースストリートとほぼ並行して走るフログナル通り(Frognal)に突き当たったところで終わる。ヒースストリート側から言うと、住宅街、教会と墓地、そして、また住宅街という構成になっている。

教会と墓地を抜けたところにある住宅街

2015年4月12日日曜日

ロンドン アップルドアタワーズ/ハムステッド(Appledore Towers/Hampstead)

東側から見たハムステッドハイストリート(Hampstead High Street)―
この坂を上って行くと、右手に地下鉄ハムステッド駅がある

サー・アーサー・コナン・ドイル作「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)」(出版社によっては、「犯人は二人」や「恐喝王ミルヴァートン」と訳しているケースあり)では、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンが夕方の散策からベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に戻って来るところから、話が始まる。

ハムステッドハイストリート側からみた
ダウンシャーヒル通り(Downshire Hill)―
この通りの突き当たりにハムステッドヒースがある

ホームズと私は夕方の散策に出かけ、ベイカーストリート221Bに 戻って来たのは、寒く凍りつくような冬の午後6時頃だった。部屋に入ったホームズがランプを点けると、テーブルの上の名刺がランプの灯りに照らし出された。ホームズはテーブルの上の名刺をちらりと見て、それから不快気な声を上げると、それを床に投げ捨てた。私はその名刺を拾い上げると、次のように書かれていた。

チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン
仲介業
アップルドアタワーズ ハムステッド

「彼は何者なんだい?」と、私は尋ねた。
「ロンドン一の悪党さ!」と、ホームズは座って暖炉の前に足を伸ばしながら答えた。
「名刺の裏に何か書いてあるかい?」
私は名刺を裏返した。
「『午後6時半にまた来る。ーC.A.M.』と書いてある。」と、私は答えた。

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その1)

We had been out for one of our evening rambles , Holmes and I, and had returned about six o'clock on a cold, frosty winter's evening. As Holmes turned up the lamp the light fell upon a card on the table. He glanced at it, and then, with an ejaculation of disgust, threw it on the floor. I picked it up and read:

Charles Augustus Milverton
Agent                 Appledore Towers
                         Hampstead

'Who is he?' I asked.
'The worst man in London,' Holmes answered, as he sat down and stretched his legs before the fire. 'Is anything on the back of the card?'
I turned it over.
'Will call at 6.30 - C.A.M.,' I read.

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その2)

チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Charles Augustus Milverton)の屋敷があるハムステッド(Hampstead)はロンドン北部の閑静な高級住宅地で、地下鉄ノーザンライン(Northern Line)が通るハムズテッド駅(Hampstead Tube Station)を中心として、何本もの通りが起伏を描いて広がるとともに、それらの通り沿いには18世紀のタウンハウスが整然と並んでいる。

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その3)

ミルヴァートンの屋敷アップルドアタワーズ(Appledore Towers)は架空の建物で、ハムステッド内には存在していない。

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その4)

ただし、物語の後半で、(1)ホームズとワトスンがレディー・エヴァ・ブラックウェル(Lady Eva Brackwell)の手紙を取り戻すべく、ミルヴァートンの屋敷へ侵入するために、地下鉄ハムステッド駅の南側にあるチャーチロウ(Church Row)から彼の屋敷まで15分歩いていること、そして、(2)ホームズとワトスンにとって全く予期せぬ出来事が発生したものの、彼らはレディー・エヴァ・ブラックウェルの手紙を処分した後、ハムステッドヒース(Hampstead Heath)を横切って逃去ったことを考慮すると、チャーチロウと地下鉄ハムステッド駅の北東方向に広がるハムステッドヒースに挟まれた地域内、更に言えば、ハムステッドヒース近辺の住宅地外れに、ミルヴァートンの屋敷はあったと思われる。実際、この一帯はハムステッドの中でもより高級な住宅地であり、辺りを散策すると、(原作通りに、家の前に私設車道はないものの、)ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅がいくつか点在している。

ミルヴァートンの屋敷の雰囲気がある住宅(その5)―
家の前に私設車道はないが、広い庭があり、
今までの中では一番それらしい

この一帯には、以下の有名な建物がある。

「キーツハウス」の全景(その1)

春が遂に到来したキーツハウス前の庭

「キーツハウス」の全景(その2)

1つ目は、キーツグローブ(Keats Grove)にある「キーツハウス(Keats House)」。
英国ロマン派の詩人ジョン・キーツ(John Keats:1795年ー1821年)が、1818年から約2年間、この白い屋敷の一室に住み、様々な先品を書き上げている。この地を去って2年後、ジョン・キーツは旅先であるイタリアのローマで息を引き取っているが、この建物が博物館として彼の足跡を大事に守っている。

「2 ウィローロード」の全景(その1)―
博物館になっているのは、真ん中の住宅で、左右の住宅は個人所有

「2 ウィローロード」の全景(その2)

2つ目は、ウィローロード(Willow Road)沿いにある「2 ウィローロード(2 Willow Road)」。
この近代的なモダン住宅は、ハンガリー生まれの建築家エルノ・ゴールドフィンガー(Erno Goldfinger:1902年ー1987年→1930年代に英国に移住)が家族のために設計した、とのこと。1939年の完成以降、1987年に亡くなるまでの約半世紀、彼はここで家族と共に過ごしたそうである。「2 ウィローロード」は、設計者の名前に因んで、「ゴールドフィンガーハウス(Goldfinger House)」とも呼ばれている。
「2 ウィローロード」は、1994年にナショナルトラスト(National Trust)によって初めての現代建築物(住宅)として取得され、保護されている。

ブルームズベリースクエアガーデンズ内に設置されていた
007をテーマにしたブックベンチの正面

ブルームズベリースクエアガーデンズ内に設置されていた
007をテーマにしたブックベンチの裏面

ちなみに、エルノ・ゴールドフィンガーは、007シリーズの原作者イアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming:1908年ー1964年)と交友関係にあり、イアン・フレミング作「ゴールドフィンガー(Goldfinger:1959年)」はエルノ・ゴールドフィンガーをモデルにしたのではないかと言われている。

2015年4月11日土曜日

ロンドン ハーリーストリート(Harley Street)

ハーリーストリート60番地を示す
非常に凝った外壁の装飾

サー・アーサー・コナン・ドイル作「入院患者(The Resident Patient)」では、10月の蒸し暑い雨の晩、フリートストリート(Fleet Street)やストランド通り(Strand)の散策に出かけたシャーロック・ホームズとジョン・ワトスンは午後10時過ぎにベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に戻って来た。
部屋で待っていたのはパーシー・トレヴェリアン博士(Dr Percy Trevelyan)で、彼は裕福なブレシントン氏(Mr Blessington)の出資を受けて、ブレシントン氏の家があるブルックストリート403番地(403 Brook Street)で医院を開業していた。彼の医院で非常に奇妙な出来事が連続して発生したので、ホームズに相談するために、ベイカーストリート221Bを訪ねて来たのである。トレヴェリアン博士の話を聞いたホームズは、早速、ワトスンと彼と一緒に、ブルックストリート403番地へ向かった。

ハーリーストリート沿いの建物(その1)

その建物外壁のアップ写真

ブルックストリート403番地に着いたホームズはブレシントン氏に対して、2日連続でトレヴェリアン博士の医院へやって来た謎めいた2人の男(ロシアの貴族だという弱々しい老人と彼を連れて来たハンサムな息子)が誰で、何故の目的があって、ブレシントン氏の部屋に侵入したのかを問い質した。しかし、ブレシントン氏はホームズに部屋に置いてある金庫を指して、彼らの侵入が盗難目的であったことを仄めかせるものの、それ以上のことには言及しようとしなかった。

建物前のレールに設置されている植栽

ホームズは疑わしそうにブレシントン氏を見て、首を振った。
「あなたが私を騙そうとするならば、私は助言をすることはできません。」と、ホームズは言った。
「しかし、私はあなたに全てをお話したつもりです。」
ホームズは嫌悪感を示すと、背を向けた。「トレヴェリアン先生、おやすみなさい。」と、ホームズは言った。
「私には何の助言もないのですか?」と、ブレシントン氏は取り乱した声で叫んだ。
「あなたへの私の助言は、本当のことを話しなさい、ということですよ。」
1分後には、私達は通りに出て、ベイカーストリートの家へ向かって歩き始めた。オックスフォードストリートを横切り、ハーリーストリートを中程まで進むまで、ホームズは一言も発しなかった。
「ワトスン、こんな馬鹿げた騒ぎに君を引っ張り込んですまない。」と、ホームズは遂に口を開いた。「これは、根本的には、面白い事件でもあるんだ。」
「私にはほとんど訳が判らない。」と、私は白状した。
「2人の男がこの事件に関与していることは明らかだ。多分、それ以上だと思うが、少なくとも二人だ。何らかの理由で、彼らはこのブレシントン氏という男に対して危害を加えようと計画している。1番目の場合も、そして、2番目の場合も、共犯者が巧妙な策略で邪魔が入らないように、トレヴェリアン博士を引きつけている間に、若い方の男がブレシントンの部屋へ侵入したことは間違いないと思う。」

ハーリーストリート沿いの建物(その2)

Holmes looked at Blessington in his questioning way and shook his head.
'I cannot possibly advise you if you try to deceive me,' said he.
'But I have told you everything.'
Holmes turned on his heel with a gesture of disgust. 'Good-night, Dr Trevelyan,' said he.
'And no advice for me?' cried Blessington, in a breaking voice.
'My advice to you, sir, is to speak the truth.'
A minute later we were in the street and walking for home. We had crossed Oxford Street and were halfway down Harley Street before I could get a word from my companion.
'Sorry to bring you out on such a fool's errand, Watson, ' he said at last. 'It is an interesting case, too, at the bottom of it.'
'I can make little of it,' I confessed.
'Well, it is quite evident that there are two men - more, perhaps, but at least two - who are determined for some reason to get at this fellow Blessington. I have no doubt in my mind that both on the first and on the second occasion that young man penetrated to Blessington's room, while his confederate, by an ingenious device, kept the doctor from interfering.'

デザインに凝った玄関(その1)

デザインに凝った玄関(その2)

ハーリーストリート(Harley Street)の期限は、1715年に第2代オックス伯爵エドワード・ハーリー(Edward Harley, 2nd Earl of Oxford:1689年ー1741年)が現在のジョン・ルイス(John Lewisーデパート)の裏手に該るキャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square)とその一帯を開発した時に遡る。ハーリーストリートの南側はキャヴェンディッシュスクエアから始まり、北側は地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の前を走るマリルボーンロード(Marylebone Road)まで至る約800mの通りで、この一帯を開発した彼の名前にちなんで呼ばれている。
元々、この一帯はニューキャッスル公爵(Duke of Newcastle)家が所有する土地であったが、この一帯を相続した第2代ニューキャッスル公爵の娘であるヘンリエッタ・キャヴェンディッシュ・ハーリー(Henrietta Cavendish Harely)が前述の第2代オックス伯爵エドワード・ハーリーと結婚したことに伴い、オックスフォード伯爵家の所有となり、その後、相続や結婚により、ポートランド公爵(Duke of Portland→ハーリーストリートがマリルボーンロードと交差する辺りをグレイトポートランド(Great Portland)と呼んでいるが、それはここから名付けられている)家へと渡り、現在はドゥ・ウォルデン(de Walden)家が所有管理している。

フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale:1820年―1910年)が
クリミア戦争従軍前に働いていた
Institute for the Care of Sick Gentlemen の壁には石碑が刻まれている
(彼女がここに勤務していたのは、1853年8月から1854年10月まで)

古い英国10ポンド紙幣に描かれているフローレンス・ナイチンゲール

19世紀以降、ハーリーストリート沿い及びその周辺に医院、病院や医療機関等が集まるようになり、その数は1860年には20ヶ所、1900年には80ヶ所、そして、1914年には200ヶ所と劇的に増えている。ホームズとワトスンが活躍した頃、その増加率が一番顕著である。
元々、医者は大きな駅の近くに医院を開業する傾向があり、最初はパディントン駅(Paddington Station)、キングスクロス駅(King's Cross Station)、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)やユーストン駅(Euston Station)近辺が主流だったが、その後、マリルボーン駅に比較的近いハーリーストリートが人気となったものと思われる。
今は、ハーリーストリート沿い及びその周辺には、フラットがかなり増えているが、相変わらず、医療関係が入居している建物が非常に多い。

ハーリーストリート沿いの建物(その3)

ハーリーストリート全景

他のホームズ作品では、「悪魔の足(The Devil's Foot)」にも、ハーリーストリートが登場する。1897年の春、度重なる激務により、鉄の身体をしたホームズも体調を崩し始めていた。同じ年の3月、ハーリーストリートのムーア・エイガー博士(Dr Moore Agar)に転地療養を勧められたホームズは、ワトスンと一緒にロンドンを出て、コンウォール半島の最先端にあるポルデュー湾近くの家にやって来た。彼らはここで背筋も凍るトレゲニス家の殺人事件に遭遇するのであった。

2015年4月5日日曜日

ロンドン キャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「入院患者(The Resident Patient)」では、10月の蒸し暑い雨の晩、フリートストリート(Fleet Street)やストランド通り(Strand)の散策に出かけたシャーロック・ホームズとジョン・ワトスンは午後10時過ぎにベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に戻って来た。
部屋で待っていたのはパーシー・トレヴェリアン(Percy Trevelyan)で、ブルックストリート403番地(403 Brook Street)において開業する医師だった。彼の医院で非常に奇妙な出来事が連続して発生したので、ホームズに相談するために、ベイカーストリート221Bを訪ねて来たのである。トレヴェリアン博士はホームズに対して、まず自分の経歴について話し始めた。

キャヴェンディッシュスクエアガーデンズ(Cavendish Square Gardens)内にある像

「まず最初に、私の大学での経歴について話す必要があります。私はロンドン大学を卒業しました。大学在籍時の成績が良かったため、教授陣からは将来非常に有望だと思われていたと申し上げたとしても、決して自慢話ではないと考えております。大学卒業後、私はキングスカレッジ病院にちょとしたポストを得て、研修に没頭しました。その結果、幸いにも、私は強硬症(カタレプシー=特に精神的疾患からくる筋肉が硬直する状態)の病理学に関する研究でかなりの注目を得ました。そして、ホームズさんの御友人が先程言及された神経障害の研究論文が評価され、ついにブルース・ピンカートンの賞金とメダルを授与されたのです。その当時、私は前途洋々だと一般に思われていたと言っても、決して過言ではないと思います。」


「しかしながら、私には先立つ資金がないことが、非常に大きな障害となりました。容易に御理解いただけるものと思いますが、成功をおさめようと願う専門医は、キャヴェンディッシュスクエア地区の12ある通りのどこかで開業する必要があります。ただ、それには巨額な賃借料と内装設備費がかかります。この開業準備費用の他に、数年間分の生活費も手当てする必要がありますし、更に、相応の馬車も借りなくてはなりません。これらの費用を工面するには、私の財力を遥かに上回っていたため、なんとか倹約すれば、10年位で開業のための看板を架けられるだけの蓄えができるのではないかと願うしかありませんでした。しかし、予期せぬ出来事が突然起きて、全く新しい展望が私の前に開けたのです。」

キャヴェンディッシュスクエアの西側―
右手奥に見えるのは、ウィグモアストリート(Wigmore Street)

'I am compelled, to begin with, to say something of my own college career. I am a London University man, you know, and I am sure that you will not think that I am unduly singing my own praises if I say that my student career was considered by my professors to be a very promising one. After I had graduated I continued to devote myself to research, occupying a minor position in King's College Hospital, and I was fortunate enough to excite considerable interest by my research into the pathology of catalepsy, and finally to win the Bruce Pinkerton prize and medal by the monograph on nervous lesions to which your friend has just alluded. I should not go too far if I were to say that there was a general impression at that time that a distinguished career lay before me.'

キャヴェンディッシュスクエアの北側―
左右に走る通りはウィグモアストリート(Wigmore Street)

'But the one great stumbling-block lay in my want of capital. as you will readily understand, a specialist who aims high is compelled to start in one of a dozen streets in the Cavendish Square quarter, all of which entail enormous rents and furnishing expenses. Besides this preliminary outlay, he must be prepared to keep himself for some years, and to hire a presentable carriage and horse. To do this was quite beyond my power, and I could only hope that by economy I might in ten years' time save enough to enable me to put up my plate. Suddenly, however, an unexpected incident opened up quite a new prospect to me.'

キャヴェンディッシュスクエアの南側―
奥に見えるのは、デパートのジョン・ルイス

キャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square)は、ロンドン・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある広場で、各種店舗やデパート等が軒を連ねているリージェントストリート(Regent Street)とオックスフォードストリート(Oxford Street)の近くに位置している。地下鉄の最寄駅は、ベイカールーライン(Bakerloo Line)、セントラルライン(Central Line)とヴィクトリアライン(Victoria Line)が通るオックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)で、駅の出口から北西の方向へ歩いて5分程のところにある。広場の南側はデパートのジョン・ルイス(John Lewis)の裏口に面しており、広場の北側にはトレヴェリアン博士が医院を開業したいと願った通りの中で一番有名なハーリーストリート(Harley Street)があり、広場から北へ向かって延びている。また、広場の地下は、車とオートバイが600台程を収容できる巨大な地下駐車場となっている。

キャヴェンディッシュスクエアガーデンズ内に建つ
ウィリアム・ジョージ・フレデリック・キャヴェンディッシュ・ベンティンク卿のブロンズ像

キャヴェンディッシュスクエアは、1717年に第2代オックスフォード伯爵エドワード・ハーリー(Edward Harley, 2nd Earl of Oxford:1689年ー1741年)のロンドン用邸宅がここに建設されたことから始まる。広場の名前は、彼の妻であるヘンリエッタ・キャヴェンディッシュ・ハーリー(Henrietta Cavendish Harley)にちなんで名付けられた。その後、広場には他の貴族階級の邸宅も建てられ、発展していった。
広場の南側(デパートのジョン・ルイスに面している側)には、英国北東部にあるノーフォーク州(Norfolk)キングスリン(King's Lynn)選出の議員ウィリアム・ジョージ・フレデリック・キャヴェンディッシュ・ベンティンク卿(Lord William George Frederick Cavendish Bentinck:1802年ー1848年)のブロンズ像が1848年以来スクエアを見守っている。

キャヴェンディッシュスクエアの東側―
ジキル博士の親友であるラニョン博士が住んでいそうな建物

英国の作家ロバート・ルイス・スティーヴンスン(Robert Louis Stevenson:1850年ー1894年)が執筆した「ジキル博士とハイド氏(Dr. Jekyll and Mr. Hyde)」(1886年)において、ジキル博士の親友であるラニョン博士(Dr. Lanyon)の自宅がキャヴェンディッシュスクエア内にあるという設定になっている。

キャヴェンディッシュスクエアガーデンズ内では、多くの市民や観光客等が憩いをとっている

2015年4月4日土曜日

ロンドン ブルックストリート(Brook Street)


サー・アーサー・コナン・ドイル作「入院患者(The Resident Patient)」では、10月の蒸し暑い雨の晩、フリートストリート(Fleet Street)やストランド通り(Strand)の散策に出かけたシャーロック・ホームズとジョン・ワトスンは午後10時過ぎにベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に戻って来た。
すると、一台のブルーム型馬車(一頭立四輪箱馬車)が戸口のところに停まっており、ランプに照らされた馬車の内に吊るされた枝編み細工の籠に入っている医療道具から、ホームズは医者、それも開業医が事件の依頼にやって来たと推測する。彼らが部屋に入ると、30代半ば位の、やつれた表情で不健康そうな顔色をした男性が暖炉の側の椅子から立ち上がった。

ヘンデルハウス博物館(左から2番目の焦茶色の建物)を含むブルックストリート沿いの街並み

「こんばんわ、先生。」と、ホームズは快活に言った。「それ程長くはお待たせしなかったようなので、良かったです。」
「それでは、下に居る御者と話をされたのですか?」
「いいえ、サイドテーブルの上にあるロウソクを見れば判りますよ。どうぞおかけになって、私がどういったお役にたてるのかお話願えますか?」
「私は医師のパーシー・トレヴェリアンと申します。」と、訪問者は言った。
「ブルックストリート403番地に住んでいます。」
「未解明の神経障害に関する論文をお書きになられていませんか?」と、私は尋ねた。
私が彼の業績を知っていると判って、彼は青白い頬を喜びで赤く染めた。
「その研究のことはめったに耳にしないので、もう完全に忘れ去られたものと思っていました。」と、彼は言った。「私の出版社は、私の論文の売れ行きが全く芳しくないと話していました。推測するに、あなたも医学関係の方ですか?」
「退役軍医です。」
「私の本業はずっと神経障害です。この分野を専門に進めていきたいと思っていますが、もちろん、最初はできることをするしかないですね。しかしながら、これは私が御相談したい件とはズレています。シャーロック・ホームズさん、あなたのお時間が貴重なことは充分承知しております。御相談したいことなのですが、最近、ブルックストリートの私の自宅で非常に奇妙な出来事が連続して発生したのです。今晩、それが遂にピークに達したため、私としましては、一刻でも早く、あなたの助言と助力をお願いしたい気持ちで一杯なのです。」
シャーロック・ホームズは腰を下ろして、パイプに火をつけた。「両方とも大歓迎です。」と、彼は言った。「どういった状況にあなたが困っているのかについて、詳しい話をお聞かせ願います。」

ブルックストリートからグローヴナースクエア方面(西側)を望む

'Good-evening, doctor,' said Holmes cheerily. 'I am glad to see that you have only been waiting a very few minutes.'
'You spoke to my coachman, then?'
'No, it was the candle on the side-table that told me. Pray, resume your seat and let me know how I can serve you.'
'My name is Doctor Percy Trevelyan,' said our visitor, 'and I live at 403 Brook Street.'
'Are you not the author of a monograph upon obscure nervous lesions?' I asked.
His pale cheeks flushed with pleasure at hearing that his work was known to me.
'I so seldom hear of the work that I thought it was quite dead,' said he. 'My publishers gave me a most discouraging account of its sale. You are yourself, I presume, a medical man?'
'A retired army surgeon.'
'My own hobby has always been nervous disease. I should wish to make it an absolute speciality, but, of course, a man must take what he can get at first. This, however, is beside the question. Mr Sherlock Holmes, and I quite appreciated how valuable your time is. The fact is that a very singular train of events has occurred recently at my house in Brook Street, and tonight they came to such a head that I felt it was quite impossible fro me to wait another hour before asking for your advice and assistance.'
Sherlock Holmes sat down and lit his pipe. 'You are very welcome to both,' said he. 'Pray let me have a detailed account of what the circumstances are which have disturbed you.'

米国人のミュージシャン/シンガーであるジミ・ヘンドリックスが
ブルックストリート23番地に住んでいたことを示すブループラーク

ドイツ人の作曲家であるゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルが
ブルックストリート25番地に住んでいたことを示すブループラーク

ブルックストリート(Brook Street)は、ロンドン中心部のメイフェア地区(Mayfair)内にある通りで、東側は「独身の貴族(The Noble Bachelor)」で紹介したハノーヴァースクエア(Hanover Square)から始まり、西側はこれも「独身の貴族」で紹介したグローヴナースクエア(Grosvenor Square)まで続いている。オックスフォードサーカス(Oxford Circus)とマーブルアーチ(Marble Arch)を結ぶ幹線道路であるオックスフォードストリート(Oxford Street)から南へ少し下ったところを、ブルックストリートは走っている。
この通りは18世紀前半に開発され、その名前は近くにあったパブ「タイバーン・ブルック(Tyburn Brook)」に由来している、とのこと。
ブルックストリート沿いには、前述の通り、「独身の貴族」の舞台となったハノーヴァースクエアとグローヴナースクエアが、また、「ソア橋の謎(The Problem of Thor Bridge)」の舞台となったホテルのクラリッジズ(Claridge's)等がある。
ハノーヴァースクエアの近くには、米国人のミュージシャン/シンガーであるジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix:1942年ー1970年→なお、本名はジェイムズ・マーシャル・ヘンドリックス(James Marshall Hendrix))が住んでいた「ブルックストリート23番地」とドイツ人(後に英国に帰化)の作曲家であるゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Handel:1685年ー1759年)が住んでいた「ブルックストリート25番地」が隣り合っている。ちなみに、「ブルックストリート25番地」は、現在、ヘンデルハウス博物館(Handel House Museum)となっているが、ブルックストリート側ではなく、建物の裏側から入館する扱いである。

ジミ・ヘンドリックスのブループラークの青色と
ヘンデルハウス博物館の旗の赤色が建物の外壁にうまくマッチしている

なお、パーシー・トレヴェリアンが開業していたブルックストリート403番地は、実際の住所としては存在しておらず、架空の住所である。