ハーリーストリート60番地を示す 非常に凝った外壁の装飾 |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「入院患者(The Resident Patient)」では、10月の蒸し暑い雨の晩、フリートストリート(Fleet Street)やストランド通り(Strand)の散策に出かけたシャーロック・ホームズとジョン・ワトスンは午後10時過ぎにベーカーストリート221Bに戻って来た。部屋で待っていたのはパーシー・トレヴェリアン博士(Dr Percy Trevelyan)で、彼は裕福なブレシントン氏(Mr Blessington)の出資を受けて、ブレシントン氏の家があるブルックストリート403番地(403 Brook Street)で医院を開業していた。彼の医院で非常に奇妙な出来事が連続して発生したので、ホームズに相談するために、ベーカーストリート221Bを訪ねて来たのである。トレヴェリアン博士の話を聞いたホームズは、早速、ワトスンと彼と一緒に、ブルックストリート403番地へ向かった。
ブルックストリート403番地に着いたホームズはブレシントン氏に対して、2日連続でトレヴェリアン博士の医院へやって来た謎めいた2人の男(ロシアの貴族だという弱々しい老人と彼を連れて来たハンサムな息子)が誰で、何故の目的があって、ブレシントン氏の部屋に侵入したのかを問い質した。しかし、ブレシントン氏はホームズに部屋に置いてある金庫を指して、彼らの侵入が盗難目的であったことを仄めかせるものの、それ以上のことには言及しようとしなかった。
ホームズは疑わしそうにブレシントン氏を見て、首を振った。
「あなたが私を騙そうとするならば、私は助言をすることはできません。」と、ホームズは言った。
「しかし、私はあなたに全てをお話したつもりです。」
ホームズは嫌悪感を示すと、背を向けた。「トレヴェリアン先生、おやすみなさい。」と、ホームズは言った。
「私には何の助言もないのですか?」と、ブレシントン氏は取り乱した声で叫んだ。
「あなたへの私の助言は、本当のことを話しなさい、ということですよ。」
1分後には、私達は通りに出て、ベーカーストリートの家へ向かって歩き始めた。オックスフォードストリートを横切り、ハーリーストリートを中程まで進むまで、ホームズは一言も発しなかった。
「ワトスン、こんな馬鹿げた騒ぎに君を引っ張り込んですまない。」と、ホームズは遂に口を開いた。「これは、根本的には、面白い事件でもあるんだ。」
「私にはほとんど訳が判らない。」と、私は白状した。
「2人の男がこの事件に関与していることは明らかだ。多分、それ以上だと思うが、少なくとも二人だ。何らかの理由で、彼らはこのブレシントン氏という男に対して危害を加えようと計画している。1番目の場合も、そして、2番目の場合も、共犯者が巧妙な策略で邪魔が入らないように、トレヴェリアン博士を引きつけている間に、若い方の男がブレシントンの部屋へ侵入したことは間違いないと思う。」
Holmes looked at Blessington in his questioning way and shook his head.
'I cannot possibly advise you if you try to deceive me,' said he.
'But I have told you everything.'
Holmes turned on his heel with a gesture of disgust. 'Good-night, Dr Trevelyan,' said he.
'And no advice for me?' cried Blessington, in a breaking voice.
'My advice to you, sir, is to speak the truth.'
A minute later we were in the street and walking for home. We had crossed Oxford Street and were halfway down Harley Street before I could get a word from my companion.
'Sorry to bring you out on such a fool's errand, Watson, ' he said at last. 'It is an interesting case, too, at the bottom of it.'
'I can make little of it,' I confessed.
'Well, it is quite evident that there are two men - more, perhaps, but at least two - who are determined for some reason to get at this fellow Blessington. I have no doubt in my mind that both on the first and on the second occasion that young man penetrated to Blessington's room, while his confederate, by an ingenious device, kept the doctor from interfering.'
ハーリーストリート(Harley Street)の期限は、1715年に第2代オックス伯爵エドワード・ハーリー(Edward Harley, 2nd Earl of Oxford:1689年ー1741年)が現在のジョン・ルイス(John Lewisーデパート)の裏手に該るキャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square)とその一帯を開発した時に遡る。ハーリーストリートの南側はキャヴェンディッシュスクエアから始まり、北側は地下鉄ベーカーストリート駅(Baker Street Tube Station)の前を走るマリルボーンロード(Marylebone Road)まで至る約800mの通りで、この一帯を開発した彼の名前にちなんで呼ばれている。
元々、この一帯はニューキャッスル公爵(Duke of Newcastle)家が所有する土地であったが、この一帯を相続した第2代ニューキャッスル公爵の娘であるヘンリエッタ・キャヴェンディッシュ・ハーリー(Henrietta Cavendish Harely)が前述の第2代オックス伯爵エドワード・ハーリーと結婚したことに伴い、オックスフォード伯爵家の所有となり、その後、相続や結婚により、ポートランド公爵(Duke of Portland→ハーリーストリートがマリルボーンロードと交差する辺りをグレートポートランド(Great Portland)と呼んでいるが、それはここから名付けられている)家へと渡り、現在はドゥ・ウォルデン(de Walden)家が所有管理している。
フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale:1820年―1910年)が クリミア戦争従軍前に働いていた Institute for the Care of Sick Gentlemen の壁には石碑が刻まれている (彼女がここに勤務していたのは、1853年8月から1854年10月まで) |
19世紀以降、ハーリーストリート沿い及びその周辺に医院、病院や医療機関等が集まるようになり、その数は1860年には20ヶ所、1900年には80ヶ所、そして、1914年には200ヶ所と劇的に増えている。ホームズとワトスンが活躍した頃、その増加率が一番顕著である。
元々、医者は大きな駅の近くに医院を開業する傾向があり、最初はパディントン駅(Paddington Station)、キングスクロス駅(King's Cross Station)、セントパンクラス駅(St. Pancras Station)やユーストン駅(Euston Station)近辺が主流だったが、その後、マリルボーン駅に比較的近いハーリーストリートが人気となったものと思われる。
今は、ハーリーストリート沿い及びその周辺には、フラットがかなり増えているが、相変わらず、医療関係が入居している建物が非常に多い。
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