サー・アーサー・コナン・ドイル作「入院患者(The Resident Patient)」では、10月の蒸し暑い雨の晩、フリートストリート(Fleet Street)やストランド通り(Strand)の散策に出かけたシャーロック・ホームズとジョン・ワトスンは午後10時過ぎにベーカーストリート221Bに戻って来た。部屋で待っていたのはパーシー・トレヴェリアン(Percy Trevelyan)で、ブルックストリート403番地(403 Brook Street)において開業する医師だった。彼の医院で非常に奇妙な出来事が連続して発生したので、ホームズに相談するために、ベーカーストリート221Bを訪ねて来たのである。トレヴェリアン博士はホームズに対して、まず自分の経歴について話し始めた。
「まず最初に、私の大学での経歴について話す必要があります。私はロンドン大学を卒業しました。大学在籍時の成績が良かったため、教授陣からは将来非常に有望だと思われていたと申し上げたとしても、決して自慢話ではないと考えております。大学卒業後、私はキングスカレッジ病院にちょとしたポストを得て、研修に没頭しました。その結果、幸いにも、私は強硬症(カタレプシー=特に精神的疾患からくる筋肉が硬直する状態)の病理学に関する研究でかなりの注目を得ました。そして、ホームズさんの御友人が先程言及された神経障害の研究論文が評価され、ついにブルース・ピンカートンの賞金とメダルを授与されたのです。その当時、私は前途洋々だと一般に思われていたと言っても、決して過言ではないと思います。」
「しかしながら、私には先立つ資金がないことが、非常に大きな障害となりました。容易に御理解いただけるものと思いますが、成功をおさめようと願う専門医は、キャヴェンディッシュスクエア地区の12ある通りのどこかで開業する必要があります。ただ、それには巨額な賃借料と内装設備費がかかります。この開業準備費用の他に、数年間分の生活費も手当てする必要がありますし、更に、相応の馬車も借りなくてはなりません。これらの費用を工面するには、私の財力を遥かに上回っていたため、なんとか倹約すれば、10年位で開業のための看板を架けられるだけの蓄えができるのではないかと願うしかありませんでした。しかし、予期せぬ出来事が突然起きて、全く新しい展望が私の前に開けたのです。」
'I am compelled, to begin with, to say something of my own college career. I am a London University man, you know, and I am sure that you will not think that I am unduly singing my own praises if I say that my student career was considered by my professors to be a very promising one. After I had graduated I continued to devote myself to research, occupying a minor position in King's College Hospital, and I was fortunate enough to excite considerable interest by my research into the pathology of catalepsy, and finally to win the Bruce Pinkerton prize and medal by the monograph on nervous lesions to which your friend has just alluded. I should not go too far if I were to say that there was a general impression at that time that a distinguished career lay before me.'
キャヴェンディッシュスクエアの北側― 左右に走る通りはウィグモアストリート(Wigmore Street) |
'But the one great stumbling-block lay in my want of capital. as you will readily understand, a specialist who aims high is compelled to start in one of a dozen streets in the Cavendish Square quarter, all of which entail enormous rents and furnishing expenses. Besides this preliminary outlay, he must be prepared to keep himself for some years, and to hire a presentable carriage and horse. To do this was quite beyond my power, and I could only hope that by economy I might in ten years' time save enough to enable me to put up my plate. Suddenly, however, an unexpected incident opened up quite a new prospect to me.'
キャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square)は、ロンドン・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある広場で、各種店舗やデパート等が軒を連ねているリージェントストリート(Regent Street)とオックスフォードストリート(Oxford Street)の近くに位置している。地下鉄の最寄駅は、ベーカールーライン(Bakerloo Line)、セントラルライン(Central Line)とヴィクトリアライン(Victoria Line)が通るオックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)で、駅の出口から北西の方向へ歩いて5分程のところにある。広場の南側はデパートのジョン・ルイス(John Lewis)の裏口に面しており、広場の北側にはトレヴェリアン博士が医院を開業したいと願った通りの中で一番有名なハーリーストリート(Harley Street)があり、広場から北へ向かって延びている。また、広場の地下は、車とオートバイが600台程を収容できる巨大な地下駐車場となっている。
キャヴェンディッシュスクエアガーデンズ内に建つ ウィリアム・ジョージ・フレデリック・キャヴェンディッシュ・ベンティンク卿のブロンズ像 |
キャヴェンディッシュスクエアは、1717年に第2代オックスフォード伯爵エドワード・ハーリー(Edward Harley, 2nd Earl of Oxford:1689年ー1741年)のロンドン用邸宅がここに建設されたことから始まる。広場の名前は、彼の妻であるヘンリエッタ・キャヴェンディッシュ・ハーリー(Henrietta Cavendish Harley)にちなんで名付けられた。その後、広場には他の貴族階級の邸宅も建てられ、発展していった。
広場の南側(デパートのジョン・ルイスに面している側)には、英国北東部にあるノーフォーク州(Norfolk)キングスリン(King's Lynn)選出の議員ウィリアム・ジョージ・フレデリック・キャヴェンディッシュ・ベンティンク卿(Lord William George Frederick Cavendish Bentinck:1802年ー1848年)のブロンズ像が1848年以来スクエアを見守っている。
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