2026年5月22日金曜日

ロンドン ゴードンスクエア46番地(46 Gordon Square)- その1

英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴンが
1904年2月22日に亡くなった後、
ハイドパークゲイト通り22番地の家を売却して、
ヴァージニア・ウルフ達が引っ越したゴードンスクエア46番地の建物全景
<筆者撮影>

ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年)は、1882年1月25日、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)と初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1st Baronet:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付ブログで紹介済)等のラファエル前派(Pre-Raphaelite)のモデルとして知られている母ジュリア・プリンセップ・ジャクスン(Julia Prinsep Jackson:1846年ー1895年)の次女として、ロンドンの中心部にあるケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のブロンプトン地区(Brompton)内の高級住宅街に所在するハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate → 2026年5月12日 / 5月17日付ブログで紹介済)に出生。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売
されている
ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書
(by George Charles Beresford / 1902年7月 /
platinum print / 152 mm x 108 mm)


ヴァージニア・ウルフは、文学に造詣が深く、豊かな人脈を知己に持つ両親の下で育った。更に、スティーヴン家の書斎には、膨大な蔵書があり、彼女は、姉のヴァネッサ(Vanessa Bell:1879年ー1961年 → 後に英国の画家 / インテリアデザイナーとなる)と一緒に、古典や英国文学を書物から学んだ。

一方、長男のトビー(Thoby:1880年ー1906年)と次男のエイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)は、正規の教育を受けて、ケンブリッジ大学(University of Cambridge)へ進学しており、ヴァージニア・ウルフは、当時の男女不平等な慣習に対して、非常に悔しい思いを抱いていた。



ヴァージニア・ウルフが13歳になった1895年に、母親のジュリアが48歳で急死し、ヴァージニア・ウルフが15歳になった1897年に、異父姉ステラ(Stella:1869年ー1897年)が亡くなったことに伴い、彼女は神経衰弱を発病した。

更に、不幸は続き、父親のレスリーが1904年2月22日に72歳でなくなり、ヴァージニア・ウルフは、2度目の神経衰弱に陥った。


ヴァージニア・ウルフが生まれた
ハイドパークゲイト通り22番地の建物全景
<筆者撮影>


姉のヴァネッサ、長男のトビーと次男のエイドリアンは、ハイドパークゲイト通り22番地の家を売却して、ゴードンスクエア46番地(46 Gordon Square)に家を購入した。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ブルームズベリー地区近辺の地図を抜粋。


ゴードンスクエア46番地は、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内に所在している。位置的には、ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン(University College London → 2015年8月16日付ブログで紹介済)の東側で、ロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)の北側に該り、タヴィトンストリート(Taviton Street)とゴードンストリート(Gordon Street)に東西を挟まれている。


ユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドンの入口から見た
主要校舎ウィルキンスビル(Wilkins Building)
<筆者撮影>


ロンドン大学の本部が置かれている
セナトハウス(Senate House → 2017年1月15日付ブログで紹介済)
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフの両親は共に再婚で、スティーヴン一家には、3つの婚姻による8人の子供が居た。


<サー・レスリー・スティーヴンと前妻ハリエット・マリアン・サッカレー(Harriet Marian Thackeray:1840年ー1875年)の子供>

(1)ローラ・メイクピース・スティーヴン(Laura Makepeace Stephen:1870年ー1945年)


<ジュリア・プリンセップ・ジャクスンと前夫ハーバート・ダックワース(Herbert Duckworth:?ー1870年)の子供>

(2)ジョージ(George:1868年ー1934年)

(3)ステラ(Stella:1869年ー1897年)

(4)ジェラルド(Gerald:1870年-1937年)


<サー・レスリー・スティーヴンとジュリア・プリンセップ・ジャクスンの子供>

(5)ヴァネッサ(1879年ー1961年)

(6)トビー(1880年ー1906年)

(7)ヴァージニア(1882年ー1941年)

(8)エイドリアン(1883年ー1948年)


ゴードンスクエア46番地の建物前から南側を見たところ -
画面奥の建物の更に向こう側に、ロンドン大学がある。
<筆者撮影>


ローラ・メイクピース・スティーヴンは、精神障害と診断されて、1879年に施設へ既に入っていた。
ジョージは、ヴァネッサやヴァージニア達と一緒に、ゴードンスクエア46番地へ引っ越すことを好まなかった。ステラは、1897年に既に亡くなっていた。ジェラルドは、引越準備中に結婚して、別の場所へ移った。


ゴードンスクエア46番地の建物前から北側を見たところ
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフは、ゴードンスクエア46番地の家へ引っ越した1904年の秋、一時的に当地に住んだものの、神経衰弱の療養のため、ケンブリッジ(Cambridge)やヨークシャー州(Yorkshire)へ転地。彼女が、神経衰弱の療養からゴードンスクエア46番地の家へ戻って来たのは、1904年12月だった。


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