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| ケンウッドハウス(Kenwood House → 2018年9月23日付ブログで紹介済)に所蔵 / 展示されている ジョージ・ロムニー作「Anne, Countess of Albermarle, and Her Son」(1779年) <筆者撮影> |
ジョージ・ロムニーは、1734年12月26日、家具職人(cabinet maker)の父ジョン・ロムニー(John Romney)と母アン・シンプスン(Anne Simpson)の三男として、ランカシャー州(Lancashire - 現在のカンブリア州(Cumbria))ダルトン・イン・ファーネス(Dalton-in-Furness)のベックサイド(Beckside)に出生。
彼は、デンドロン(Dendron)の学校へ通ったものの、学業に無関心だったため、11歳で勉学を止めて、父親の徒弟となった。彼は、製図や家具製作等に才能の片鱗を見せたので、15歳の時、地元の時計職人のジョン・ウィリアムスン(John Williamson)から絵画を非公式に習う。
1755年(21歳)に、ジョージ・ロムニーは、ケンダル(Kendal)へ行き、地元の肖像画家であるクリストファー・スティール(Christopher Steele)の弟子となり、絵画を正式に学び始める。費用は、彼の父ジョン・ロムニーが負担した。
彼は、見習い期間中に病気に罹り、女家主の娘であるメアリー・アボット(Mary Abbot)に手厚く看護されたことが縁となり、1756年に2人は結婚し、同年に長男ジョンが生まれている。
翌年の1757年に、ジョージ・ロムニーは、クリストファー・スティールとの師弟関係を解消。その頃には、彼は、地元ケンダルの後援者の間で、肖像画家 / 風景画家 / 歴史画家として有名になりつつあった。
1760年には、ジョージ・ロムニーと妻メアリー・アボットの間に、2人目の子供で、長女のアンが生まれたが、1762年3月、彼は、歴史画家として成功することを夢見て、妻メアリー・アボットと2人の子供(ジョン+アン)を地元ケンダルに残し、単身ロンドン へと向かった。
ちなみに、その後、深刻な体調不良に陥り、肖像画の仕事を縮小して、1799年の夏に地元ケンダルへ戻るまで、彼は、家族とは一度も会わないままだった。なお、長女のアンは、ジョージ・ロムニーが単身ロンドンへ向かった1762年の翌年(1763年)に、幼くして世を去っている。



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