2026年5月14日木曜日

ロンドン バンヒルフィールズ(Bunhill Fields)- その3

バンヒルフィールズ内にある
ダニエル・デフォーのお墓(その1)
<筆者撮影>

バンヒルフィールズ(Bunhill Fields)には、1827年8月12日に亡くなった英国の詩人、画家で、銅版画職人でもあったウィリアム・ブレイク(William Blake:1757年ー1827年 → 2023年5月15日付ブログで紹介済)のお墓(→ 2026年5月7日付ブログで紹介済)の他に、英国の著述家 / ジャーナリストで、小説「ロビンスン・クルーソー(Robinson Crusoe)」を執筆したことで知られているダニエル・デフォー(Daniel Defoe:1660年ー1731年)のお墓もある。

バンヒルフィールズ内にある
ダニエル・デフォーのお墓(その2)
<筆者撮影>

ダニエル・デフォーのお墓も、ウィリアム・ブレイクのお墓と同様に、シティーロード(City Road)側の入口からバンヒルフィールズへ入った場合、暫く直進して、右側の墓地を回り込んだ場所にある。


シティーロードの反対側から見たバンヒルフィールズの入口
<筆者撮影>


バンヒルフィールズの入口から墓地エリアへ入ったところ
<筆者撮影>

バンヒルフィールズの墓地エリアの右側部分(その1)
<筆者撮影>


バンヒルフィールズの墓地エリアの右側部分(その2)-
ダニエル・デフォーのお墓は、右奥へ回り込んだ場所にある。
<筆者撮影>


ダニエル・デフォーの本名はダニエル・フォー(Daniel Foe)で、1660年、獣脂蠟燭製造業者であるジェイムズ・フォー(James Foe) の息子として、ロンドンに出生。

ダニエル・デフォーは、著作活動に入る前に、様々な商業活動に従事して、巨万の富を築いたり、破産したりと、浮き沈みの激しい実生活を送った。

上記のような商業活動をを経て、ダニエル・デフォーは、パンフレット作者 / ジャーナリストとなり、その後、作家活動に入った。

ダニエル・デフォーは、貴族的な響きを持つ「De」を姓の「Foe」に付けて、「ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)」をペンネームとした。これは、本名の姓である「Foe」が「敵 / 仇 / 敵対者 / 障害」と言った負の意味を有することを、本人が嫌ったためだとされている。


バンヒルフィールズ内の案内板(その1)
<筆者撮影>


バンヒルフィールズ内の案内板(その2)
<筆者撮影>


ダニエル・デフォーは、1719年(59歳)に「ロビンスン・クルーソー」を出版して、大成功を収めた。翌年の1720年(60歳)に「海賊シングルトン(Captain Singleton)」と「ロビンスン・クルーソー反省録(
Serious Reflections During the Life and Surprising Adventures of Robinson Crusoe: With his Vision of the Angelick World)」を、1722年(62歳)に「ペスト(A Journal of the Plague Year)」、「ジャック大佐(Colonel Jack)」や「モル・フランダース(Moll Flanders)」を、そして、1724年(64歳)に「ロクサーナ(Roxana)」を出版。

1731年4月21日、ロンドンで亡くなった。享年71歳だった。


バンヒルフィールズ内にある
ダニエル・デフォーのお墓のオベリスク部分 -
「DANIEL DEFOE
BORN 1661
DIED 1731
AUTHOR OF
ROBINSON CRUSOE」と
刻まれている。
<筆者撮影>


1732年12月に亡くなった妻のメアリー(Mary)も、ダニエル・デフォーと同じお墓に埋葬された。


バンヒルフィールズ内にある
ダニエル・デフォーのお墓の台座部分 -
1870年9月に設置された旨が記されている。
<筆者撮影>


1857年、もしくは、1858年の冬に落雷があり、ダニエル・デフォーが眠る墓石が破損。

そのため、1869年、ダニエル・デフォー用に新たなお墓をつくる運動が起き、大理石によるオベリスク(obelisk)形の墓石がデザインされ、ボーンマス(Bournemouth)の彫刻家サミュエル・ホーナー(Samuel Horner)がこれを制作。

1870年9月16日に、ダニエル・デフォーの子孫を招いて、除幕式が行われた。


左側がダニエル・デフォーのお墓で、
右側がウィリアム・ブレイクのお墓。
<筆者撮影>


現在、ダニエル・デフォーのお墓は、ウィリアム・ブレイクのお墓に隣り合うように建っている。


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