2026年5月12日火曜日

ロンドン ハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate)- その1

ヴァージニア・ウルフが生まれた
ハイドパークゲイト通り22番地の建物全景
<筆者撮影>

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle::1859年ー1930年)作「マスグレイヴ家の儀式書(The Musgrave Ritual)」の冒頭、シャーロック・ホームズがジョン・H・ワトスンに対して語ったように、ホームズは、大学卒業後、ロンドンに移り、モンタギューストリート(Montague Street → 2014年5月25日付ブログで紹介済)に部屋を借りて、諮問探偵を開業したが、残念ながら、数ヶ月経過しても、1件の仕事依頼も持ち込まれなかった。そこで、ホームズは、この暇な時間を有効活用すべく、将来役に立ちそうな学問の勉強のために、近所にある大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の「円形閲覧室(Round Reading Room → 2026年5月6日付ブログで紹介済)」へ足繁く通った。


「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の
1893年5月号「マスグレイヴ家の儀式書」に掲載された挿絵 -
ジョン・H・ワトスンが、
事件解決後の倦怠期に入ったシャーロック・ホームズに対して、
部屋の住み心地を良くするために、室内の整理を提案した。
すると、少し悲しそうな顔をしたホームズは、寝室へ姿を消すと、
大きなブリキの箱を引っ張り出して来た。
ホームズは、ブリキの箱を部屋の真ん中に置き、
丸椅子に座ると、箱の蓋を開けた。
ブリキの箱の中には、ホームズが解決した
初期の事件の記録が入っていたのである。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


今回から、「円形閲覧室」において言及したヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf:1882年ー1941年)が住んだロンドンの住居について、一軒ずつ紹介していきたい。


大英博物館 / 円形閲覧室の内部
<筆者撮影>


英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフは、大英博物館周辺に住み、1905年、姉で、英国の画家 / インテリアデザイナーであるヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell:1879年ー1961年)達と一緒に、「ブルームズベリーグループ(Bloomsbury )」と呼ばれる著述家や芸術家の知的サークルを結成して、20世紀モダニズム文学の主要な作家の一人として、重要な役割を果たしている。


大英博物館 / 円形閲覧室内に置かれているヴァージニア・ウルフの説明板
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフが生まれたハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate)は、ロンドンの中心部にあるケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のブロンプトン地区(Brompton)内に所在している。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ブロンプトン地区の地図を抜粋。


ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)/ ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens → 2026年1月31日付ブログで紹介済)を右手に見て、地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)から地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station → 2016年6月25日付ブログで紹介済)へと向かって西に延びるケンジントンロード(Kensington Road)を進む。


ケンジントロードを曲がり、
ハイドパークゲイト通りへと入ったところ
<筆者撮影>


そして、進行方向左手に見えるロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall → 2016年2月20日付ブログで紹介済)を過ぎた後、ケンジントンロードを左折して、ハイドパークゲイト通り(Hyde Park Gate)へと入る。ハイドパークゲイト通りを南下して、行き止まる手前の左手に建っているのが、ハイドパークゲイト通り22番地の住居である。


ハイドパークゲイト通り22番地の建物の反対側から
ハイドパークゲイト通りの行き止まりを見たところ
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフ(本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen))は、1882年1月25日、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)と初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1st Baronet:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付ブログで紹介済)等のラファエル前派(Pre-Raphaelite)のモデルとして知られている母ジュリア・プリンセップ・ジャクスン(Julia Prinsep Jackson:1846年ー1895年)の次女として出生。
なお、長女は、前述の通り、ヴァネッサである。


ハイドパークゲイト通り22番地の建物入口
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフの両親は共に再婚で、スティーヴン一家には、3つの婚姻による8人の子供が居た。


<サー・レスリー・スティーヴンと前妻ハリエット・マリアン・サッカレー(Harriet Marian Thackeray:1840年ー1875年)の子供>

(1)ローラ・メイクピース・スティーヴン(Laura Makepeace Stephen:1870年ー1945年)


<ジュリア・プリンセップ・ジャクスンと前夫ハーバート・ダックワース(Herbert Duckworth:?ー1870年)の子供>

(2)ジョージ(George:1868年ー1934年)

(3)ステラ(Stella:1869年ー1897年)

(4)ジェラルド(Gerald:1870年-1937年)


<サー・レスリー・スティーヴンとジュリア・プリンセップ・ジャクスンの子供>

(5)ヴァネッサ(1879年ー1961年)

(6)トビー(Thoby:1880年ー1906年)

(7)ヴァージニア(1882年ー1941年)

(8)エイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)


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