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| ヴァージニア・ウルフが生まれた ハイドパークゲイト通り22番地の建物全景 <筆者撮影> |
ホームズが足繁く通った「円形閲覧室」があった大英博物館周辺に住んだヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年)は、1882年1月25日、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)と初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1st Baronet:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付ブログで紹介済)等のラファエル前派(Pre-Raphaelite)のモデルとして知られている母ジュリア・プリンセップ・ジャクスン(Julia Prinsep Jackson:1846年ー1895年)の次女として、ハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate)に出生。
ヴァージニア・ウルフの両親は共に再婚で、サー・レスリー・スティーヴンには、1875年に亡くなった前妻との間に、娘1人が、また、ジュリア・プリンセップ・ジャクスンには、1870年に亡くなった前夫との間に、息子2人と娘1人が居た。
そして、サー・レスリー・スティーヴンとジュリア・プリンセップ・ジャクスンの間に、息子2人と娘2人が生まれた。5番目の子供で、夫妻にとって長女となるヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell:1879年ー1961年)は、後に英国の画家 / インテリアデザイナーとなり、妹ヴァージニア・ウルフ達と一緒に、1905年に「ブルームズベリーグループ(Bloomsbury )」と呼ばれる著述家や芸術家の知的サークルを結成することになる。ヴァージニア・ウルフは、7番目の子供で、夫妻にとっては次女となる。
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| ハイドパークゲイト通り22番地の建物前から 北側(ハイドパークゲイト通りの入口)を見たところ <筆者撮影> |
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| ハイドパークゲイト通り22番地の建物を見上げたところ <筆者撮影> |
また、母親のジュリア・プリンセップ・ジャクスンの一族から、ヴィクトリア朝社会に名を馳せた美女を輩出しており、本人も「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)の画家達や写真家達のモデルを務めた関係で、知己に恵まれていた。
その結果、ヴァージニア・ウルフは、文学に造詣が深く、豊かな人脈を知己に持つ両親の下で育った。
更に、スティーヴン家の書斎には、膨大な蔵書があり、ヴァージニア・ウルフは、姉のヴァネッサと一緒に、古典や英国文学を書物から学んだ。
一方、長男のトビー(Thoby:1880年ー1906年)と次男のエイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)は、正規の教育を受けて、ケンブリッジ大学(University of Cambridge)へ進学しており、ヴァージニア・ウルフは、当時の男女不平等な慣習に対して、非常に悔しい思いを抱いていた。
ヴァージニア・ウルフが13歳になった1895年に、母親のジュリアが48歳で急死し、ヴァージニア・ウルフが15歳になった1897年に、異父姉ステラ(Stella:1869年ー1897年)が亡くなったことに伴い、彼女は神経衰弱を発病した。
にもかかわらず、ヴァージニア・ウルフは、1897年から1901年にかけて、キングス カレッジ ロンドン(King’s College London)の女子学部で、ギリシア語、ラテン語、ドイツ語と歴史を履修し、いくつかの課程で学位レベルまで修めた。姉のヴァネッサも、キングス カレッジ ロンドンの女子学部において、ラテン語、イタリア語と建築を学んだ。
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| ハイドパークゲイト通り22番地の建物外壁には、 (1)父サー・レスリー・スティーヴン、 (2)姉ヴァネッサ・ベルと (3)妹ヴァージニア・ウルフの 3人分のブループラークが掛けられている。 <筆者撮影> |
ハイドパークゲイト通り22番地の建物の1階(GF)の外壁には、
(1)サー・レスリー・スティーヴン(London City Council 制作)
(2)ヴァネッサ・ベル(非公認のものと思われる)
(3)ヴァージニア・ウルフ(非公認のものと思われる)
の3つのブループラークが掛けられている。
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| ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で所蔵 / 展示されている ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルの肖像画 (by Sir William Orpen / 1916年 / Oil on canvas) <筆者撮影> |
ヴァージニア・ウルフが生まれたハイドパークゲイト通り22番地の右斜め前にあるハイドパークゲイト通り28番地の建物には、英国の政治家、軍人、従軍記者、作家であるウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill:1874年ー1965年)が住んでおり、ここで亡くなっている。
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| ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルが亡くなった ハイドパークゲイト通り28番地の建物全景 <筆者撮影> |
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| ハイドパークゲイト通り28番地の建物外壁には、 ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルが住み、 ここで亡くなったことを示すブループラークが掛けられている。 <筆者撮影> |








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