アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1933年に発表したエルキュール・ポワロシリーズの長編(第7作目)「エッジウェア卿の死」(Lord Edgware Dies - 米国版タイトル:Thirteen at Dinner(晩餐会の13人) → 2015年3月19日 / 3月29日付ブログで紹介済)は、エルキュール・ポワロとアルゼンチンから一時帰国したアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)の2人が、米国からロンドン/パリ公演ツアーに来ている女芸人カーロッタ・アダムズ(Carlotta Adams)の舞台を観たところから、その物語が始まる。
背景や衣装等を必要としない彼女の「人物模写演技」は完璧で、一瞬で顔つきや声音等を変えて、その人自身になりきるのであった。第4代エッジウェア男爵ジョージ・アルフレッド・セント・ヴィンセント・マーシュ(George Alfred St. Vincent Marsh, 4th Baron Edgware)/ エッジウェア卿(Lord Edgware)と結婚している米国出身の舞台女優ジェーン・ウィルキンスン(Jane Wilkinson)の物真似に関しても見事の一言で、ポワロは深く感銘を受ける。
更に、驚くことには、ポワロとヘイスティングス大尉の真後ろの席には、ジェーン・ウィルキンスン本人と映画俳優のブライアン・マーティン(Bryan Martin)の2人が、カーロッタ・アダムズによるジェーン・ウィルキンスンの人物模写演技を楽し気に観劇していた。
女芸人カーロッタ・アダムズによる舞台が終わった後、ポワロとヘイスティングス大尉は、サヴォイホテル(Savoy Hotel → 2016年6月12日付ブログで紹介済)へと移動して、夕食をとる。
その夕食の途中、ブライアン・マーティンと一緒に居たジェーン・ウィルキンスンが、ポワロの席を訪れて、内密の会話を求める。
ジェーン・ウィルキンスンが宿泊している同ホテル3階にある彼女の部屋へと移動した後、彼女から「離婚話に応じない夫を説得してもらいたい。」という依頼を受けたポワロが、その2-3日後、リージェントゲート(Regent Gate → 2025年3月23日付ブログで紹介済)にあるエッジウェア卿の邸を訪問したところ、彼は「6ヶ月も前に、離婚に同意する旨を彼女宛に手紙で既に伝えた。」と答えるのであった。話のくい違いに納得がいかないポワロであったが、そのまま帰宅せざるを得なかった。
エッジウェア卿邸を出たその足で、ポワロとヘイスティングス大尉の2人は、サヴォイホテルへと赴き、ジェーン・ウィルキンスンと面会するものの、彼女曰く、「夫からそのような手紙を受け取っていない。」とのことだった。
更に、ポワロ達は、ジェーン・ウィルキンスンから、「夫との離婚が成立でき次第、現在交際しているマートン公爵(Duke of Merton)との再婚を考えている。」と告げられた。
その翌朝(6月30日の午前9時半)、スコットランドヤードのジャップ警部(Inspector Japp)が、ポワロの元を訪れる。
ジャップ警部から、ポワロとヘイスティングス大尉の2人は、「前夜、エッジウェア卿が、リージェントゲートの自邸の書斎において、頸部を刺され、殺害された。」と知らされる。
エッジウェア卿の執事であるアルトン(Alton)と秘書であるミス・キャロル(Miss Carroll)は、「事件があった当夜の午後10時頃、ジェーン・ウィルキンスンがエッジウェア卿を訪ねて来たので、書斎へと通した」ことを証言する。
ところが、ジェーン・ウィルキンスンは、「夫が殺された当夜、テムズ河(River Thames)畔のチジック地区(Chiswick → 2016年7月23日付ブログで紹介済)内に邸宅を所有しているサー・モンタギュー・コーナー(Sir Montague Corner)が開催した盛大な晩餐会に出席していた。」と答え、また、その晩餐会に出席していた他の客達も、彼女がその場に居たことを認めた。つまり、妻で、一番疑わしいジェーン・ウィルキンスンには、アリバイがあったのだ。
ジェーン・ウィルキンスン以外にも、エッジウェア卿を嫌っていた人物は、複数居た。
一人目が、エッジウェア卿の甥であるロナルド・マーシュ(Ronald Marsh)で、 お金に困っている上に、エッジウェア卿のタイトルを狙っていた。
二人目は、エッジウェア卿の先妻の娘であるジェラルディン・マーシュ(Geraldine Marsh)で、 父親であるエッジウェア卿に追い出された後、不遇の死を遂げた母親のことで、父親を恨んでいた。
ポワロは、人物模写演技を得意とする女芸人のカーロッタ・アダムズであれば、事件当夜にリージェントゲートにあるエッジウェア卿の自邸を訪れたと執事と秘書が証言したジェーン・ウィルキンスンに成り済ますことができたのではないかと考えるが、今度は、スローンスクエア(Sloane Square)に住むカーロッタ・アダムズが、ベロナールの過剰摂取により亡くなっていることが発見される。
何者かの指示に基づき、カーロッタ・アダムズは、ジェーン・ウィルキンスンに成り済まして、リージェントゲートにあるエッジウェア卿の自邸を訪れ、彼を殺害したのだろうか?
そして、それを隠そうとする何者かによって、カーロッタ・アダムズは、過剰のベロナールを服用させられて、殺されたのか?
人物模写演技を得意とする女芸人で、ベロナールの過剰摂取により亡くなっていることが発見されたカーロッタ・アダムズが住んでいたスローンスクエアは、ロンドンの中心部ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea)内に所在する広場である。
スローンスクエアは、元々、英国の建築家であるヘンリー・ホーランド父(Henry Holland Senior)とヘンリー・ホーランド子(Henry Holland Junior:1745年ー1806年)が1771年に開発した「ハンスタウン(Hans Town)」を起源とする。
イングランド系アイルランド人の内科医である初代準男爵ハンス・スローン(Sir Hans Sloane, 1st Baronet:1660年ー1753年)が同地を所有していたことに因んで、「スローンスクエア」と呼ばれるようになった。
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スローンスクエアの中央に設置されている 噴水「ヴィーナスの泉」(その1) |
スローンスクエアは、現在、環状交差点(roundabout)となっており、中央に公園が整備されている。その公園の中央には、「ヴィーナスの泉(The Venus Fountain)」と言う噴水が所在している。
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スローンスクエアの中央に設置されている 噴水「ヴィーナスの泉」(その2) |
噴水の真ん中にあるヴィーナス(愛と美の女神)像は、英国の彫刻家であるギルバート・レドワード(Gilbert Ledward:1888年ー1960年)によって、1953年に設置された。「ヴィーナスの泉」は、2006年に「グレードⅡ(Grade II)」の指定を受けている。
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画面奥に建っているのが、デパート「ピーター・ジョーンズ」で、 画面左奥へと延びている通りが、キングスロード(King's Road)である。 |
スローンスクエアの西側には、デパート「ピーター・ジョーンズ(Peter Jones)」が建っている。
同デパートは、ニュージーランド生まれの建築家であるレジナルド・ハロルド・ユーレン(Reginald Harold Uren:1906年ー1988年)によって1936年に設計され、現在、「グレードⅡ(Grade II)」の指定を受けている。
デパート「ピーター・ジョーンズ」は、デパート「ジョン・ルイス(John Lewis)」の姉妹店である。
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キングスロードの東側の起点に該るスローンスクエアの南西の角には、 デパート「ピーター・ジョーンズ」が建っている。 |
スローンスクエアの東側には、地下鉄のサークルライン(Circle Line)/ ディストリクトライン(District Line)が停まる地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)が所在している。

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