2024年10月3日木曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その21B

ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
ミス・マープルシリーズの連作短編集「ミス・マープルと十三の謎
<米題:火曜クラブ>」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

ミス・マープルの甥であるレイモンド・ウェスト

(Raymond West → 2024年8月12日付ブログで紹介済)が、

彼女の家を借りて、火曜クラブを主催しているシーンが描かれている。

画面手前の左側の事物がミス・マープルであることは間違いないが、

画面手前の右側の人物がレイモンド・ウェストではないだろうか?

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「ミス・マープルと13の謎<米題:火曜クラブ>」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

飲み物のグラスの形に切り取られているものが使用されている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1932年に発表したミス・マープルシリーズ作品の短編集「ミス・マープルと13の謎(The Thirteen Problems)<米題:火曜クラブ( The Tuesday Club Murders)>」の場合、書籍として出版された順番で言うと、長編第1作目に該る「牧師館の殺人(The Murder at the Vicarage → 2022年10月30日 / 10月31日付ブログで紹介済)」が、ミス・マープルの初登場作品である。

ただし、厳密に言うと、「火曜クラブ/ 火曜ナイトクラブ(The Tuesday Night Club)」を皮切りに、1927年12月から雑誌「スケッチ誌」に掲載された短編の方が、ミス・マープルの初登場作品である。「牧師館の殺人」に遅れること、2年後の1932年に、雑誌「スケッチ誌」に連載された短編12作と加筆された1作の合計13作がまとめられて、短編集「ミス・マープルと13の謎<米題:火曜クラブ>」として出版されている。


短編集「ミス・マープルと13の謎<米題:火曜クラブ>」には、13編が収録されているが、前半に該る「第1話 - 第6話」は、以下の通り。


・第1話「火曜クラブ / 火曜ナイトクラブ(The Tuesday Night Club)」 → 実質的には、本編が、ミス・マープルの初登場作品である。

・第2話「アスタルテの祠 / アスターテの祠(The Idol House of Astarte)」

・第3話「金塊事件 / 金塊(Ingots of Gold)」

・第4話「舗道の血痕 / 血に染まった敷石(The Bloodstained Pavement)」

・第5話「動機対機会(Motive v Opportunity)」

・第6話「聖ペテロの指のあと / 聖ペテロの指の跡(The Thumb Mark of St Peter)」


上記の計6話の場合、セントメアリーミード村(St. Mary Mead)にあるミス・マープルの家を、彼女の甥であるレイモンド・ウェスト(Raymond West → 2024年8月12日付ブログで紹介済)が借りて主催する火曜クラブが、物語の舞台となる。


登場人物は、以下の6名。


*ミス・マープル

*レイモンド・ウェスト:作家で、火曜クラブの発案者

*ジョイス・ランプリエール(Joyce Lempriere):女流画家

*サー・ヘンリー・クリザリング(Sir Henry Clithering → 2024年8月20日付ブログで紹介済):スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の元警視総監

*ペンダー博士(Dr. Pender):教区の老牧師

*ペサリック氏(Mr. Petherick):弁護士


上記6名の登場人物が、自分だけが真相を知っている迷宮入り事件、もしくは、それに類するものの内容について、他の5名に対して話をする(第1話:サー・ヘンリー・クリザリング / 第2話:ペンダー博士 / 第3話:レイモンド・ウェスト / 第4話:ジョイス・ランプリエール / 第5話:ペサリック氏 / 第6話:ミス・マープル)。そして、話を聞いたメンバーが真相を推理するものの、誰も真相に到達できないが、結局のところ、どの事件に関しても、ミス・マープルだけが、謎を解いてしまうと言う展開になっている。


(59)トライフル(trifle)



第1話「火曜クラブ / 火曜ナイトクラブ」の場合、ジョーンズ夫妻(Mr. and Mrs. Jones)と夫人のコンパニオン(家政婦を兼ねた話相手)であるミス・クラーク(Miss Clark)の3人が、夕食後に苦しみだし、その後、ジョーンズ夫人が亡くなると言う事件が対象となる。

当初、ジョーンズ夫人の死因は食中毒によるものと思われたが、検死の結果、夫人の体内から、砒素が検出されて、殺人事件へと発展するのである。

夕食に供されたのは、缶詰のエビとサラダ、トライフル、パンとチーズだけであったが、サー・ヘンリー・クリザリングから話を聞いたミス・マープルは、トライフルにのせる飾り砂糖の中に、砒素が混入されたことを見抜く。


(60)アスタルテの像(statue of Astarte)



第2話「アスタルテの祠 / アスターテの祠」の場合、ダートムーア(Dartmoor)の外れにある不吉な噂が付き纏う屋敷を購入したサー・リチャード・ヘイドン(Sir Richard Haydon)の従兄弟であるエリオット・ヘイドン(Elliot Haydon)が、いわく付きのアスタルテの祠(grove of Astarte)において、サー・リチャード・ヘイドンや他の招待客達の面前で、何者かに刺殺されると言う事件が対象となる。

原作によると、アスタルテは、フェニキア人が信仰した月の女神で、三日月形の角を生やして、ライオンに跨がっていると記述されているが、残念ながら、ジズソーパズル上、そのようには描かれていない。


(61)なまの鱈(a fresh haddock)



第6話「聖ペテロの指のあと / 聖ペテロの指の跡」の場合、ミス・マープルの姪であるメイベル(Mabel)に、夫のジェフリー・デンマン(Geoffrey Denman)殺しの噂がたったため、姪の名誉を守るため、ミス・マープルが真相を調べる事件が対象となる。

真相の解明にやや苦戦するミス・マープルだったが、魚屋の店の窓に、一匹のなまの鱈が飾ってあるのを見かけ、「聖ペテロの親指のあと」と言われる鱈の黒い斑点から、真相の解明に至るのである。


                                       

2024年10月2日水曜日

ミス・マープルの世界<ジグソーパズル>(The World of Miss Marple )- その21A

英国の Orion Publishing Group Ltd. から2024年に発行されている「ミス・マープルの世界(The World of Miss Marple)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているミス・ジェイン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズの登場人物や各作品に関連した68個の手掛かりについて、前回に引き続き、順番に紹介していきたい。


今回も、ミス・マープルが登場する作品に関連する手掛かりの紹介となる。


(59)トライフル(trifle)



トライフル(ブドウ酒に浸してたカステラ菓子)が載った器が、ジズソーパズルの左下に立つドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)と夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)の右手前にあるテーブルの上、真ん中に置かれている。


(60)アスタルテの像(statue of Astarte)



アスタルテの像が、ジズソーパズルの中央上部に設置されている煉瓦塀の前に置かれている。


(61)なまの鱈(a fresh haddock)



ジズソーパズルの下に立つレイコック(Laycock:ミス・マープルの庭を剪定する年配の庭師 → 2024年8月10日付ブログで紹介済)が、鱈を両手に抱えている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1932年に発表したミス・マープルシリーズ作品の短編集「ミス・マープルと13の謎(The Thirteen Problems)<米題:火曜クラブ( The Tuesday Club Murders)>」である。

「ミス・マープルと13の謎<米題:火曜クラブ>」は、アガサ・クリスティーによる4番目の短編集で、ミス・マープルが登場する連作短編13作が収録されているが、今回は、短編集の前半に該る「第1話 - 第6話」が対象となる。


ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
ミス・マープルシリーズの連作短編集「ミス・マープルと十三の謎
<米題:火曜クラブ>」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

ミス・マープルの甥であるレイモンド・ウェスト

(Raymond West → 2024年8月12日付ブログで紹介済)が、

彼女の家を借りて、火曜クラブを主催しているシーンが描かれている。

画面手前の左側の事物がミス・マープルであることは間違いないが、

画面手前の右側の人物がレイモンド・ウェストではないだろうか?

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「ミス・マープルと13の謎<米題:火曜クラブ>」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

飲み物のグラスの形に切り取られているものが使用されている。


                       

2024年10月1日火曜日

ジョスリン・バーバラ・ヘップワース(Jocelyn Barbara Hepworth)- その1

テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)で購入した
ジョスリン・バーバラ・ヘップワースの写真
「Barbara Hepworth in her Mall Studio, London」(1933年)
The de Laszlo Collection of Paul Laib Negatives /
Witt Library / The Courtauld Institute of Art, London /
The Hepworth Photograph Collection /
David Lambert and Rod Tidnam / Tate Photography


今回は、英国の芸術家 / 彫刻家であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年)について、紹介したい。

彼女は、英国コンウォール州(Cornwall)にあるセントアイヴス(St. Ives)に住む芸術家のコミュニティーにおいて、主導的な役割を果たした人物である。


ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、土木技師(civil engineer)である父ハーバート・ヘップワース(Herbert Hepworth)と母ガートルード・ヘップワース(Gertrude Hepworth)の長子(長女)として、1903年1月10日、ヨークシャー州(Yorkshire)のウェイクフィールド(Wakefield)に出生。

彼女は、ウェイクフィールド女子高等学校(Wakefield Girls’ High School)で学んだ後、奨学金を得て、1920年からリーズ美術学校(Leeds School of Art)へ通った。ここで、彼女は、将来、20世紀の英国を代表する芸術家 / 彫刻家となるヘンリー・スペンサー・ムーア(Henry Spencer Moore:1898年ー1986年)と同窓になる。2人は友人となり、友好的なライバル関係は、長年にわたって続くことになる。

男性優位な環境下にもかかわらず、彼女は、再度、奨学金を得ると、1921年からロンドンの王立美術カレッジ(Royal College of Art (RCA))で学び、1924年に学位を取得している。


王立美術カレッジの学位取得後、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、留学奨学金を得て、1924年にイタリアのフィレンツェ(Florence)へ向かった。

留学先のフィレンツェにおいて、彼女は、ローマ賞(Prix-de-Rome)の次点になったが、優勝は、英国の彫刻家であるジョン・ラッテンベリー・スキーピング(John Rattenbury Skeaping:1901年ー1980年)が手にした。

2人は、シエナ(Sienna)とローマ(Rome)を一緒に旅行した後、フィレンツェに戻り、1925年5月13日に結婚する。

結婚後、彼女は、同地において、彫刻家であるジョヴァンニ・アルディーニ(Giovanni Ardini)に師事して、大理石彫刻を学んだ。


ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとジョン・ラッテンベリー・スキーピングの2人は、1926年に英国へ戻り、ロンドンのフラットに住居を構えると、そこで共同個展を開催。

そして、1929年には、2人の間に、長男のポール(Paul)が生まれた。


1931年に、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、英国の抽象画家であるベンジャミン・ローダー・ニコルスン(Benjamin Lauder Nicholson:1894年ー1982年)と出会い、不倫関係となるが、ジョン・ラッテンベリー・スキーピングとの婚姻関係はそのまま維持。

ただ、その2年後の1933年に、彼女は、ジョン・ラッテンベリー・スキーピングに対して、離婚を申し出て、同年3月に離婚するのである。