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ギルドホールアートギャラリーが所蔵 / 展示する作品のうち、特に目玉となるのが、 ボストン出身の画家であるジョン・シングルトン・コプリーによる絵画 「ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月」(1783年)である。 |
ロンドン市長(Mayor of London)とは別に、もう一人のロンドン市長、つまり、自治権を有するシティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の市長(Lord Mayor of London)による行政の拠点となる市庁舎「ギルドホール(Guildhall)」に隣接して建つ「ギルドホールアートギャラリー (Guildhall Art Gallery)」は、シティー・オブ・ロンドンが所有する約4000点に及ぶ絵画や彫刻作品等を所蔵 / 展示している。
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ギルドホールアートギャラリーの2階フロアから、 ジョン・シングルトン・コプリー作「ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月」へ向かう。 |
ギルドホールアートギャラリーの所蔵 / 展示作品のうち、特に目玉となるのは、ジョン・シングルトン・コプリー(John Singleton Copley:1738年ー1815年)による絵画「ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月(the Defeat of the Floating Batteries at Gibraltar, September 1782)」(1783年)である。
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ジョン・シングルトン・コプリー作「ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月」は、 英国最大級の作品で、これを展示するために、 ギルドホールアートギャラリー は、吹き抜け様式に設計された。 |
ジョン・シングルトン・コプリーは、1738年7月3日、ボストン(Boston)に出生。
1750年頃に、母親が版画家と再婚した後、彼は義理の父親から絵画を学ぶ。そして、1766年に、ロンドンの展覧会に「少年とリス(Boy with Squirrell)」を出品して、賞賛を受けた。
アメリカ独立戦争(American War of Independence:1775年ー1783年)の開戦が近付く1774年に、ジョン・シングルトン・コプリーは英国へと渡り、その後、家族を呼び寄せて、ロンドンに定住。
ロンドンにおいて、ジョン・シングルトン・コプリーは、アメリカ出身の歴史画家であるベンジャミン・ウェスト(Benjamin West:1738年-1820年)と親しくなり、彼の影響を受けて、肖像画から歴史画への転換を図る。
1799年には王立芸術院(Royal Academy of Arts)の会員となるが、1815年9月9日に、ロンドンで没している。
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ジョン・シングルトン・コプリー作「ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月」を 右下から見上げたところ |
ジョン・シングルトン・コプリーが1783年に描いた「ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月」は、アメリカ独立戦争期間中に、英国とフランス / スペインの間で行われた「ジブラルタル包囲戦(Great Siege of Gibraltar:1779年6月24日ー1783年2月7日)」を題材にしている。
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ジョン・シングルトン・コプリー作「ジブラルタル浮き砲台の敗北、1782年9月」を 左下から見上げたところ |
フランスとスペインは、失った領土を取り戻すべく、アメリカ独立戦争中の英国に対して、宣戦を布告。ジブラルタルは、英国による地中海支配の要であったため、ジブラルタルの英国からの奪取を狙った。
ジブラルタル包囲戦における最大の戦いは、1782年9月13日に行われたもので、10万人の兵士と48隻の艦船から成るフランス・スペイン連合軍が英国軍を包囲して攻撃を仕掛けた。この時、スペイン軍は、筏に湿った砂を充填した新兵器「浮き砲台」を使って、ジブラルタルに接近し、正確な砲撃を行おうとしたが、ジョージ・オーガスタス・エリオット(George Augustus Eliott:1717年ー1790年)将軍が率いる英国軍は、炉で熱した砲弾を浴びせて、撃退。その結果、フランス・スペイン連合軍によるジブラルタル奪取は、不成功に終わった。
こうして、英国軍は、4年近い包囲に耐え抜き、1783年2月、フランス・スペイン連合軍による包囲は、遂に解かれることとなった。
上記の功績により、ジョージ・オーガスタス・エリオット将軍は、ジブラルタルの初代ヒースフィールド男爵(1st Baron Heathfield)に叙せられるとともに、ジブラルタルは、難攻不落の要塞として、その名を轟かせることになったのである。
