2025年5月12日月曜日

コナン・ドイル作「緑柱石の宝冠」<小説版>(The Beryl Coronet by Conan Doyle )- その4

英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年5月号に掲載された挿絵(その7) -
スレッドニードルストリートにあるホールダー&スティーヴンスン銀行の頭取を務めている
アレクサンダー・ホールダーから、
5万ポンドの融資の担保として、とある高貴な人物から預かった宝冠の一部が
ストリーサム地内の自宅から盗まれ、
彼の一人息子であるアーサー・ホールダーが犯人として、
警察に捕まったことを聞いたシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、
アレクサンダー・ホールダー邸を訪れ、
同居する養女のメアリーからも、昨夜の話を聞くのであった。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「緑柱石の宝冠(The Beryl Coronet)」の場合、アレクサンダー・ホールダー(Alexander Holder)と名乗る男性が、ベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れて、緊急の相談事にかかる説明を始める。


スレッドニードルストリート(Threadneedle Street → 2014年10月30日付ブログで紹介済)にあるホールダー&スティーヴンスン銀行(banking firm of Holder & Stevenson - シティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内では2番目に大きな民間銀行)の頭取を務めているアレクサンダー・ホールダーは、5万ポンドの融資の担保として、「世界中にその名前が知られていて、英国で最も上流で、高貴で、かつ身分の高い方の一人(it was a name which is a household word all over the earth - one of the highest, noblest, most exalted names in England)」から預かった貴重な緑柱石の宝冠を、銀行からテムズ河(River Thames)の南岸のストリーサム地区(Streatham → 2017年12月2日付ブログで紹介済)内の自宅へと持ち帰ると、自分の寝室の隣りにある衣装部屋(dressing-room)の書き物机(bureau)の中に宝冠を入れて、鍵をかけ、更に、家の戸締りの確認も、自分自身で行った。


その夜の午前2時頃、家の中で何かの物音がして、目を覚ましたアレクサンダー・ホールダーは、隣りの衣装部屋で足音がするのを聞いた。

彼がベッドからそっと抜け出して、衣装部屋を覗き込むと、そこには、シャツとズボンだけの格好で、靴も履いていない一人息子のアーサー・ホールダー(Arthur Holder)が、宝冠を両手に持って立っていたのである。アレクサンダー・ホールダーの目には、アーサーは、宝冠を捻るか、あるいは、曲げるかのような動作をしていた。

アレクサンダー・ホールダーが大声で咎めると、驚いたアーサーは、宝冠を手から取り落として、死人のように真っ青な顔で父親を振り返った。

アーサーが落とした宝冠を、アレクサンダー・ホールダーが急いで拾い上げ、確認したところ、緑柱石が3個付いていた金具ごと、折り取られていたのである。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年5月号に掲載された挿絵(その8) -
アレクサンダー・ホールダー邸から
ベーカーストリート221B への戻ったホームズは、
自分の部屋へ入り、数分後に、浮浪者の身なりでに出て来ると、
何処かへ出かけて行った。

アレクサンダー・ホールダーの話を聞き終えたホームズとジョン・H・ワトスンは、アレクサンダー・ホールダーと一緒に、ストリーサム地区にある彼の自宅へと赴くことに決めた。

アレクサンダー・ホールダー邸に着いたホームズは、家の中へ直ぐには入らないで、ワトスンとアレクサンダー・ホールダーの2人を玄関口に残したまま、まず最初に、家の周りや敷地内の厩舎へと続く小道等を念入りに調べ始める。

外での調べを終えて、家の中に入って来たホームズは、アレクサンダー・ホールダーの兄の娘で、兄が亡くなった後、彼の養女となっているメアリー(Mary)からも、昨夜の話を聞いた。


その後、ホームズは、2階へと上がり、アレクサンダー・ホールダーから鍵を借り受けると、衣装部屋の書き物机の中から問題の緑柱石の宝冠を取り出す。

ホームズが、宝冠の金具が折り取られていた部分に力を入れて曲げようとしたが、指の力が強いホームズを持ってしても、相当手間がかかりそうだった。ホームズ曰く、「宝冠の金具を折り取ると、拳銃を撃ったような音がする筈。そうだとすると、衣装部屋の隣りの部屋で居て、眠りが浅いあなた(アレクサンダー・ホールダー)に全然聞こえなかったと言うのは、説明がつかない。」とのこと。


再度、外の調査を終えたホームズが、アレクサンダー・ホールダーに対して、「明日の午前9時から午前10時の間に、ベーカーストリート221B へお越しいただければ、事件について、もっと詳しい御説明ができると思います。」と告げる。ホームズが既に事件の全容を解き明かしていることは、ワトスンの目には明らかだった。

ベーカーストリート221B に戻ったホームズは、自分の部屋へ入ると、数分後には、浮浪者に変装して出て来た。数時間して、ホームズは、一旦、戻って来たが、身なりを整えると、再び何処かへ出かけて行った。

事件の解決は、目前であった。


ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett:1933年ー1995年)を主人公のシャーロック・ホームズ役に据えて、英国のグラナダテレビ(Granada Television Limited)が TV ドラマ「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1984年ー1994年)を制作しているものの、残念ながら、「緑柱石の宝冠」に関しては、映像化されていない。


2025年5月11日日曜日

ハーマン・メルヴィル(Herman Melville)- その1

日本の出版社である岩波書店から、
岩波文庫として出版されている

ハーマン・メルヴィル作「白鯨(上)」の表紙
       カバーデザイン: 中野 達彦
 カバーカット: ロックウェル・ケント
(Rockwell Kent:1882年ー1971年 - 米国の画家 / イラストレーター)

主にデヴォン州(Devon)を舞台にした田園小説、戯曲や詩作で既に名を成した英国の作家であるイーデン・ヘンリー・フィルポッツ(Eden Henry Phillpotts:1862年ー1960年 → 2022年2月6日 / 2月13日付ブログで紹介済)が1922年に発表した推理小説「赤毛のレドメイン家(The Red Redmaynes → 2022年6月12日+2025年4月20日 / 4月21日 / 4月23日付ブログで紹介済)」の場合、過酷な勤務に明け暮れて、いささか疲れが溜まっていたスコットランドヤードの刑事であるマーク・ブレンドン(Mark Brendon - 35歳)が、休息と健康のため、デヴォン州(Devon)ダートムーア(Dartmoor)において、趣味のトラウト釣りに興じたり休暇(趣味のトラウト釣り)を過ごしているところから、物語が始まる。

そんな最中、マーク・ブレンドンが滞在するプリンスタウン(Princetown)において、殺人事件が発生する。

被害者の妻であるジェニー・ペンディーン(Jenny Pendean)から手助けを求める手紙を受け取った彼は、あまり気が進まなかったが、その日の釣りを諦めると、プリンスタウンのステーションコテージ3号に住む彼女の元を訪れた。ジェニー・ペンディーンの姿を見たマーク・ブレンドンは、驚きの余り、声を失った。彼女こそ、数日前に、夕焼けの中、彼がフォギンター採石場跡近くですれ違った鳶色の髪の美女だったのである。


ジェニーがマイケル・ペンディーン(Michael Pendean)と結婚する前に居たレドメイン家には、兄弟が4人居て、彼女は長男の一人娘だった。生憎と、彼女の父親は既に亡くなっていたため、彼女には、次男から四男までの叔父が3人健在と言うのが、現在の状況である。


*長男:ヘンリー・レドメイン(Henry Redmayne)- 英国に父親の代理店を設立して、羊毛販売を営む。

*次男:アルバート・レドメイン(Albert Redmayne)- 書籍蒐集家 / 現在は、引退して、イタリアに居住。

*三男:ベンディゴー・レドメイン(Bendigo Redmayne) - 貨物船の元船長 / 現在は、引退して、デヴォン州(Devon)に居住。

*四男:ロバート・レドメイン(Robert Redmayne)- 元大尉


先週、ジェニー・ペンディーンが郵便局から出て来た時、オートバイに乗ったロバート・レドメインと再会。彼は、終戦の数週間前にガス攻撃を受け、傷病兵として退役。それ以前にも、戦争神経症を患い、本人は軽症だと言うものの、直ぐに興奮し、それが極端だった。

戦友と会ってきたロバート・レドメインは、プリマスへ向かう予定だったが、マイケル / ジェニー・ペンディーン夫妻は、ロバート叔父を自分達のバンガローに滞在するよう、頼み込んだ。

ペンディーン夫妻宅に滞在することになったロバート・レドメインは、マイケル・ペンディーンと一緒に、日が長い中、フォギンター採石場跡でのバンガロー建設を楽しそうに進めた。


昨日、ロバート・レドメインとマイケル・ペンディーンは、早めのお茶の後、オートバイに2人乗りして、バンガローへ出かけた。ジェニー・ペンディーンは、同行しなかった。

ジェニー・ペンディーンから「夜半になっても、叔父ロバート・レドメインと夫マイケル・ペンディーンが、フォギンター採石場跡から戻って来ない。」と言う相談を受けたハーフヤード署長は、フォード巡査達を採掘場跡へ派遣。慌てて戻って来たフォード巡査によると、「バンガローが文字通り血の海です。」とのことだった。

フォード巡査の報告を聞いたハーフヤード署長は、車でフォギンター採石場跡へ向かった。バンガローの台所になる予定の部屋は凄まじく、台所へ入る裏口の横木にまで、血が飛び散っていたのである。


ジェニー・ペンディーンの話を総合すると、彼女の叔父であるロバート・レドメインが彼女の夫であるマイケル・ペンディーンを殺害したものと思われたが、マイケル・ペンディーンの死体は発見できず、また、ロバート・レドメインの行方は杳としてしれなかった。

マーク・ブレンドンは、プリンスタウン警察署に協力し、彼の精力、創意工夫の才、そして、経験を総動員の上、2人の発見に努めたが、どちらの生死も判らないままだった。


夫のマイケル・ペンディーンが行方不明となり、一人になったジェニー・ペンディーンは、2番目の叔父であるベンディゴー・レドメインの元で世話になっていることが判った。貨物船の船長を既に引退していたベンディゴー・レドメインは、デヴォン州ダートマス(Dartmouth → 2023年9月6日付ブログで紹介済)の先にある家「烏(カラス)の巣」に住んでいた。


ジェニー・ペンディーンからの手紙を受け取ったマーク・ブレンドンが、指定されたキングスウェア(Kingswear)のフェリー乗り場で待っていると、モーターボートが迎えに来る。

ジェニー・ペンディーンは、ベンディゴー・レドメインと彼のモーターボート操縦士であるジュゼッペ・ドリアの2人に世話になっていた。ジュゼッペ・ドリアは、イタリア / トリノ(Torino)の旧家の出身で、ギリシア彫刻のような美貌の持ち主だった。ジェニー・ペンディーンに想いを寄せていたマーク・ブレンドンは、自分のライバルとなりそうなジュゼッペ・ドリアに対して、競争心を掻き立てられる。


そんな最中、ベンディゴー・レドメイン邸「烏の巣」近辺に、赤毛のロバート・レドメインが姿を見せ、彼に海岸の洞窟へと呼び出されたベンディゴー・レドメインが殺害された。

マーク・ブレンドンは、ダートマス警察署のダマレル署長に協力して、事件を捜査するものの、またもや、ロバート・レドメインは行方知れずのままだった。


身を寄せるところを失ったジェニー・ペンディーンは、レドメイン家で唯一残った1番目の叔父であるアルバート・レドメインの世話になることに決まり、イタリアへと旅立ったが、イタリアのグリアンテ(Griante)のコモ湖(Lago di Como)畔に建つアルバート・レドメイン邸の近辺に、またもや、ロバート・レドメインが姿を現したのである。


イーデン・フィルポッツによる原作上、ジェニー・ペンディーンの2番目の叔父であるベンディゴー・レドメインは、貨物船の元船長と言うこともあって、メルヴィル作「白鯨」が愛読書と言う記述が見られる。


ハーマン・メルヴィル(Herman Melville:1819年ー1891年)は、米国の小説家 / 詩人であり、1851年に「白鯨(Moby-Dick of The Whale)」を発表。

彼は、当初、裕福な食料品輸入商の三男として出生したが、家の経済状態が悪化したため、創作活動を始めるまでに、銀行員、教員や船員等の職を転々とし、波乱の人生を歩む。また、彼は、生涯を通じて、文筆で身を立てることが叶わず、50歳近くになって、妻の親戚の伝手により、ニューヨーク税関の検査係の職に就いている。また、長男の自殺、自宅の焼失や次男の出奔等の不幸にも見舞われているのである。


2025年5月10日土曜日

エドワード7世(Edward VII)- その1

サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代国王となるエドワード7世の王太子時を
店名にしたパブ「プリンス・エドワード(The Pribce Edward)」。

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「緑柱石の宝冠(The Beryl Coronet)」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、11番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年5月号に掲載された。

同作品は、同年の1892年に発行されたホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


「緑柱石の宝冠」の場合、アレクサンダー・ホールダー(Alexander Holder)と名乗る男性が、ベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れて、緊急の相談事にかかる説明を始める。


スレッドニードルストリート(Threadneedle Street → 2014年10月30日付ブログで紹介済)にあるホールダー&スティーヴンスン銀行(banking firm of Holder & Stevenson - シティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内では2番目に大きな民間銀行)の頭取を務めているアレクサンダー・ホールダーは、5万ポンドの融資の担保として、「世界中にその名前が知られていて、英国で最も上流で、高貴で、かつ身分の高い方の一人(it was a name which is a household word all over the earth - one of the highest, noblest, most exalted names in England)」から預かった貴重な緑柱石の宝冠を、銀行からテムズ河(River Thames)の南岸のストリーサム地区(Streatham → 2017年12月2日付ブログで紹介済)内の自宅へと持ち帰ると、自分の寝室の隣りにある衣装部屋(dressing-room)の書き物机(bureau)の中に宝冠を入れて、鍵をかけ、更に、家の戸締りの確認も、自分自身で行った。


その夜の午前2時頃、家の中で何かの物音がして、目を覚ましたアレクサンダー・ホールダーは、隣りの衣装部屋で足音がするのを聞いた。

彼がベッドからそっと抜け出して、衣装部屋を覗き込むと、そこには、シャツとズボンだけの格好で、靴も履いていない一人息子のアーサー・ホールダー(Arthur Holder)が、宝冠を両手に持って立っていたのである。アレクサンダー・ホールダーの目には、アーサーは、宝冠を捻るか、あるいは、曲げるかのような動作をしていた。

アレクサンダー・ホールダーが大声で咎めると、驚いたアーサーは、宝冠を手から取り落として、死人のように真っ青な顔で父親を振り返った。

アーサーが落とした宝冠を、アレクサンダー・ホールダーが急いで拾い上げ、確認したところ、緑柱石が3個付いていた金具ごと、折り取られていたのである。



エドワード7世の王太子時を店名にしたパブ「プリンス・エドワード」は、
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のベイズウォーター地区(Bayswater)内の
プリンシズスクエア(Prince's Square)に面して建っている。


5万ポンドの融資の担保として、アレクサンダー・ホールダーに緑柱石の宝冠を預けた人物は、コナン・ドイルの原作上、「世界中にその名前が知られていて、英国で最も上流で、高貴で、かつ身分の高い方の一人」と言及されているものの、具体的な名前にかかる記述は為されていない。しかしながら、シャーロック・ホームズシリーズの研究者の間では、放蕩癖でよく知られている当時のウェールズ公(Prince of Wales)で、後のエドワード7世であるとの説が有力である。

エドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)は、サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(Saxe-Coburg and Gotha)の初代英国国王 / インド皇帝である。

エドワード7世は、1841年11月9日、ハノーヴァー朝(Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の第2子(長男)として出生し、同年12月4日にウェールズ公の称号を得ている。


テムズ河(River Thames)に架かる
ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge
→ 2024年8月6日 / 8月11日付ブログで紹介済)の北岸に設置されている
ヴィクトリア女王のブロンズ像


母であるヴィクトリア女王の在位が長期間になったため、彼がエドワード7世として即位したのは、1901年1月22日で59歳の時だった。これは、ウィンザー朝(Windsor)第5代国王として即位したチャールズ3世(King Charles III:1948年ー 在位期間:2022年ー)に次いで、現状、2番目に長く、ウェールズ公の立場にあったことになる。


チャールズ3世がまだウェールズ公だった際、70歳の誕生日を記念して、
2018年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された記念切手の1枚

なお、エドワード7世は、即位した際、王朝名をハノーヴァー朝からサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝へと変更している。


2025年5月9日金曜日

ロンドン フォイルズ書店(Folyes)- その2

チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店の2階(1F)にある Crime Fiction の本棚(その1)


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1935年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場するシリーズ第5作目に該る「死時計(Death-Watch → 2025年4月30日 / 5月4日付ブログで紹介済)」におて言及される「フォイルズ書店(Foyles - 正式名称:W & G Foyle Ltd.)」は、ロンドン市内に実在する老舗書店で、公務員試験に通らなかったウィリアム・アルフレッド・ウェストロップ・フォイル(William Alfred Westropp Foyle:1885年ー1963年)と弟のギルバート・フォイル(Gilbert Foyle)の2人が、大量に持っていた受験用の教科書を売りに出したところ、在庫以上の注文を受けることがキッカケとなり、1903年に自宅で古本を販売する事業を始めたところから始まっている。


チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店の建物中央吹き抜け部分(その1)


創業者の一人であるウィリアム・フォイルの娘クリスティーナ・アグネス・リリアン・フォイル(Christina Agnes Lilian Foyle:1911年ー1999年)が、1945年にフォイルズ書店のオーナーとなり、同書店の舵取りを担った。

彼女は、フォイルズ書店のオーナーに就任する前の1930年10月より、作家やゲスト等を招いて、文学を議論する昼食会(luncheon)を開催したことで知られており、これは今日まで続いている。


チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店の建物中央吹き抜け部分(その2)

一方で、新しくオーナーとなったクリスティーナ・フォイルは、近代化を拒み続け、以下のような経営姿勢を以って、書店の運営を進めた。


(1)本棚における書籍の配置は、分野別や著者別ではなく、出版社別。

(2)書籍を購入する場合、三度カウンター(注文書、支払+書籍受取)に並び必要あり。

(3)電話番号を公表しているが、書店が電話をとらないことを伝えるメッセージを流すためであった。つまり、電話による書籍の注文も受け付けなかった。

(4)受け行きが悪く絶版となった書籍も、売れるまで本棚に並べ続ける。


更に、クリスティーナ・フォイルと夫のロナルド・バッティー(Ronald Batty)は、従業員を自由に解雇し、従業員達の関係は良くなかった。


チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店の2階(1F)にある Crime Fiction の本棚(その2)

1999年にクリスティーナ・フォイルが死去して、書店の経営権が彼女の甥であるクリストファー・フォイル(Christopher Foyle)へ移ると、彼は前オーナーが拒み続けていた近代化に着手し、経営の効率化を進め、電子書籍の販売も始めた。

新オーナーのクリストファー・フォイルによる近代化 / 効率化にも関わらず、フォイルズ書店は、2018年9月に、Waterstones Booksellers Limited(1982年創業)に買収され、同社の傘下に入る。なお、Waterstones 社は、不フォイルズ書店のブランド名をそのまま維持。


チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店の2階(1F)にある Crime Fiction の本棚(その3)

フォイルズ書店の本店は、現在、チャリングクロスロード107番地(107 Charing Cross Road)へと移っているが、ここは、ロンドン市民に限らず、有名な観光スポットになっている。


2025年5月8日木曜日

コナン・ドイル作「緑柱石の宝冠」<小説版>(The Beryl Coronet by Conan Doyle )- その3

英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年5月号に掲載された挿絵(その5) -
スレッドニードルストリートにあるホールダー&スティーヴンスン銀行の頭取を務めている
アレクサンダー・ホールダーが、
5万ポンドの融資の担保として、とある高貴な人物から預かった宝冠を
ストリーサム地内の自宅へと持ち帰ったその夜の
午前2時頃、
家の中でした何かの物音で目を覚ました彼は、隣りの衣装部屋で足音がするのを聞いた。

彼がベッドからそっと抜け出して、衣装部屋を覗き込んでみると、

なんと、そこには、シャツとズボンだけの格好で、

靴も履いていない一人息子のアーサーが、宝冠を両手に持って立っていたのである。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「緑柱石の宝冠(The Beryl Coronet)」の場合、アレクサンダー・ホールダー(Alexander Holder)と名乗る男性が、ベーカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れて、緊急の相談事にかかる説明を始める。

スレッドニードルストリート(Threadneedle Street → 2014年10月30日付ブログで紹介済)にあるホールダー&スティーヴンスン銀行(banking firm of Holder & Stevenson - シティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内では2番目に大きな民間銀行)の頭取を務めているアレクサンダー・ホールダーは、5万ポンドの融資の担保として、世界中にその名前が知られていて、英国で最も上流で、高貴で、かつ身分の高い方の一人(it was a name which is a household word all over the earth - one of the highest, noblest, most exalted names in England)から預かった貴重な緑柱石の宝冠を、銀行からテムズ河(River Thames)の南岸のストリーサム地区(Streatham → 2017年12月2日付ブログで紹介済)内の自宅へと持ち帰ると、自分の寝室の隣りにある衣装部屋(dressing-room)の書き物机(bureau)の中に宝冠を入れて、鍵をかけ、更に、家の戸締りの確認も、自分自身で行った。

その前に、彼と一人息子であるアーサー・ホールダー(Arthur Holder)の間で、一悶着があった。

夕食後にコーヒーを飲むと、アーサーは、深刻な顔をして、父親に部屋までついて来ると、お金(200ポンド)の無心をした。アーサーによると、200ポンドがどうしても必要で、それがないと、クラブの敷居を二度と跨げない、とのことだった。

アレクサンダー・ホールダーとしては、(1)お金に関して、自分はアーサーを甘やかし過ぎてきたと感じていること、また、(2)アーサーによるお金の無心が、今月に入って、三度目だったこと等から、アーサーの申し出をスッパリと断る。

アーサーは、頭を下げると、何も言わないで、父親の部屋から出て行った。

そういったこともあり、アレクサンダー・ホールダーは、宝冠の保管に対して、万全の注意を払ったのである。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年5月号に掲載された挿絵(その6) -
シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、
アレクサンダー・ホールダーと一緒に、
ストリーサム地区内にある彼の自宅へと赴いた。
ホームズが家の周辺を調べている間、
ワトスンと
アレクサンダー・ホールダーの2人は、
応接室において、ホームズの戻りを待っていた。
すると、そこに
アレクサンダー・ホールダーの養女である
メアリーが入って来ると、ワトスンの存在を気にかけず、
真っ直ぐに養父の元へ進み、
彼を優しく抱擁したのである。


アレクサンダー・ホールダーは、元々、眠りが浅い方だったが、その夜の午前2時頃、家の中で何かの物音がして、目を覚ました彼は、隣りの衣装部屋で足音がするのを聞いた。

彼がベッドからそっと抜け出して、衣装部屋を覗き込むと、そこには、シャツとズボンだけの格好で、靴も履いていないアーサーが、宝冠を両手に持って立っていたのである。アレクサンダー・ホールダーの目には、アーサーは、宝冠を捻るか、あるいは、曲げるかのような動作をしていた。


アレクサンダー・ホールダーが大声で咎めると、驚いたアーサーは、宝冠を手から取り落として、死人のように真っ青な顔で父親を振り返った。

アーサーが落とした宝冠を、アレクサンダー・ホールダーが急いで拾い上げ、確認したところ、緑柱石が3個付いていた金具ごと、折り取られていたのである。


アレクサンダー・ホールダーとアーサーの言い争いを聞いて、起き出して来たメアリー(Mary - アレクサンダー・ホールダーの兄の娘で、兄が亡くなった後、彼の養女となっている)は、宝冠とアーサーの顔を一目見ると、何が起きたのかを悟り、悲鳴を上げた後、気絶して、床に倒れてしまった。


アレクサンダー・ホールダーは、メイドに指示して、警察を呼びに行かせた。そして、彼は、直ぐに全てを警察の手に委ねたのである。

アーサーは、父親に対して、「5分だけ時間をもらえれば、この件を解決できる。」と出張したが、アレクサンダー・ホールダーは、到着した警察(警部と巡査)に対して、一人息子のアーサーを、宝冠を壊した上、緑柱石3個を盗んだ犯人として告発し、逮捕させた。

警察がアレクサンダー・ホールダー邸の内外をしらみつぶしに捜索したが、アーサーが盗んだと思われる緑柱石3個は、どこにもなかったのである。


アレクサンダー・ホールダーの話を聞き終えたホームズは、暫くの間、眉をひそめると、暖炉をじっと見詰めて黙っていた。

その後、ホームズは、アレクサンダー・ホールダーに対して、「来客は多いですか?」と尋ねる。すると、アレクサンダー・ホールダーは、「共同経営者とその家族、そして、アーサーの友人であるサー・ジョージ・バーンウェル(Sir George Burnwell)だけです。」と答えた。

更に、ホームズは、アレクサンダー・ホールダーに対して、「息子さんが宝冠を両手に持っていたのは、それを直そうとしていた可能性があるとは思いませんか?」とも訊いた。


この後、ホームズとジョン・H・ワトスンは、アレクサンダー・ホールダーと一緒に、ストリーサム地区にある彼の自宅へと赴くことに決めたのである。


2025年5月7日水曜日

ロンドン フォイルズ書店(Folyes)- その1

現在、チャリングクロスロード107番地(107 Charing Cross Road)に所在する
フォイルズ書店(本店)の外観(その1)


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1935年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場するシリーズ第5作目に該る「死時計(Death-Watch → 2025年4月30日 / 5月4日付ブログで紹介済)」は、次のようにして始まる。


「それは九月四日の夜のことであった。(中略)風のそよ吹くひんやりとした夜の十二時ちかく、二人(ギディオン・フェル博士と友人で歴史学者のメルスン教授(Professor Melson))はホルボーン通りを歩いていたのだった。思いがけずブルームズベリ区がどこも万人だったので、メルスンは宿としてリンカンズ・イン・フィールズの五階にある、居心地の悪そうな寝室兼居間を見つけておいたのだが、この程度のものしか見つからなかったのだ。この夜、二人は劇場からの帰りがおそくなってしまった。ミリアム・ホプキンズ嬢の魅力のとりこになったフェル博士が、その映画を二回通して見ようと言ってきかなかったからである。しかも、その日の午後メルスンが、正真正銘の掘り出し物、中世ラテン語の写本辞書を、フォイルズ書店で見つけていたので、博士はそいつを見せてもらわなければ自分の宿へ帰らない、と頑強に言い張っていたのだった。」(吉田 誠一訳)


現在、チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店(本店)の外観(その2)

メルスン教授が中世ラテン語の写本辞書を見つけた「フォイルズ書店(Foyles)」は、ロンドン市内に実在する老舗書店である。


現在、チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店(本店)の入口

公務員試験に通らなかったウィリアム・アルフレッド・ウェストロップ・フォイル(William Alfred Westropp Foyle:1885年ー1963年)と弟のギルバート・フォイル(Gilbert Foyle)は、大量に持っていた受験用の教科書を売りに出したところ、在庫以上の注文を受ける。このことがキッカケとなり、フォイル兄弟は、1903年に自宅で古本を販売する事業を始めた。


現在、チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店(本店)の建物を下から見上げたところ


自宅での古本販売が軌道に乗ったフォイル兄弟は、1903年にペッカム(Peckham)、1904年にウェストエンド(West End)に店舗を開いた後、1906年に(現在の本店に近い)チャリングクロスロード135番地(135 Charing Cross Road)にも店舗を開設。

同年の1906年、フォイル兄弟は、チャリングクロスロード119番地(119 Charing Cross Road)にフォイルズビル(Foyles Building)を構え、ロンドン内の店舗をここに集約。また、隣接するビルも獲得して、売り場面積を拡張。


書店内の本棚の専有面積(30マイル / 48㎞)と書籍の数に関して、フォイルズ書店は、世界最大の書店として、以前、ギネス(Guinness Book of Records)に登録されるまでになり、現在でも、英国内では最大級の書店であり続けている。


現在、チャリングクロスロード107番地に所在する
フォイルズ書店(本店)の外観(その3)

ジョン・ディクスン・カー作「死時計」が1935年に発表されたことを考えると、ギディオン・フェル博士の友人で、歴史学者のメルスン教授が中世ラテン語の写本辞書を見つけたのは、「フォイルズ書店」がチャリングクロスロード119番地に所在した頃だと思われる。 


                                             

2025年5月6日火曜日

ロンドン ホルボーン通り(Holborn)

ホルボーンサーカス内に建つアルバート公(Albert, Prince Consort)のブロンズ像 -
アルバート公は、ヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年―1901年
在位期間:1837年ー1901年)の夫君である。
なお、ここがホルボーン通りの東端で、
ホルボーンサーカスから右手(西方面)へと向かって延びている。


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1935年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場するシリーズ第5作目に該る「死時計(Death-Watch → 2025年4月30日 / 5月4日付ブログで紹介済)」は、次のようにして始まる。



「それは九月四日の夜のことであった。(中略)風のそよ吹くひんやりとした夜の十二時ちかく、二人(ギディオン・フェル博士と友人で歴史学者のメルスン教授(Professor Melson))はホルボーン通りを歩いていたのだった。」(吉田 誠一訳)


画面手前の通りがチャーターハウスストリート(Charterhouse Street)で、
画面奥の通りがホルボーン高架橋通り。
更に奥に建つ教会のうち、左手が City Temple Church で、
右手が St. Andrew's Church, Holborn。

ギディオン・フェル博士とメルスン教授の2人が歩いていたホルボーン通り(Holborn)は、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内に所在する実在の通りである。


ホルボーンサーカスの南西の角に建つビル(画面奥の建物)には、
スーパーマーケットを全国的に展開しているセインズベリーズ(Sainsbury's)の本社が入居している。
右手奥へ延びているのが、ホルボーン通り。

シティー・オブ・ロンドン内に建つセントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日付ブログで紹介済)の北側からニューゲートストリート(Newgate Street → 2018年5月19日付ブログで紹介済)が西へと延びている。


画面左手奥がニューゲートストリートで、画面中央の交差点を過ぎると、
ホルボーン高架橋通りへと名前を変えて、画面右手前に延びる。
なお、画面奥の建物は、中央刑事裁判所
(Central Criminal Court → 2016年1月17日付ブログで紹介済)である。



ニューゲートストリートは、ホルボーン高架橋(Holborn Viaduct → 2018年5月27日 / 6月2日付ブログで紹介済)の上を渡るホルボーン高架橋通り(Holborn Viadct)と言う名前に変わり、更に西へと延びる。



ホルボーン高架橋の全景写真–
ホルボーン高架橋の下を潜る通りは、画面奥までがファリンドンロード(Farringdon Road)で、
画面手前からファリンドンストリート(Farringdon Street)へと名前を変える。


ホルボーン高架橋の上を渡るホルボーン高架橋通りの南側から北側を見たところ -
画面右手奥が東側で、画面左手前が西側に該る。


そして、ホルボーンサーカス(Holborn Circus)と呼ばれる環状交差点を過ぎたところで、ホルボーン通りと言う名前に変わる。

セントポール大聖堂の北側から始まるニューゲートストリート、ホルボーン高架橋通り、そして、ホルボーン通りは、全て、シティー・オブ・ロンドン内に所在する通りである。


ホルボーン通りの北側に建つホルボーンバーズ(Holborn Bars)-
1879年から1901年にかけて建設され、
以前、Prudential Assurance の本社が入居していた。

ホルボーン通りが、地下鉄チャンセリーレーン駅(Chancery Lane Tube Station)の入口に到ったところで、ハイホルボーン通り(High Holborn)と更に名前を変えて、西へと延びていく。


ホルボーンバーズの入口に設置されている門

地下鉄チャンセリーレーン駅の入口がある場所が、シティー・オブ・ロンドンの北西の境界線に該り、ハイホルボーン通りは、ロンドンの特別区の一つであるロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のホルボーン地区(Holborn → 2016年9月24日 / 2025年4月22日付ブログで紹介済)内を西へと進んでいくのである。


ホルボーン通りの西端 -
ここがシティー・オブ・ロンドンの北西の境界線に該り、
この交差点を過ぎると、ハイホルボーン通りとなり、
ロンドンの特別区の一つであるロンドン・カムデン区ホルボーン地区内へ入る。

ハイホルボーン通りを更に西へと進んで行った先の南側に、メルスン教授が宿泊する予定のリンカーンズ・イン・フィールズ15番地(15 Lincoln’s Inn Fields → 実在の場所で、後に御紹介する予定)が建つリンカーンズ・イン・フィールズ(Lincoln’s Inn Fields → 2016年7月3日付ブログで紹介済)が所在している。


画面右手前が地下鉄チャンセリーレーン駅の入口で、
この交差点を過ぎると、ホルボーン通り(画面左手前の通り)は、
ハイホルボーン通り(画面奥の通り)へと名前を変える。

ギディオン・フェル博士とメルスン教授の2人は、劇場で映画を観た後の帰りで、この劇場がどこにあるのかについては、明記されていない。ただし、2人が、ホルボーン通りを西へと向かい、更にハイホルボーン通りを進み、リンカーンズ・イン・フィールズ方面へと左折したことになる。