2025年6月9日月曜日

ロンドン プリンスアルバートロード(Prince Albert Road)

リージェンツパークの北側を通る
プリンスアルバートロードの西端

英国の作家であるミシェル・バークビー(Michelle Birkby)作の長編第2作目に該る「ベイカー街の女たちと幽霊少年団(The Women of Baker Street → 2025年5月2日 / 5月24日 / 5月29日 / 6月4日付ブログで紹介済)」(2017年)の場合、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の家主であるハドスン夫人(Mrs. Hudson - マーサ・ハドスン(Martha Hudson))は、腹部の閉塞症のため、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)で緊急手術を受けるところから、物語が始まる。



同病院の特別病棟内のベッドの上で目を覚ましたハドスン夫人は、モルヒネと麻酔薬の投与により、目が覚めた後も頭にまだ霞がかかったようになっていた。

その時、ハドスン夫人は、病室のとりわけ暗い一角に、うごめく影のかたまりを見た。ハドスン夫人が目を凝らしていると、影のかたまりは、彼女のベッドの裾を横切り、彼女の斜向かいにあるベッドへと向かった。朦朧とする意識のなか、ハドスン夫人は、その影のかたまりがそのベッドの上に覆いかぶさるのを目撃した後、突如、深い眠りへ引きずり込まれると、意識が遠のく。

翌朝、ハドスン夫人が再度目覚めると、シスターと若い医師が、彼女の斜向かいの空っぽのベッドの側に立って、話し合いをしているのが聞こえた。昨夜、ハドスン夫人が目撃した通り、影のかたまりが覆いかぶさっていたベッドの女性は、今朝、亡くなっているのが見つかったのである。


英国の Pam Macmillan 社から2017年に出版された
ミシェル・バークビー作「ベイカー街の女たちと幽霊少年団」
ペーパーバック版内に付されている
セントバーソロミュー病院の特別病棟の見取り図


それから数日後の夜、ハドスン夫人は、消灯後、眠りに落ちたが、午前3時頃、悪夢に襲われて、目が覚めた。目が覚めたものの、何故か、身体が全く動かず、また、助けを呼ぼうにも声も出なかった。

すると、入院初日の晩と全く同じことが起きる。病室の隅の黒いかたまりから、人の形をしたものがすうっと出て来たのだ。そして、エマ・フォーダイス(Emma Fordyce - ミランダ・ローガン(Miranda Logan)の正面に居る患者 / 歳を召していて、あちこち悪いところがあるみたいだが、老いを楽しんでいる様子 / 過去に非凡な面白い体験をしていて、思い出話を他の人に聞かせるのが大好き)が眠るベッドの側に立った。その時、エマ・フォーダイスが目を覚まして、はっと息をのんだ後、悲鳴を上げようとしたが、その人影は、いきなり側にあった枕を掴むと、彼女の顔に押し付けた。エマ・フォーダイスは激しく暴れた、次第に抵抗が弱くなり、最後は、ぐったりとして動かなくなった。

ハドスン夫人は、入院初日に続き、2つ目の殺人現場を目撃したことになる。


プリンスアルバートロードの北側(その1)

一方、ワトスン夫人(Mrs. Watson)となったメアリー・ワトスン(Mary Watson - 旧姓:モースタン(Morstan))は、ベイカーストリート221B の給仕のビリー(Billy)経由、ベイカーストリート不正規隊(Baker Street Irregulars)のウィギンズ(Wiggins)から聞いた話が気になっていた。


プリンスアルバートロードの北側(その2)


それは、「幽霊少年団(The Pale Boys)」のことだった。

(1)夜間だけ、街角に姿を見せる。

(2)街灯の明かりには決して近付かない。

(3)往来の激しい大通りには、足を踏み入れない。

(4)全員、青白い顔をして、闇に溶け込みそうな黒づくめの服装をしている。

(5)薄暗い道端や人気の無い路地を彷徨く。

(6)何年経っても、歳をとらないし、飲んだり食べたりもしない。

(7)彼らの姿を見た者は、死んでしまう。

(She told me the tale of the Pale Boys. Boys who came onto the street only at night. They never came into the light. They never went onto the Main Street. They had pale faces, and all black clothes, and they melted into the shadows. They walked in dark corners and deserted alleyways. They never grew old, and never ate or drank and if you saw them, you would die.)


プリンスアルバートロードの北側(その3)-
画面の右側に、運河とリージェンツパークがある。

セントバーソロミュー病院を退院したハドスン夫人と同席するメアリー・ワトスンの元へ、ベイカーストリート不正規隊の面々が、「幽霊少年団」に関する報告に訪れた。


プリンスアルバートロードの南側(その1)

’So,’ Mary said, ‘everyone show me on the map where you saw the Pale Boys.’

They gathered round, trying to match the carefully drawn lines to the crowded, filthy, battered streets they knew. More than a few arguments broke out as they matched road for road, or tried to find an alleyway that didn’t exist on any map.

Eventually, we had a pattern. The sightings all seemed to be concentrated in the streets at the north end of Regent’s Park, near Albert Road.


プリンスアルバートロードの南側(その2)

「みんな、いい?」メアリーが全員に呼びかけた。「”幽霊少年団”を見た場所を地図上で指して教えてちょうだい」

少年たちは一斉に地図を取り囲み、おびただしい数の線から自分が知っているごみごみしたみすぼらしい通りを見つけだそうとした。地図に載っていないごく小さな路地は大通りを目印に根気よく探さなければならないので、けっこう手間がかかる。一度ならず言い争いが起きた。

そうこうしているうちに全員の報告が終わり、共通点が浮かびあがってきた。目撃例はリージェンツ・パークの北側を通るアルバート・ロードのあたりに集中していた。

(駒月 雅子訳)


プリンスアルバートロードの南側(その3)

「幽霊少年団」の目撃例が集中している「アルバート・ロード」とは、厳密には、「プリンスアルバートロード(Prince Albert Road)」と言う名前で、実在する通りである。


リージェンツパークの北側を通る道路が、プリンスアルバートロードである。


プリンスアルバートロードは、リージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)を囲む通りの一つで、


*リージェンツパークの北側: プリンスアルバートロード

*リージェンツパークの東側: アルバニーストリート(Albany Street)

*リージェンツパークの南側: マリルボーンロード(Marylebone Road)

*リージェンツパークの西側: パークロード(Park Road)


と言う道路配置になっている。

リージェンツパークの北側には、グランドユニオンカナル(Grand Union Canal)と言う運河が流れていて、プリンスアルバートロードは、その運河に沿って、東西に延びている。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で所蔵 / 展示されている
アルバート公の肖像画
(By Franz Xaver Winterhalter / Oil on canvas / 1867年 /
based on a portrait of 1859)


なお、プリンスアルバートロードは、ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)の夫で、腸チフスのため、42歳の若さで亡くなったアルバート公(Albert Prince Consort:1819年ー1861年)に因んで、名付けられている。 


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