2019年2月24日日曜日

ロンドン ハマースミス橋(Hammersmith Bridge)–その2

テムズ河北岸(西側)から見たハマースミス橋(その1)

現在のハマースミス橋(Hammersmith Bridge)は2代目で、初代の橋は、1824年に英国議会において建設が許可された後、英国ブリストル(Bristol)生まれの土木技師であるウィリアム・ティエルニー・クラーク(William Tierney Clark:1783年ー1852年)によって設計された。翌年の1825年に建設工事が始まり、1827年10月6日に正式な開通を迎えた。初代のハマースミス橋は、テムズ河(River Thames)に架かる最初の吊り橋となった。初代のハマースミス橋を設計したウィリアム・ティエルニー・クラークは、その後、ハマースミス・アンド・フラム・ロンドン自治区(London Borough of Hammersmith and Fulham)のハマースミス地区(Hammersmith)に住み、同地で生涯を終えている。

テムズ河北岸(西側)から見たハマースミス橋(その2)

1870年代に入ると、初代のハマースミス橋は、増え続ける交通量を十分に支えるだけの強度がなくなってきたため、2代目の橋を建設する必要性が出てきた。1884年には、2代目の橋が出来上がるまでの仮の橋が建設された。

テムズ河北岸沿いの遊歩道
テムズ河北岸沿いの遊歩道から見たハマースミス橋の下部(その1)

2代目の橋は、英国の土木技師で、公共事業庁(Metropolitan Board of Works)の主任技術者であるサー・ジョーゼフ・ウィリアム・バザルゲット(Sir Joseph William Bazalgette:1819年ー1891年)が、初代の橋を設計したウィリアム・ティエルニー・クラークの方針を踏襲し、引き続き、吊り橋方式を採用して、設計を行った。サー・ジョーゼ・ウィリアム・バザルゲットは、「ロンドン下水道の父」と呼ばれ、ヴィクトリアエンバンクメント<Victoria Embankmentー東:ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge)と西:ウェストミンスター橋(Westminster Bridge)の間にあるテムズ河北岸の堤防→2018年4月9日付ブログで紹介済>、アルバートエンバンクメント<Albert Embankmentー東:ランベス橋(Lambeth Bridge→2018年2月4日付ブログで紹介済)と西:ヴォクスフォール橋(Vauxhall Bridge→2017年9月16日付ブログで紹介済)の間にあるテムズ河南岸の堤防>やチェルシーエンバンクメント<Chelsea Embankmentー東:チェルシー橋(Chelsea Bridge)と西:バタシー橋(Battersea Bridge)の間にあるテムズ河北岸の堤防>等の建設を進め、それらの堤防沿いに下水道の整備を行ったのである。

テムズ河北岸(東側)から見たハマースミス橋

2代目のハマースミス橋は無事竣工し、1887年6月11日に、当時の王太子(Prince of Wales)で、後のサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代国王であるエドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)による出席の下、正式な開通を迎えた。

ハマースミス橋の吊り橋を支える部分(その1)
ハマースミス橋の吊り橋を支える部分(その2)

2代目の橋は、元々、構造上の問題を抱えており、増大する交通量に対処するために、しばしば長期間にわたって閉鎖され、何度も改修工事が行われている。

テムズ河北岸沿いの遊歩道から見たハマースミス橋の下部(その2)
テムズ河北岸沿いの遊歩道から見たハマースミス橋の下部(その3)

2代目の橋は、現在、Grade II listed の指定を受けている。

テムズ河北岸沿いの遊歩道から
ハマースミス橋へと上がる階段

サー・アーサー・コナン・ドイル作「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」の事件発生日は、「1900年6月」と言われているので、シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスンとスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)の3人が四輪馬車で向かったハマースミス橋は、2代目の橋ということになる。

2019年2月17日日曜日

カーター・ディクスン作「九人と死で十人だ」(Nine - and Death makes Ten by Carter Dickson)–その1

東京創元社が発行する創元推理文庫「九人と死で十人だ」の表紙−
カバーイラストは ヤマモト マサアキ氏、
カバーデザインは 折原 若緒氏、フォーマットは 本山 木犀氏

「九人と死で十人だ(Nine - and Death makes Ten)」は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)名義で1940年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第11作目に該る。

第二次世界大戦初期(1月19日(金))、米国ニューヨーク西20丁目の外れにある埠頭から、ホワイト・プラネット・ライン社が運航する大型客船エドワーディック号(2万7千トン級)が、物々しい厳戒態勢の下、英国の某港へ向けて出航した。本来、エドワーディック号は客船だが、今回は特別に、英国の某港へ軍需品(代価50万ポンド相当の高性能爆薬とロッキード社製の爆撃機4機)を輸送するという秘密の任務を負っていた。エドワーディック号には、船長のフランシス・マシューズ海軍中佐、事務長のグリズワルド、事務長秘書のタイラーや三等航海士のクルクシャンク等が乗り込んでいた。

正に、エドワーディック号は、洋上に浮かぶ弾薬庫のようなもので、大西洋上で狡猾なドイツ軍の潜水艦による魚雷で、いつ何時、木っ端微塵にされるのか判らないというリスクを抱えていた。ジェノヴァ(イタリア)、あるいは、リスボン(ポルトガル)経由、陸路を行けば、多少時間を要しても、英国へ安全に辿り着けるにもかかわらず、ダイナマイト同然のエドワーディック号には、何故か、一般人の乗客が9人も乗船していた。撃沈される危険を顧みないで、最速で英国に到着したいとは、揃いも揃って、何故か訳ありなのか?

エドワーディック号に乗船していた訳ありの一般人の乗客は、以下の通り。

(1)マックス・マシューズ: エドワーディック号の船長フランシス・マシューズ海軍中佐の弟で、元新聞記者
(2)ジョン・E・ラスロップ: 6人を殺害した容疑で、凶悪な恐喝犯カルロ・フェネッリを英国から米国へ護送する任務を負ったニューヨークの地方検事補
(3)エステル・ジア・ベイ: 米国生まれで、トルコ外交官(ロンドンのトルコ大使館勤務)の元夫人
(4)ジョージ・A・フーパー: 英国ブリストル出身の実業家
(5)ピエール・ブノワ: プロヴァンス地方出身のフランス狙撃隊大尉
(6)レジナルド・アーチャー: 医師
(7)ヴァレリー・チャトフォード: 若い女性
(8)ジェローム・ケンワージー: 貴族の子息

ところが、乗客名簿には、8人の名前しか記載されておらず、残りの1人の詳細は、全く不明だった。マックス・マシューズが尋ねても、兄であるエドワーディック号の船長フランシス・マシューズ海軍中佐は、言葉をにごずだけであった。

2019年2月16日土曜日

ロンドン ハマースミス橋(Hammersmith Bridge)–その1

テムズ河上流の北岸からハマースミス橋を見たところ

サー・アーサー・コナン・ドイル作「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」は、ある夜、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。


最近、ロンドンの街中で何者かが画廊や住居等に押し入って、ナポレオンの石膏胸像を壊してまわっていたのだ。そのため、レストレード警部はホームズのところへ相談に来たのである。最初の事件は、4日前にモース・ハドソン氏(Mr Morse Hudson)がテムズ河(River Thames)の南側にあるケニントンロード(Kennington Road→2016年6月11日付ブログで紹介済)で経営している画廊で、そして、2番目の事件は、昨夜、バーニコット博士(Dr Barnicot)の住まい(ケニントンロード)と診療所(ロウワーブリクストンロード(Lower Brixton Road)→2017年7月20日付ブログで紹介済)で発生していた。続いて、3番目の事件がケンジントン地区(Kensington)のピットストリート131番地(131 Pitt Street→2016年6月18日付ブログで紹介済)にあるセントラル通信社(Central Press Syndicate)の新聞記者ホーレス・ハーカー氏(Mr Horace Harker)の自宅で起きたのであった。4体目の石膏胸像が狙われた上に、今回は殺人事件にまで発展したのだ。

ハマースミス・アンド・フラム・
ロンドン自治区のハマースミス地区(テムズ河北岸)から
リッチモンド・アポン・テムズ・
ロンドン自治区のバーンズ地区(テムズ河南岸)へと
車で向かう

ステップニー地区(Stepney→2016年7月16日付ブログで紹介済)のチャーチストリート(Church Street)にあるゲルダー社(Gelder and Co.)を訪れたホームズとジョン・H・ワトスンは、ナポレオンの石膏胸像が全部で6体制作され、3体がケニントンロードのモース・ハドソン氏の画廊へ、そして、残りの3体はケンジントンハイストリート(Kensington High Street→2016年7月9日付ブログで紹介済)のハーディングブラザーズ(Harding Brothers)の店へ送られたことを聞き出す。モース・ハドソン氏の画廊へ送られた3体は、全て何者かによって壊されたため、ホームズとワトスンはハーディングブラザーズの店へ出向き、ホーレス・ハーカー氏が購入した1体を除く残りの2体の行方について尋ねたのであった。



この大商店の創始者は、きびきびとして歯切れのいい小柄な男で、こざっぱりした服装をしていた。また、頭の回転が速く、口が達者な男だった。
「ええ、夕刊で既にその記事を読みました。ホーレス・ハーカーさんは、私どもの顧客でございます。数ヶ月前に彼に問題の胸像を配達しました。同じ種類の胸像は、ステップニー地区にあるゲルダー社に注文しましたが、もう全部売れてしまいました。誰にですって?ああ、売上台帳を見れば、簡単にお教えできますよ。ここに記載してあります。一つは、既に御存知の通り、ハーカーさん、もう一つは、チジック、ラバーナムヴェール、ラバーナム荘のジョサイア・ブラウンさん、最後の一つは、レディング、ロウワーグローヴロードのサンドフォードさんです。」




The founder of that great emporium proved to be a brisk, crisp little person, very dapper and quick, with a clear head and a ready tongue. 
'Yes, sir, I have already read the account in the evening papers. Mr Horace Harker is a customer of ours. We supplied him with the bust some months ago. We ordered three busts of that sort from Gelder and Co., of Stepney. They are all sold now. To whom? Oh I dare say by consulting our sales book we could very easily tell you. Yes, we have the entries here. One to Mr Harker, you see, and one to Mr Josiah Brown, of Laburnum Lodge, Laburnum Vale, Chiswick, and one to Mr Sanderford, of Lower Ground Road, Reading.'


ハマースミス橋から見たテムズ河の下流

11時にベーカーストリート221Bの戸口に四輪馬車が横付けされた。私達はそれに乗って、ハマースミス橋の反対側の場所へと向かった。そこで、馬車の御者は待つように指示された。少しばかり歩くと、一目につかない道に出た。その道の周辺には、自分の敷地にそれぞれ建てられた感じの良い家が並んでいた。街灯の明かりで、それらの家の一つの門柱に「ラバーナム荘」と書かれていることが見てとれた。住人は既に就寝しているようだった。というのも、玄関口の上の扇形の明かりを除くと、家全体が真っ暗だったからだ。扇形の明かりは、庭の小道にぼんやりとした光の輪を落としていた。庭を道から隔てる木製の塀が、内側に濃く、そして、黒い影を落としていた。私達は、正に、その影の中にしゃがみ込んで、身体を低くしたのである。


A four-wheeler was at the door at eleven, and in it we drove to a spot at the other side of Hammersmith Bridge. Here the cabman was directed to wait. A short walk brought us to a secluded road fringed with pleasant houses, each standing in its own grounds. In the light of a street lamp we read 'Laburnum Villa' upon the gatepost of one of them. The occupants had evidently retired, for all was dark save for a fanlight over the hall door, which shed a single blurred circle on the garden path, The wooden fence which separated the grounds from the road threw a dense black shadow upon the inner side, and here it was that we crouched.


ハマースミス橋を渡りきって、
リッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン自治区の
バーンズ地区へと入る

夜の11時過ぎに、ホームズ、ワトスンとレストレード警部の3人が四輪馬車で向かったハマースミス橋(Hammersmith Bridge)は、テムズ河(River Thames)に架かるサスペンション橋(吊り橋)で、テムズ河北岸にあるハマースミス・アンド・フラム・ロンドン自治区(London Borough of Hammersmith and Fulham)のハマースミス地区(Hammersmith)とテムズ河南岸にあるリッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン自治区(London Borough of Richmond upon Thames)のバーンズ地区(Barnes)を繋いでいる。

2019年2月9日土曜日

カーター・ディクスン作「殺人者と恐喝者」(Seeing is Believing by Carter Dickson)–その3

東京創元社が発行する創元推理文庫「殺人者と恐喝者」の表紙に描かれている
「小道具A:ゴム製の短剣」と「小道具B:弾丸が込められた拳銃(ウェブリー38口径リヴァルバー)」−
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ氏
カバーデザイン:折原 若緒氏
  カバーフォーマット:本山 木犀氏

リチャード・リッチ博士は、客間に居る人達に対して、「実験として、ヴィッキーに催眠術を施し、彼女の夫のアーサーを殺せと命令する。」と言い放つと、客間を横切って戸口へと行き、ドアを開けて、ヴィッキーを招き入れると、催眠術の実験が始まったのである。
リチャード・リッチ博士は、「客間を中座してホールに居た際に立ち聞きしてしまった話の内容に基づいて、ヴィッキーは、小道具Bを実弾が入った本物の拳銃で、非常に危険だと、彼女の潜在意識下で捉えてい流ので、催眠術を施して、夫のアーサー・フェインを殺すように命令された場合、間違いなく、彼女は全くの無害である小道具Aのゴム製の短剣を使用する筈だ。」と考えていた。

その時、予期しない邪魔が入り、ホールへと通じるドアが開いて、メイドのデイジーが顔を覗かせた。彼女によると、ノミ屋のドナルド・マクナルドという男が突然やって来て、「ヒューバート・フェインに会わせろ!」と、戸口でごねている、とのことだった。それを受けて、ヒューバート・フェインは、「昼間、銀行へ行き損ねた。」と言って、甥のアーサー・フェインからつけの額に該る5ポンドを無心すると、客間から出て行った。

ヒューバート・フェインが客間から去った後、リチャード・リッチ博士による催眠術の実験が再開された。
まず最初に、リチャード・リッチ博士は、催眠術を施したヴィッキーに対して、客間の中央にあるテーブルへ行き、その上に置いてある拳銃を手に取り、アーサー・フェインの心臓を打ち抜くよう、命令した。ヴィッキーは拳銃を手に取るものの、拳銃の引き金にかけた指の小刻みな震えは、次第に彼女の全身へと広がり、やがて拳銃は、大きな音とともに、床の上に落ちた。リチャード・リッチ博士の予想通り、ヴィッキーの潜在意識が、彼女に拳銃の引き金を引かせなかったのである。
次に、リチャード・リッチ博士は、ヴィッキーに対して、同じくテーブルの上にある短剣を手に取り、アーサー・フェインの心臓を突き刺すよう、命令した。ヴィッキーは、ためらいも見せずに、手にした短剣を夫アーサーの胸に突き刺した。
ところが、実際には、ヴィッキーが夫アーサーの胸に突き刺した短剣は、ゴム製のおもちゃではなかった。何故ならば、短剣が突き刺さったアーサーの胸から、赤い血が滲み出てきたからである。アーサーは、前のめりに倒れた。
皆が見ている状況下、何者かがゴム製の短剣を本物の短剣にすり替えたのだ。しかし、どうやって?その上、恐喝者と思われる叔父のヒューバート・フェインが命を狙われるのであれば、話は判るが、殺人者と思われる夫のアーサーが殺された理由は何故か?

催眠術の実験に参加していたフランク・シャープレス大尉は、昼間、チェルトナム市内で偶然出会った友人のフィリップ・コートニーに対して、助けを求める。フィリップ・コートニーは、ゴーストライターを家業としていて、現在、近所のアダムズ少佐宅に滞在している元陸軍省情報部長だったヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)の回想録を執筆していたのである。

「殺人者と恐喝者(Seeing is Believing)」(1941年)は、作者のジョン・ディクスン・カー / カーター・ディクスンがメイントリック一つのシンプルなストーリー構成で魅せた1940年代の作品に属している。

(1)恐喝者と思われる叔父のヒューバート・フェインではなく、殺人者と思われる夫のアーサー・フェインが殺された理由と(2)客間のテーブルの上に置いてあったゴム製の短剣が、本物の短剣にすり替えられたトリックの詳細が、物語の最後に、ヘンリー・メリヴェール卿によって、関係者全員に説明される。ただし、(1)については、作者カーター・ディクスンによる地の文書のことを考えると、正直ベース、「アンフェアに近いのではないか?」と、個人的には思われる。また、(2)に関しては、一応、作者による伏線は張られているものの、文章だけでは、客間内の見取り図や客間内に居た人達の位置関係等が、今一つハッキリしないこともあって、「やや現実的ではないのでは?」と思えてしまう。

2019年2月3日日曜日

ロンドン チジックモール(Chiswick Mall)

チジックモールからテムズ河とチジック小島を見たところ

アガサ・クリスティー作「スペイン櫃の秘密(The Mystery of the Spanish Crest)」は、短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of the Christmas Pudding)」(1960年)に収録されている一遍である。

チジックモールから西方面を見たところ(その1)
チジックモールから西方面を見たところ(その2)

裕福な独り者であるチャールズ・リッチ少佐(Major Charles Rich)が、クレイトン夫妻(Mr and Mrs Clayton)、スペンス夫妻(Mr and Mrs Spence)とマクラーレン中佐(Commander McLaren)という長年来の友人5人を、自宅のフラットへ食事に招く。ところが、直前になって、招待客の一人であるクレイトン氏に、急な商用でスコットランドへ出かける必要が生じて、食事会に参加できなくなった。マクラーレン中佐と一緒にクラブで一杯飲んだ後、クレイトン氏は、駅へ向かう途中、事情を説明するために、リッチ少佐のフラットに立ち寄ったが、生憎と、リッチ少佐は外出していた。そこで、クレイトン氏は、リッチ少佐への伝言を残すべく、リッチ少佐の執事バージェス(Burgess)に居間へ案内してもらう。バージェスは、キッチンでの準備のため、クレイトン氏を居間に残したまま、その場を後にするが、リッチ少佐への伝言をしたためた後、クレイトン氏が立ち去るところを見かけていなかった。10分程して、リッチ少佐が帰宅し、バージェスを使い走りに外出させた。

チジックモール沿いの家並み(その1)
チジックモール沿いの家並み(その2)
チジックモール沿いの家並み(その3)

その後、クレイトン氏を除いた残り5人で、食事会は滞りなく終わったのであるが、翌朝、居間の掃除をしていたバージェスは、部屋の角に置いてあるスペイン櫃の蓋を開けると、櫃の内には首を刺し貫かれたクレイトン氏の死体が入っていたのである。スコットランドに居る筈のクレイトン氏が、スペイン櫃の内に居たのか?そして、彼は櫃の内で何をしていたのか?

チジックモールとテムズ川の間にある庭園(その1)
チジックモールとテムズ川の間にある庭園(その2)

リッチ少佐は、クレイトン氏殺害の容疑で、警察に逮捕される。リッチ少佐はクレイトン夫人に魅かれており、リッチ少佐にとって、クレイトン氏は邪魔な存在だったと、警察は推測する。そして、食事会の直前、帰宅したリッチ少佐は、居間で彼への伝言をしたためているクレイトン氏に出会い、口論の末、クレイトン氏を刺し殺して、スペイン櫃内に押し込んだ単純明快な事件だと、警察は考えたのである。

チジックモールとテムズ川の間にある庭園(その3)
チジックモールとテムズ川の間にある庭園(その4)

クレイトン夫人と共通の友人経由、クレイトン夫人から依頼を受けたエルキュール・ポワロは首をひねった。刺し殺されたクレイトン氏の死体をスペイン櫃内に押し込んだまま、リッチ少佐は、その櫃がある居間で残りの招待客4人と一緒に食事会を行い、翌朝、執事のバージェスがクレイトン氏の死体を発見するまで、そのまま死体を放置していたことになる。リッチ少佐は、それ程までに愚かなのだろうか?ポワロの灰色の脳細胞が動き出す。

チジックモール沿いの家並み(その4)
チジックモール沿いの家並み(その5)

英国のTV会社 ITV1 で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie’s Poirot」の「スペイン櫃の秘密」(1991年)の回では、物語の冒頭、ポワロとヘイスティングス大尉は劇場でオペラを観劇していた。幕間に、以前事件を解決してあげたことがあるレディー・キャロライン・チャタートン(Lady Caroline Chatterton)にポワロは声をかけられ、彼女の友人であるクレイトン夫人が夫のクレイトン氏に殺されるのではないかという奇妙な相談を受ける。アガサ・クリスティーの原作では、クレイトン氏が刺し殺されて、リッチ少佐の自宅の居間にあるスペイン櫃の内から死体で見つかったことを、ポワロは新聞で知るが、TV版の場合、原作とは異なり、事件が発生する前に、ポワロが関与するストーリー展開となっている。レディー・チャタートンから相談を受けたポワロは、後日、ヘイスティングス大尉を伴って、彼女の自宅を訪問の上、更に詳しい説明を受けるが、レディー・チャタートンの自宅として、チジックモール(Chiswick Mall)にある家が撮影に使用されている。

チジックモールとテムズ川の間にある庭園(その5)
チジックモールから見たチジック小島(その1)

チジックモールは、ハウンズロー・ロンドン自治区(London Borough of Hounslow)のチジック地区(Chiswick)内にあり、ハマースミス・アンド・フラム・ロンドン自治区(London Borough of Hammersmith and Fulham)のハマースミス地区(Hammersmith)を抜けて、ロンドンの中心部からヒースロー(Heathrow Airport)へと向かうグレイトウェストロード(Great West Road)とテムズ河(River Thames)に挟まれた場所にある。

チジックモールから見たチジック小島(その2)
チジック小島の上を通り、ヒースロー空港へと向かう航空機

グレイトウェストロードは、ロンドンの中心部とヒースロー空港を結ぶ幹線道路で、更に西へ進むと、M4という高速道路に変わるため、車の往来は非常に激しいが、テムズ河方面へ向かって、左へ曲がり、チジックモールへ入ると。そこはテムズ河沿いの非常に閑静な住宅街である。
写真を撮影した日は、雨上がり後の冬の非常に寒い午後だったが、多くの人が、家族づれで、あるいは、犬を連れて、散歩しているのが、不思議だった。


チジックモールからテムズ河方面を望むと、直ぐ目の前には、チジック小島(Chiswick Eyot)と呼ばれる小島が横たわっている。

2019年2月2日土曜日

カーター・ディクスン作「殺人者と恐喝者」(Seeing is Believing by Carter Dickson)–その2

東京創元社が発行する創元推理文庫「殺人者と恐喝者」の表紙に描かれている
「小道具A:ゴム製の短剣」と
「小道具B:弾丸が込められた拳銃(ウェブリー38口径リヴァルバー)」−
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ氏
カバーデザイン:折原 若緒氏
  カバーフォーマット:本山 木犀氏

ある晩、グロスターシャー州チェルトナムのフィッツハーバートアベニューにあるアーサーとヴィッキーの自宅において、晩餐会の後、リチャード・リッチ博士による催眠術の実験が行われることになった。叔父のヒューバートによると、リチャード・リッチ博士は、あるホテルのバーで偶然出会った人物で、精神科医という触れ込みだった。

晩餐会後に行われる催眠術の実験のため、以下の人物が会場となる客間に集まった。客間内は、ソファー脇にある背の高いスタンドによる明かりを除くと、薄暗がりに沈んでいた。

(1)アーサー・フェイン: チェルトナムでフェイン・フェイン・アンド・ランドル法律事務所を経営
(2)ヴィクトリア(ヴィッキー)・フェイン: アーサーの妻
(3)ヒューバート・フェイン: アーサーの叔父
(4)リチャード・リッチ博士: 精神科医
(5)フランク・シャープレス: ヴィッキーに好意を抱いている工兵連隊の大尉
(6)アン・ブラウニング: ヴィッキーの友人

催眠術の実験において、リチャード・リッチ博士による催眠術を受ける実験台となったのは、ヴィッキーであった。リチャード・リッチ博士の求めに応じて、ヴィッキーは、客間を一旦中座して、ホールへと出て行った。彼女が中座している間に、リチャード・リッチ博士は、これから行う催眠術の実験にかかる説明を始めた。
他の4人が見守る中、リチャード・リッチ博士は、ボール箱の中から二つの品物を取り出して、皆に見せたのである。

・小道具A:ゴム製の短剣→当日の朝、リチャード・リッチ博士が小売店ウールワース(Woolworth)で購入したもの
・小道具B:弾丸が込められた拳銃(ウェブリー38口径リヴォルバー)

その時、フランク・シャープレス大尉が、客間のドアが少し開いていることを人指し指で何度も示すと、リチャード・リッチ博士は、急ぎ足でドアへと向かい、今度はドアをしっかりと閉めた。客間からホールへと一旦出て行ったヴィッキーに、今の話は全て聞こえてしまったらしい。

ところが、それは、リチャード・リッチ博士にとって、予定通りだったようで、ホールに居るヴィッキーに話が聞こえていないことを確認すると、フランク・シャープレス大尉に拳銃を放って寄越すと、弾倉内の弾丸を調べるように言った。リチャード・リッチ博士が言う通り、フランク・シャープレス大尉が調べてみると、弾丸は全てダミーであった。つまり、小道具Aも、小道具Bも、全く危険なものではないことになる。
一方で、ホールにおいて、話の途中までしか聞こえていないヴィッキーにとって、小道具Aの短剣については、無害であることを判っているが、小道具Bの拳銃に関しては、本物であると信じていることを意味する。

そして、リチャード・リッチ博士は、こう言い放ったのである。「実験として、ヴィッキーに催眠術を施し、彼女の夫のアーサーを殺せと命令する。」と。