2019年2月24日日曜日

ロンドン ハマースミス橋(Hammersmith Bridge)–その2

テムズ河北岸(西側)から見たハマースミス橋(その1)

現在のハマースミス橋(Hammersmith Bridge)は2代目で、初代の橋は、1824年に英国議会において建設が許可された後、英国ブリストル(Bristol)生まれの土木技師であるウィリアム・ティエルニー・クラーク(William Tierney Clark:1783年ー1852年)によって設計された。翌年の1825年に建設工事が始まり、1827年10月6日に正式な開通を迎えた。初代のハマースミス橋は、テムズ河(River Thames)に架かる最初の吊り橋となった。初代のハマースミス橋を設計したウィリアム・ティエルニー・クラークは、その後、ハマースミス・アンド・フラム・ロンドン自治区(London Borough of Hammersmith and Fulham)のハマースミス地区(Hammersmith)に住み、同地で生涯を終えている。

テムズ河北岸(西側)から見たハマースミス橋(その2)

1870年代に入ると、初代のハマースミス橋は、増え続ける交通量を十分に支えるだけの強度がなくなってきたため、2代目の橋を建設する必要性が出てきた。1884年には、2代目の橋が出来上がるまでの仮の橋が建設された。

テムズ河北岸沿いの遊歩道
テムズ河北岸沿いの遊歩道から見たハマースミス橋の下部(その1)

2代目の橋は、英国の土木技師で、公共事業庁(Metropolitan Board of Works)の主任技術者であるサー・ジョーゼフ・ウィリアム・バザルゲット(Sir Joseph William Bazalgette:1819年ー1891年)が、初代の橋を設計したウィリアム・ティエルニー・クラークの方針を踏襲し、引き続き、吊り橋方式を採用して、設計を行った。サー・ジョーゼ・ウィリアム・バザルゲットは、「ロンドン下水道の父」と呼ばれ、ヴィクトリアエンバンクメント<Victoria Embankmentー東:ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge)と西:ウェストミンスター橋(Westminster Bridge)の間にあるテムズ河北岸の堤防→2018年4月9日付ブログで紹介済>、アルバートエンバンクメント<Albert Embankmentー東:ランベス橋(Lambeth Bridge→2018年2月4日付ブログで紹介済)と西:ヴォクスフォール橋(Vauxhall Bridge→2017年9月16日付ブログで紹介済)の間にあるテムズ河南岸の堤防>やチェルシーエンバンクメント<Chelsea Embankmentー東:チェルシー橋(Chelsea Bridge)と西:バタシー橋(Battersea Bridge)の間にあるテムズ河北岸の堤防>等の建設を進め、それらの堤防沿いに下水道の整備を行ったのである。

テムズ河北岸(東側)から見たハマースミス橋

2代目のハマースミス橋は無事竣工し、1887年6月11日に、当時の王太子(Prince of Wales)で、後のサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代国王であるエドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年)による出席の下、正式な開通を迎えた。

ハマースミス橋の吊り橋を支える部分(その1)
ハマースミス橋の吊り橋を支える部分(その2)

2代目の橋は、元々、構造上の問題を抱えており、増大する交通量に対処するために、しばしば長期間にわたって閉鎖され、何度も改修工事が行われている。

テムズ河北岸沿いの遊歩道から見たハマースミス橋の下部(その2)
テムズ河北岸沿いの遊歩道から見たハマースミス橋の下部(その3)

2代目の橋は、現在、Grade II listed の指定を受けている。

テムズ河北岸沿いの遊歩道から
ハマースミス橋へと上がる階段

サー・アーサー・コナン・ドイル作「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」の事件発生日は、「1900年6月」と言われているので、シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスンとスコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)の3人が四輪馬車で向かったハマースミス橋は、2代目の橋ということになる。

0 件のコメント:

コメントを投稿