2026年2月5日木曜日

ウィリアム・ホガース(William Hogarth)- その3

ナショナルギャラリーにおいて所蔵 / 展示されている
ウィリアム・ホガース作
「当世風結婚」(1743年ー1745年:6枚の連作油彩画)は、
欲得ずくの政略結婚とその不幸な結末を描いている。
画面上段:左側から「第1場面:婚約(The marriage contract)」、
「第2場面:結婚直後(Shortly after the marriage)」、そして、
「第3場面:偽医者への訪問(The visit to the quack doctor)」。
画面下段:左側から「第4場面:伯爵夫人の朝見の儀(The coutess's morning levee)」、
「第5場面:伯爵の死(The killing of the earl)」、そして、
「第6場面:伯爵夫人の自殺(The suicide of the countess)」。
<筆者撮影>


英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版において、物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)が彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)と再会する場面が、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 / 12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase → 2025年12月15日付ブログで紹介済)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


下から「ホガースの階段」と呼ばれる吹き抜け階段を見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>


(1)右側の壁:「善きサマリア人(The Good Samaritan)」(1737年)

サマリア人善意で救命行為を行なっている場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「善きサマリア人」
<筆者撮影>


(2)左側の壁:「ベテスダの池(The Pool of Bethesda)」(1736年)

万病を治す聖なる池において、病人が傷を癒している場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「ベテスダの池」
<筆者撮影>


これらの壁画を描いた18世紀の英国画壇を代表する国民的画家のウィリアム・ホガース(William Hogarth:1697年ー1764年)は、1697年11月10日、ラテン語学校の教師であるリチャード・ホガース(Richard Hogarth)と母アン・ギボンズ(Anne Gibbons)の長男として、ロンドンのセントバーソロミュー病院の直ぐ近くのバーソロミュークローズ(Bartholomew Close)に出生した後、銀細工師(engraver)の弟子、そして、版画家として生計を立てながら、絵画学校において本格的に絵画を学ぶ。


ナショナルギャラリーにおいて所蔵 / 展示されている
ウィリアム・ホガース作
「当世風結婚」(その2)
<筆者撮影>


ウィリアム・ホガースは、1725年からコヴェントガーデン(Covent Garden)の絵画学校で学んでいた際、同絵画学校を開いた英国の画家で、宮廷画家でもあったサー・ジェイムズ・ソーンヒル(Sir James Thornhill:1675年ー1734年)の娘であるジェーン・ソーンヒル(Jane Thornhill:1709年頃ー1789年)と駆け落ちをした後、サー・ジェイムズ・ソーンヒルの反対にもかかわらず、1729年3月23日に正式に結婚。

この頃から、彼は油彩画も手掛けるようになる。


ナショナルギャラリーにおいて所蔵 / 展示されている
ウィリアム・ホガース作
右上:「エビ売りの少女 (The Shrimp Girl)
」(1740年ー1745年頃) 
右下:「自画像(
Portrait of the Painter and his Pug)」(1745年)
中央:「当世風結婚」(1743年ー1745年:6枚の連作油彩画)
<筆者撮影>


ジェーン・ソーンヒルと結婚したウィリアム・ホガースは、


*「娼婦一代記」(1732年:銅版画)→ 油彩画は、1755年に焼失

*「放蕩者一代記(A Rake’s Progress)」(1732年ー1732年:8枚の連作油彩画 / 1735年:銅版画)→ 油彩画は、サー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum → 2025年5月22日 / 5月30日 / 6月3日 / 6月13日付ブログで紹介済)が所蔵。

*「当世風結婚(Marriage A-la-Mode)」(1743年ー1745年:6枚の連作油彩画/ 1745年:銅版画)→ 油彩画は、ナショナルギャラリー(National Gallery)が所蔵。


等の当時の世相を痛烈に風刺した作品を発表して、庶民に人気を博し、風刺画の父と呼ばれるようになった。


ナショナルギャラリーにおいて所蔵 / 展示されている
ウィリアム・ホガース作「エビ売りの少女
」、「自画像
」、そして、「当世風結婚」(その2)
<筆者撮影>


ウィリアム・ホガースと妻ジェーンは、レスタースクエア(Leicester Square → 2014年6月21日付ブログで紹介済 / 当時は、レスターフィールズ(Leicester Fields)と呼ばれていた)に居を構えていたが、1749年にチジック地区(Chiswick → 2016年7月23日付ブログで紹介済)に家を購入して、退いた。

2人の間には、子供が居なかったため、ウィリアム・ホガースは、孤児向けの養育院の建設等のチャリティー活動に尽力し、セントバーソロミュー病院の理事も務めている。

また、王立芸術院(Royal Academy of Arts)の初代校長にもなっている。


ウィリアム・ホガースは、生涯を通して、パグ(Pug)を可愛がり、愛犬のトランプは、彼の自画像にも登場している。


ナショナルギャラリーにおいて所蔵 / 展示されている
ウィリアム・ホガース作「自画像」(1745年) 

<筆者撮影>


1764年10月25日に、ウィリアム・ホガースが死去した後、チジック地区内のセントニコラス教会(St. Nicholas Church)に埋葬された。

遺言書に基づき、妻ジェーンが彼の遺産を相続。彼女は、夫の版画を売却することで、生活費を賄ったが、あとは王立芸術院からの年金に頼った。

妻ジェーンは、1789年11月13日に80歳でなくなり、セントニコラス教会内の夫の隣りに埋葬された。


2026年2月4日水曜日

アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー(Agatha Christie Official Calendar 2026)- その9

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年7月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第20作目「白昼の悪魔」(1941年)-
デヴォン州の密輸業者島にある Jolly Roger Hotel に滞在している宿泊客達は、
8月25日の午前中、元女優のアリーナ・マーシャルを除き、各々、自由な時間を過ごしていた。
昼前、エミリー・ブルースターを伴い、アリーナ・マーシャルを探しに、
手漕ぎボートで出かけたパトリック・レッドファンは、
Pixy Cove の浜辺に、水着の女性が倒れているのを発見する。
カレンダーは、この場面が描かれている。
厳密に言うと、砂浜に倒れている女性は、
水着ではない上に、顔の上に帽子がのせられていない。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の作品を出版している英国の HarperCollinsPublishers 社から、2026年オフィシャルカレンダーが出ているので、前回に引き続き、順番に紹介したい。


2026年カレンダーの場合、カレンダー用に新たに描き起こされたエルキュール・ポワロシリーズのイラストが使用されており、デザインについては、Diahann Sturge-Cambell が、また、イラストに関しては、Mr. Stephen Millership / Central Illustration Agency が担当している。


2024年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. 


8番目は、2026年7月のカレンダーに該る「白昼の悪魔(Evil Under the Sun)」(1941年)である。


アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第29作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第20作目に該っている。


エルキュール・ポワロは、
英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている
「エルキュール・ポワロの世界」と言うジグソーパズルの中央に立っている。
<筆者撮影>


名探偵エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)は、デヴォン州(Devon)の密輸業者島(Smugglers’ Island)にある Jolly Roger Hotel に滞在して、静かな休暇を楽しんでいた。

同ホテルには、美貌の元女優で、実業家ケネス・マーシャル(Captain Kenneth Marshall)の後妻となったアリーナ・ステュアート・マーシャル(Arlena Stuart Marshall)も宿泊しており、周囲の異性に対して、魅力を振り撒きながら、避暑地を満喫していた。


Jolly Roger Hotel には、ポワロとアリーナ・マーシャルの他に、以下の人物が宿泊していた。


(1)ケネス・マーシャル(実業家 - 以前、ロザモンド・ダーンリーと交際していたが、アリーナ・マーシャルと結婚)

(2)リンダ・マーシャル(Linda Marshall - ケネス・マーシャルの娘 / 継母のアリーナを疎ましく感じている)

(3)ホーレス・ブラット(Horace Blatt - ヨットが趣味)

(4)バリー少佐(Major Barry - 退役将校)

(5)ロザモンド・ダーンリー(Rosamund Darnley - ドレスメーカー / 以前、ケネス・マーシャルと交際していた)

(6)パトリック・レッドファン(Patrick Redfern - アリーナ・マーシャルと不倫関係にある)

(7)クリスティーン・レッドファン(Christine Redfern - パトリックの妻で、元教師。夫の不倫のため、アリーナ・マーシャルを恨んでいる)

(8)オーデル・C・ガードナー(Odell C. Gardener - 米国人)

(9)キャリー・ガードナー(Carrie Gardener - オーデルの妻)

(10)スティーヴン・レーン(Reverend Stephen Lane - 元牧師)

(11)エミリー・ブルースター(Emily Brewster - スポーツが趣味。以前、投資話でアリーナ・マーシャルに損害を負わされたため、彼女を恨んでいる)


ホテルの宿泊客の数名が、アリーナ・マーシャルの存在を疎ましく感じており、そんな不穏な空気の中、ポワロは、「白昼にも、悪魔は居る。(There is evil everywhere under the sun.)」と呟くのであった。


2024年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の
愛蔵版(ハードカバー版)の裏表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. )


8月25日の朝、自分の部屋で朝食を済ませたポワロは、通常よりも30分程早い午前10時に、ホテルを出ると、Bathing Beach へと下りて行った。砂浜には、ポワロを除くと、アリーナ・マーシャルしか居なかった。

ポワロに手伝ってもらい、ボートに乗ったアリーナ・マーシャルは、ポワロに対して、「自分の居場所は、誰にも言わないで。一人になりたいの。」と秘密めかして言うと、岬を右へ曲がり、Sunny Ledge 方面へと向かった。「アリーナ・マーシャルには、内密の待ち合わせがあるようだ。多分、相手は、パトリック・レッドファンだ。」と、ポワロは理解した。

アリーナ・マーシャルが岬の先に姿を消した時、夫のケネス・マーシャルが砂浜に現れ、ポワロに妻の居場所を尋ねるが、ポワロは、アリーナ・マーシャルに頼まれた通り、知らない振りを通す。ケネス・マーシャルは、午前中、急いで送る必要がある手紙をいくつかタイプする仕事を抱えていた。

更に、アリーナ・マーシャルの不倫相手であるパトリック・レッドファンが砂浜に下りて来る。彼の様子から、アリーナ・マーシャルを探していることは、明白だった。彼女の居場所が判らないパトリック・レッドファンは、非常にイライラしていた。それでは、内密の待ち合わせへと向かったアリーナ・マーシャルの相手は、アリーナ・マーシャルではないのか?

続いて、米国人のオーデルとキャリーの ガードナー夫妻、そして、エミリー・ブルースターが、砂浜に姿を見せた。


ケネス・マーシャルの娘であるリンダ・マーシャルとパトリック・レッドファンの妻であるクリスティーン・レッドファンの2人は連れ立って、午前10時半にホテルを出発すると、Gull Cove へと向かった。午前中、日当たりが良い Gull Cove において、リンダ・マーシャルは海水浴を、クリスティーン・レッドファンは写生(スケッチ)をする予定だった。


ロザモンド・ダーンリーは、読書する本を携えて、Sunny Ledge へと出発した。


バリー少佐は、セントルー(St. Loo)へ観光に、また、スティーヴン・レーン牧師は、St. Petrock-in-the-Combe へウォーキングに、そして、ホーレス・ブラットは、ヨットで出かけていた。


上記の通り、午前中、アリーナ・マーシャルを除くホテルの宿泊客達は、各々、自由な時間を過ごしていたのである。


2024年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の
愛蔵版(ハードカバー版)に付されている
ジョリーロジャーホテルが建つ密輸業者島の略図 -
8月25日の昼前に、アリーナ・マーシャルの絞殺死体が、
Pixy Cove の砂浜において、発見された。
8月25日の午前中における各容疑者のアリバイは、以下の通り。
ケネス・マーシャルは、ホテルの自分の部屋で、急ぎの手紙をタイプしていた。
Bathing Beach には、エルキュール・ポワロと一緒に、パトリック・レッドファン、
ガードナー夫妻とエミリー・ブルースターが居た。
Sunny Ledge では、
ロザモンド・ダーンリーが読書していた。
Gull Cove では、
リンダ・マーシャルは海水浴を、
クリスティーン・レッドファンは写生(スケッチ)をしていた。
バリー少佐は、St. Loo へ観光に、
また、スティーヴン・レーン牧師は、St. Petrock-in-the-Combe へウォーキングに、
そして、ホーレス・ブラットは、ヨットで出かけていた。


昼前、エミリー・ブルースターを伴い、アリーナ・マーシャルを探しに、手漕ぎボートで出かけたパトリック・レッドファンは、Pixy Cove の浜辺に、水着の女性が倒れているのを発見する。パトリック・レッドファンを現場に残して、エミリー・ブルースターは、ボートを漕いで、ホテルへ助けを求めに戻った。

ホテルからの連絡を受けて、Pixy Cove へと駆け付けた地元警察によると、Pixy Cove の浜辺に倒れていた女性は、アリーナ・マーシャルで、男の手で絞殺されていたとの検死結果だった。


アリーナ・レッドファンに対して殺害動機を有する容疑者として、夫のケネス・マーシャルや不倫相手のパトリック・レッドファン等が浮かび上がるものの、完璧なアリバイがあるため、地元警察の捜査は難航する。

アリーナ・マーシャルを殺害した犯人を見つけ出すには、ポワロの登場が必要だった。ポワロは、州警察のウェストン警視正(Chief Constable Weston)とコルゲート警部(Inspector Colgate)に協力して、捜査を進めるのだった。


2026年2月3日火曜日

アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー(Agatha Christie Official Calendar 2026)- その8

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年6月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第25作目「葬儀を終えて」(1953年)-
大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシーの葬儀が行われた
教会が描かれているものと思われる。
兄リチャード・アバネシーの墓の前に佇んでいるのは、
末妹のコーラ・ランスケネだろうか?


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の作品を出版している英国の HarperCollinsPublishers 社から、2026年オフィシャルカレンダーが出ているので、前回に引き続き、順番に紹介したい。


2026年カレンダーの場合、カレンダー用に新たに描き起こされたエルキュール・ポワロシリーズのイラストが使用されており、デザインについては、Diahann Sturge-Cambell が、また、イラストに関しては、Mr. Stephen Millership / Central Illustration Agency が担当している。


7番目は、2026年6月のカレンダーに該る「葬儀を終えて(After the Funeral)」(1953年)である。


アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第44作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第25作目に該っている。


「葬儀を終えて」の場合、米国版のタイトルは、「Funerals Are Fatal」が使用されている。

1963年に本作品が英国映画として映像化された際、英国版のタイトルは、映画に合わせて、「Murder at the Gallop(寄宿舎の殺人)」へと改題された。なお、探偵役は、本来のエルキュール・ポワロではなく、ミス・ジェーン・マープルが務めている。


大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシー(Richard Abernethie)の葬儀に出席するために、彼の邸宅「エンダビーホール(Enderby Hall)」において、親族が一堂に会した。

リチャード・アバネシーの弟の1人であるレオ(Leo)は、第二次世界大戦(1939年-1945年)中に戦死していた。また、リチャード・アバネシーの妻は早くに亡くなっており、息子とのモーティマー(Mortimer)も6ヶ月前に既に死去していた。


リチャード・アバネシーの葬儀に参列したのは、


(1)ティモシー・アバネシー(Timothy Abernethie):リチャードの弟

(2)モード・アバネシー(Maude Abernethie):ティモシーの妻 / リチャードの義妹


(3)ヘレン・アバネシー(Helen Abernethie):第二次世界大戦中に戦死したリチャードの弟レオの妻 / リチャードの義妹


(4)スーザン・バンクス(Susan Banks):リチャードの弟ゴードン(Gordon)の娘 / リチャードの姪

(5)グレゴリー・バンクス(Gregory Banks):スーザンの夫 / 薬剤師


(6)ローラ・クロスフィールド(Laura Crossfield):リチャードの妹

(7)ジョージ・クロスフィールド(George Crossfield):ローラの息子 / リチャードの甥 / 事務弁護士


(8)ロザムンド・シェーン(Rosamund Shane):リチャードの妹ジェラルディン(Geraldine)の娘 / リチャードの姪 / 女優

(9)マイケル・シェーン(Michael Shane):ロザムンドの夫 / 俳優


(10)コーラ・ランスケネ(Cora Lansquenet):リチャードの末妹


の面々だった。


アバネシー家の弁護士であるエントウィッスル氏(Mr. Entwhistle)が、リチャード・アバネシーの遺言執行者として、その内容を読み上げた。

リチャード・アバネシーの遺産の大部分は、彼の弟ティモシー・アバネシー、彼の亡き弟の妻ヘレン・アバネシー、彼の末妹コーラ・ランスケネ、彼の甥ジョージ・クロスフィールド、そして、彼の2人の姪スーザン・バンクスとロザムンド・シェーンの6人に当分されると言う極めて妥当な内容だった。


エントウィッスル氏が読み上げたリチャード・アバネシーの遺言書の内容を聞き、自分の相続分を素直に喜んこんだ末妹コーラ・ランスケネは、小首を傾げると、無邪気な一言を言い放った。

「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」と。


末妹コーラ・ランスケネは、子供の頃から、少し頭が弱く、思い付いたことを何でも直ぐに口にする性格で、アバネシー家の皆は、彼女は無邪気過ぎて困ると感じていた。それ故に、リチャード・アバネシーの葬儀に参列した面々は、彼女の発言をまともには取り合わず、受け流してしまった。

その一方で、末妹コーラ・ランスケネの発言は昔から真実を突いていたため、リチャード・アバネシーの葬儀から帰途に就く人達の心に、拭いきれない疑惑が痼りのように残った。リチャード・アバネシーの遺言執行者であるエントウィッスル氏も、その例外ではなかった。


彼らの疑惑が的中したかのように、その翌日、末妹のコーラ・ランスケネが、自宅において、斧で惨殺されているのが発見される。


コーラ・ランスケネの家政婦だったギルクリスト(Miss Gilchrist)によると、「リチャード・アバネシーは、亡くなる3週間ほど前に、コーラ・ランスケネを訪ねて来ると、彼女と話をしていた。」とのことだった。

つまり、コーラ・ランスケネは、兄リチャード・アバネシーの死の原因について、何か知っており、彼の葬儀の場において、そのことを口にしたために、殺害されたのか?


末妹のコーラ・ランスケネが殺されたことを受けて、彼女の相続分はリチャード・アバネシーの遺産に戻り、最終的には、スーザン・バンクスの取り分となった。

また、家政婦のギルクリストには、コーラ・ランスケネが趣味で描いていた絵画が送られることになた。


エルキュール・ポワロは、
英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている
「エルキュール・ポワロの世界」と言うジグソーパズルの中央に立っている。
<筆者撮影>


リチャード・アバネシーの遺言執行者であるエントウィッスル氏は、真相を知るべく、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)に対して、事件の調査を依頼するのであった。


2026年2月1日日曜日

ロンドン ギルトスパーストリート(Giltspur Street)- その4

スミスフィールドマーケット側からギルトスパーストリートを望む –
ここからギルトスパーストリートの北側が始まる。
<筆者撮影>


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。


京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ
カバーデザイン:折原 若緒
  カバーフォーマット:本山 木犀


ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens → 2026年1月31日付ブログで紹介済)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館で人気を集めていた。ところが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、国家安全保証省(Department of Home Secuirty)からの要請により、閉園の危機を迎える。

園長のエドワード・ベントン(Edward Benton)は、なんとかして、ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を乗り越えようといろいろと手を尽くしたものの、閉園の撤回は非常に難しい状況だった。

ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を迎えて、気落ちする父エドワード・ベントンを元気づけるため、娘のルイーズ・ベントンは、曾祖父の代から対立している2つの奇術師一家の若き後継者であるケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人に手品を披露してもらうべく、1940年9月6日(金)の夕食会に招待した。また、陸軍省の御意見番で、手品を得意とするヘンリー・メリヴェール卿も、同じく招待されたのである。


ギルトスパーストリートの北端にあるWest Smithfield Rotunda Garden -
画面中央奥に中央刑事裁判所が見える。
<筆者撮影>


空襲警報が鳴り響く中、ケアリー・クイント、マッジ・パリサーとヘンリー・メリヴェール卿の3人は、午後8時半頃、ロイヤルアルバート動物園内にある園長の家に到着。

玄関のドアには、鍵がかかっておらず、廊下の突き当たりにある園長エドワード・ベントンの書斎のドアには、「入室無用」の札が掛かっていた。また、ドアは閉じたままで、その下から光は漏れていなかった。

廊下の突き当たりにある園長の書斎を除くと、右の部屋も左の部屋も、ドアが開けっ放しで、夕食会の用意が為されていたものの、誰もいなかった。

ヘンリー・メリヴェール卿とマッジ・パリサーが、夕食を焦がしている臭いを嗅ぎつけると、3人は食堂へと急いだ。食堂内の閉じたオーブンの中では、ロースト料理が焦げていた。誰かが、全部のガスを全開にしていたのである。

慌ててオーブンのスイッチを切る3人であったが、何故か、食堂から廊下へ通じるドアに、鍵がかかっていた。3人以外に、園長の家内に居る誰かに、彼らは食堂内に閉じ込められてしまったのだ。


ギルトスパーストリートを南下する –
画面中央奥に見える建物が中央刑事裁判所。
<筆者撮影>


ケアリー・クイントが奇術用の小道具を使い、ドアの鍵を解錠して、廊下へ出ると、丁度、飼育員のマイク・パーソンズとセントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の医師で、ルイーズ・ベントンの恋人のジャック・リヴァーズが玄関のドアから入って来た。

ジャック・リヴァーズによると、午後7時に、園長のエドワード・ベントン本人から、「夕食会は中止になった」旨の電話連絡があった、とのこと。園長の声の様子に不自然さを感じたジャック・リヴァーズは、病院から駆け付けたのであった。


ヘンリー・メリヴェール卿を含めた5人は、廊下の突き当たりにある園長の書斎のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。また、中から鍵穴に何かが貼り付けてあるようだった。


ギルトスパーストリートの中間辺り(西側)に建つオフィスビル
<筆者撮影>


廊下に面したドアは、全て、同じ鍵を使っていることを知っているジャック・リヴァーズは、食堂のドアから鍵を抜くと、ヘンリー・メリヴェール卿に手渡した。

ヘンリー・メリヴェール卿が書斎の鍵を解錠して、ドアを開けると、園長のエドワード・ベントンが、一匹の蛇と一緒に、ガス中毒により死亡しているのを発見する。

書斎のドアと窓の全てが内側から厳重に目張りされた「密室(sealed room)」状態で、状況的には、ロイヤルアルバート動物園の閉園を苦にしての自殺としか思えなかった。


そんな最中、園長の娘であるルイーズ・ベントンが戻って来る。



Bank of America Merrill Lynch が以前に入居していたオフィスビル
<筆者撮影>


「今夜、七時頃」彼女は続けた。「ローズマリーとわたし - ローズマリーはメイドです - は、夕食の支度を始めようとしていました。そこへ電話が鳴ったのです。男性の声で、わたしに話があるということでした。彼がいうには …」

(今では誰もが、張り詰め、研ぎ澄まされた注意力で聞いているのをケアリは感じた)

「ドクター・リヴァースが大怪我をしたというのです。ギルトスパー・ストリートで、車が大型トラックと衝突したと。すぐに来られないかといわれました。もちろん」彼女は口ごもった。「わたしは多少、気が動転していました」

「うむ」H・Mは何気ない口調でいった。「続けてくれ」

「わたしは少しも疑いませんでした。場所がとても離れていたことさえも。バート病院の近くだったので、ジャックはそこへ行く途中だと思ったのです。わたしはローズマリーに夕食の支度を続けるようにいい、父にはお客様に事情を話してくれるように頼んで、駆けつけました。

もちろん、電話で告げられたギルトスパーストリート二三一Bなどという住所はありませんでした。その住所を見つけようとあたりをさまよい、次第に絶望してきたところ、思いがけないことにローズマリーが現れたのです。彼女にも同じ声で電話が来て、わたしがドクター・リヴァースの看護をするのを手伝ってほしいといっているから、来てくれないかといったそうなのです」

(白須 清美訳)



ルイーズ・ベントンは、「ジャック・リヴァーズが乗った車が、大型トラックと衝突して、大怪我をした。」と言う謎の電話連絡を受けたのだが、その衝突現場であるギルトスパーストリート(Giltspur Street → 2018年6月9日 / 6月16日 / 6月23日付ブログで紹介済)は、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内に所在して、南北に延びる通りである。


画面左奥へ延びる通りがニューゲートストリート、
画面右奥へ延びる通りがオールドベイリー通り、
画面手前に延びる通りがホルボーン高架橋通りで、
画面左へと延びる通りがギルトスパーストリートである。
画面奥には、中央刑事裁判所が見える。
<筆者撮影>


ギルトスパーストリートの南側は、ニューゲートストリート(New Gate Street → 2018年5月19日付ブログで紹介済)<東側>、オールドベイリー通り(Old Bailey - 中央刑事裁判所(Central Criminal Court → 2016年1月17日付ブログで紹介済)が建っている通り)<南側>およびホルボーン高架橋通り(Holborn Viaduct)<西側>が交差する四つ角から始まり、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Igantius Conan Doyle:1859年-1930年)作「緋色の研究(A Study in Scarlet → 2016年7月30日付ブログで紹介済)」において、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが初めて出会ったセントバーソロミュー病院を右手(東側)に見て北上し、その北側は肉市場として有名なスミスフィールドマーケット(Smithfield Market)と呼ばれるロータリーに突き当たって終わっている。


ギルトスパーストリートに関連する歴史上の出来事は、以下の2つ。


1つ目は、「ワット・タイラーの乱(Wat Tyler’s Rebellion)」、または、「農民反乱(Peasant’s Revolt)」と呼ばれている反乱である。


プランタジネット朝最後のイングランド王であるリチャード2世(Richard II:1367年ー1400年 在位期間:1377年ー1399年)は、1378年と1380年の2回、百年戦争(Hundred Year’s War:1337年ー1453年 → フランス王国の王位継承をめぐるヴァロワ朝フランス王国とプランタジネット朝 / ランカスター朝イングランド王国の戦い)でフランスに奪われた元イングランド地域の奪還を目指して、欧州大陸へと遠征したものの、目的を達することができなかった。2回にわたる大陸遠征により、膨大な戦費調達が必要となって、リチャード2世は人頭税の導入を図る。


ただし、この人頭税が、上層階級に対しては軽く、逆に下層階級に対しては重い税制だったため、1381年6月、増税に反対する下層階級の農民や労働者が反乱を起こす。屋根瓦職人のワット・タイラー(Wat Tyler:?ー1381年)が、神父のジョン・ボール(John Ball:1338年頃ー1381年)と共に、この反乱に指導者として加わると、勢いを得た反乱軍は、カンタベリー(Cantebury)を占拠した後、ロンドン郊外、続いて、ロンドン市内へと侵入し、カンタベリー大司教や政府の幹部だった財務長官のロバート・イルズと尚書部長官のサイモン・サドベリーを殺害したのである。


なお、ワット・タイラーの半生について、判っていることが非常に少なく、出生時の名前は「ウォルター(Walter)」とされているが、姓に関しては不明で、屋根瓦職人(roof tiler)であったことから、「Tyler」の姓が付けられたものと考えられている。


1381年6月15日に行われた2回目の交渉時、
ワット・タイラーに斬りつけたロンドン市長のウィリアム・ウォルワースの像 -
ホルボーン高架橋に設置されている。
<筆者撮影>


リチャード2世率いる国王軍は、今のギルトスパーストリートがある辺りで、ワット・タイラー達が率いる反乱軍を出迎え、同年6月14日、1回目の交渉が行われ、リチャード2世は、ワット・タイラー達に対して、農民や労働者の要求を保証すると回答した。

ところが、翌日の同年6月15日、2回目の交渉が行われている最中、当時のロンドン市長(Lord Mayor of the City of London / Lord Mayor of London)だったウィリアム・ウォルワース(William Walworth:?ー1385年)によって、ワット・タイラーは突然斬りつけられた。ワット・タイラーは近くにあるセントバーソロミュー教会(St. Bartholomew the Great Church)へ難を逃れようとしたものの、そのまま殺害されてしまったのである。

重要な指導者の一人を失った反乱軍自体も、国王軍によって鎮圧されてしまった。


2つ目は、1666年のロンドン大火(The Great Fire of London → 2018年9月8日 / 9月15日 / 9月22日 / 9月29日付ブログで紹介済)である。


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その1)


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その2)


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その3)


ロンドン大火の最後の火が完全に鎮火した場所が、ギルトスパーストリートとコックレーン(Cock Lane→2018年6月30日 / 7月7日付ブログで紹介済)が交差する北西の角にあるパイコーナー(Pye Corner)である。


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その4)


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その5)


ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その6)


1666年9月2日(日)に発生したロンドン大火は、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日 / 9月1日付ブログで紹介済)を含むシティー・オブ・ロンドン一帯を焼き払った後、4日目の同年9月5日(水)になって、火の勢いは漸く弱まり、完全に鎮火したのは、9月6日(木)だった。そして、ロンドン大火の最後の火が完全に鎮火したのが、このパイコーナーであった。


ギルトスパーストリートとコックレーンが交差する
北西の角にあるパイコーナー
<筆者撮影>


現在、パイコーナーには、金色の少年の姿をした記念碑がビルの外壁に設置され、「This Boy is in Memory Put up for the late FIRE of LONDON Occasion’d by the Sin of Gluttony 1666. (この少年の像は、大食という大罪によって引き起こされた先のロンドン大火を記念して設置された。)」という言葉が添えられている。


パイコーナーに建つオフィスビルの外壁に設置されている
The Golden Boy of Pye Corner
<筆者撮影>


パイコーナーに建つオフィスビルの外壁に設置されている
The Golden Boy of Pye Corner の説明板
<筆者撮影>

「大食(Gluttony)」とは、キリスト教における「七つの大罪(Seven Deadly Sins)」のうちの一つである。ロンドン大火は、プディングレーン(Pudding Lane)で出火して、パイコーナーで鎮火しており、「プディング」も「パイ」も食べ物に関連しているため、「大食」という大罪に結び付けられたものと、一説には言われている。



プディングレーン沿いに建つオフィスビルの外壁に設置されているロンドン大火の記念プレートで、
ロンドン大火が発生した王室御用達のパン屋であるトマス・ファリナーの店が
近くにあったことを示している。
<筆者撮影>


なお、「The Golden Boy of Pye Corner」と呼ばれるロンドン大火の記念碑は、元々、ここで営業していたパブ「The Fortune of War」の入口に設置されていたが、1910年にパブが取り壊されたため、現在は、その後に建てられたオフィスビルの 1st Floor(日本の2階)に該る外壁に設置されているのである。