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イングランド銀行裏手(ロスベリー通り沿い)の外壁に設置されている サー・ジョン・ソーン像(その1) |
後に英国の新古典主義を代表する建築家となるサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年)は、1753年9月10日、オックスフォード(Oxfordshire)のゴリング・オン・テムズ(Goring-on-Thames)に、煉瓦職人(bricklayer)の父ジョン・ソーン(John Soan)と母マーサ・ソーン(Martha Soan)の下に出生。
(サー・)ジョン・ソーンが14歳の1768年4月に、父親が死去したため、彼の一家は、チャーツィー(Chertsey - サリー州(Surrey)の町)へと引っ越して、彼の兄(12歳上)であるウィリアム・ソーン(William Soan)と一緒に住む。
15歳の彼は、兄のウィリアム・ソーンから紹介された測量技師(surveyor)であるジェイムズ・ピーコック(James Peacock)経由、知己を得た英国の建築家であるジョージ・ダンス(子)(George Dance the Younger:1741年ー1825年)の下で、建築を学び始めた。なお、ジョージ・ダンス(子)は、王立芸術院(Royal Academy of Arts)の創立メンバーの一人であり、1771年10月に弟子の彼を王立芸術院へ入学させ、本格的な建築の勉強をさせた。
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ジョージ・ダンス(子)が住んでいた ガワーストリート91番地(91 Gower Street) |
ガワーストリート91番地の建物外壁には、 ジョージ・ダンス(子)がここに住んでいたことを示す ブループラークが掛けられている。 |
師匠のジョージ・ダンス(子)が1772年3月24日に結婚したことに伴い、(サー・)ジョン・ソーンは、英国の建築家であるヘンリー・ホランド(Henry Holland:1745年ー1806年)の下へ移る。
王立芸術院において、(サー・)ジョン・ソーンは、1772年12月10日にシルバーメダルを、そして、1776年12月10日にゴールドメダルを獲得する等、優れた成績を残す。
その後、(サー・)ジョン・ソーンは、1777年12月10日に奨学金(3年間)を得て、1778年3月18日、欧州大陸への留学へ出発。最終的には、同年5月2日、イタリアのローマに辿り着く。
(サー・)ジョン・ソーンは、ローマにおいて、建築を学びつつ、イタリア各地を旅して、様々な建築の情報を習得する。
残念ながら、イタリアで仕事が見つからなかった彼は、欧州各地を旅した後、1780年6月、英国に戻った。
英国へと戻った(サー・)ジョン・ソーンは、様々な案件に関与するものの、大きな案件のうち、実現まで辿り着くものはほとんどなく、師匠であるジョージ・ダンス(子)は、生活に困る彼に仕事をまわしたりした。
1783年に入り、(サー・)ジョン・ソーンは、ノーフォーク州(Norfolk)にあるレットンホール(Letton Hall)と言う新しいカントリーハウスを建設する仕事を遂に得た。
これを機にして、彼は、1788年にかけて、英国各地で多くの大きな案件を請け負うようになり、次第に建築家としての頭角を現す。
その間、(サー・)ジョン・ソーンは、エリザベス・スミス(Elizabeth Smith:1760年ー1815年)と1784年8月21日に結婚。彼は、妻のことを「エリザ(Eliza)」と呼んだ。
なお、(サー・)ジョン・ソーンの姓は、元々、「Soan」だったが、エリザベス・スミスと結婚した際、彼は、元々の姓である「Soan」の後ろに「e」を付け加えて、「Soane」へと改名している。
彼らの間には、以下の通り、4人の息子が生まれた。
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サー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum → 2025年5月22日 / 5月30日 / 6月3日 / 6月13日付ブログで紹介済) 内に所蔵 / 展示されている 「サー・ジョン・ソーンの長男ジョン(右側の人物)と 三男ジョージ(左側の人物)の肖像画」で、 英国の肖像画家であるウィリアム・オーウェン(William Owen:1769年ー1825年)が、 1804年に制作。 |
*長男:ジョン(John)- 1786年4月29日に出生。
*次男:ジョージ(George)- 1787年のクリスマス前に出生するも、6ヶ月後に死亡。
*三男:ジョージ(George)- 1789年9月28日に出生。
*四男:ヘンリー(Henry)- 1790年10月10日に出生するも、翌年に死亡。
1788年10月16日に、(サー・)ジョン・ソーンは、英国の建築家 / 彫刻家であるサー・ロバート・テイラー(Sir Robert Taylor:1714年ー1788年)の後を継いで、イングランド銀行(Bank of England → 2015年6月21日 / 6月28日付ブログで紹介済)の建築家に就任し、その後、1833年まで45年間にわたり、その任を務めた。
イングランド銀行の建物正面 |
1788年から1833年までの45年間、(サー・)ジョン・ソーンは、イングランド銀行にかかる様々な改修工事を行ったが、その後、イングランド銀行が敷地を拡張する過程で、英国の建築家であるハーバート・ベイカー(Herbert Baker:1862年ー1946年)によって、(サー・)ジョン・ソーンが設計したオリジナル部分はほとんど失われてしまい、「シティーにおける20世紀最大の建築上の罪(the greatest architectural crime, in the City of London, of the twentieth century)」と言われている。
イングランド銀行裏手(ロスベリー通り沿い)の外壁に設置されている サー・ジョン・ソーン像(その2) |
その代わり、イングランド銀行の裏手ではあるが、ロスベリー通り(Lothbury)に面した建物の外壁内に、サー・ジョン・ソーンの像が彼の栄誉を称えるために設置されている。

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